『波伝谷に生きる人びと』の舞台を知る③~波が伝わる谷、波伝谷~
vol. 17 2015-02-09 0
こんばんは。プロジェクトマネージャーの野村です。
『波伝谷に生きる人びと』の舞台を知る、3回目の今日は波伝谷の地名の由来についてご紹介します。
(波伝谷の由来が伝わる戸倉神社)
波が伝わる谷と書く波伝谷(はでんや)の地名は、部落の鎮守である戸倉神社に由来するものとして次のような話が伝わっています。
その昔、神さまの乗った船が旅の途中、波伝谷で碇を下して休んでいた。すると突然船が大波を受けて陸に打ち上げられ、動けなくなってしまった。そのため船の神様を戸倉神社として祀ったというのです。その話より船が波で転んだ谷、すなわち波轉谷といったものが、いつの頃からか波天谷、また波伝谷となったというのです。また。南三陸町の隣の登米市津山町にある横山不動尊にまつわるものとして、同じような話もあるようです。
そして、打ち上げられた船が沈んだ場所が戸倉神社のふもとにある明神池であり、船の碇が石化したという碇石と呼ばれる石もあるそうです。
東日本大震災では、沿岸各地で船が打ち上げられる光景が報道されましたが、波伝谷に伝わる大波も、津波だったとも考えられます。波伝谷の地名は、お話と地名に託して過去のそうした歴史を後世に伝えようとする先人の思いが込められているのかもしれません。
(参考資料『波伝谷の民俗ー宮城県南三陸沿岸の村落における暮らしの諸相ー』)