『波伝谷に生きる人びと』の舞台を知る④~海のなりわい~
vol. 18 2015-02-10 0
こんばんは。プロジェクトマネージャーの野村です。
『波伝谷に生きる人びと』の舞台を知る、4回目の今日は、海のなりわいということで、波伝谷の漁業についてご紹介します。
志津川湾に面した波伝谷の現在の主要な産業といえば、言わずもがなやはり漁業です。湾内には複数の河川が流れ込み、養殖に適した特性をもっているためカキ、ホヤ、ワカメなどの養殖が盛んに行われています。これらの養殖が盛んになったのは昭和35年のチリ地震津波以後といわれ、漁業が波伝谷の主要産業の位置を占めるのもその時期以降のことです。それ以前にもノリやカキ養殖は行われていましたが、それほど大規模なものではなく、波伝谷の主産業は次回ご紹介する製炭や養蚕などといった陸のなりわいでした。この時期というのは、それらの波伝谷の主産業が衰退しはじめる時期でもあり、人びとは養殖法や資材の開発に後押しされて、海へ乗り出していくのです。
では、それ以前の漁業はというと、先ほどのノリやカキ養殖の他、ウニやアワビなど現金化しやすい水産物の採集が主なものでした。こうした漁業は主産業である製炭や養蚕の片手間に行う現金収入源と自家消費のためのものだったといいます。
現在でも商品価値の高いウニやアワビは、その乱獲を防止するため開口日(カイコウビ)と呼ばれる指定日だけ漁を行うことが許されています。また養殖イカダも各家3種目に制限され、成育環境の保全が図られるなど、かつて無制限に行っていた漁業の在り方は変わってきました。
古くから海とかかわり、その恵みを受けてきた波伝谷の人びとですが、その在り方は、時代とともに少しずつ変わってきているようです。その時間の流れと変化の中で、黙々と作業をする漁師、牡蠣の殻むきにいそしむ女性たち、その中の課題や葛藤、思い…波伝谷のひとりひとりにとっての海とのかかわり方は、ぜひスクリーンでご覧ください。
(参考資料『波伝谷の民俗ー宮城県南三陸沿岸の村落における暮らしの諸相ー』)