「劇場公開への道のり#21~小林茂監督からコメントをいただきました!~」
vol. 16 2015-02-08 0
こんばんは。プロジェクトマネージャーの野村です。
今日は、監督がフェイスブックで「劇場公開への道のり」を更新しましたので、そちらを転載します。どうぞご一読ください。
ケニアのストリート・チルドレンを追った『チョコラ』などで知られるドキュメンタリー映画監督の小林茂さんよりコメントをいただきました!⇒...
「ひとの生き様に魅かれ、ドキュメンタリー映画に恋をし、新たな自分を発見した映画である。」
う~ん、確かに製作の6年間を振り返るとこの3つの言葉に尽きるような気がします。
小林さんとはじめてお会いしたのは、2009年10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭のときでした。当時は波伝谷での撮影をはじめて1年半が過ぎ、このまま撮影を続行するか、区切りをつけるかで悩んでいたところでした。というのも、映画の下積みも人脈もなく、周りに誰も相談できる人もなく、自分の限界というものをひしひしと感じていた頃だったのです。
そんなとき、山形国際ドキュメンタリー映画祭に行けば何かが変わるかもしれないと思い、初めて参加してみたところ、その映画祭の熱量と作品の質に圧倒され、「このままでは終われない」としぼみかけていたハートに再び火が付いたのでした。そして撮影初期に影響を受けた作品である『阿賀に生きる』のキャメラマンを務めた小林茂さんをつかまえ、どうすればいいか相談しました。
すると小林さんからは「君は映像の重みを何も分かっちゃいない」と怒られました。そして「もう編集に入るべきだ」とも言われました。それに対して僕は「分かっていないわけがない」と反発しました。でもあとあと振り返ると、当時の自分は、自分の思い描くテーマやイメージに捕らわれるあまり、映像に映されたものの本来の魅力に気づかず(それを切り刻み、伝えるための方法も分からず)、小林さんはそこを伝えたかったのではないかと思うのです。
結局、僕はそのアドバイスを全く聞かず、その後気持ちを新たにしてさらに一年間撮影を続けるわけですが(人の好意を無にするのが得意なろくでもない人間ですね)、今にしてみればやはり撮影を続けてよかったと思っています。それだけ自分には波伝谷を通して表現したいことがあり、当時の素材ではそれが表現できないということを直感的に分かっていたと思うのですね。ただ、小林さんの言葉は製作中何度も思い出されました。
そんなこんなで小林さんと再会したのは2011年10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭。そして震災後はじめて波伝谷で試写会を開いた2011年の12月、小林さんは新潟からスタッフを連れてわざわざ映画を観に来てくれました。(最初の試写会は第1章が219分、第2章が120分、第3章が未完というものでした。)そこでも、編集についていろいろアドバイスをしてくれました。そこからさらに長い編集期間を経て、作品は今に至っているわけです。
思い入れの強い映像を編集するのは大変でしたが、その中で僕は大事なことをたくさん学んだつもりです。(その辺りはピーストゥリー・プロダクツの過去のブログを遡るといろいろ読むことができます。)そして何とか映像の重みに耐え(240時間は重い!)、出来上がった今回の作品。思い起こせば、その製作の過程ではじめて大事な言葉を直接くれた映画監督が、小林さんだったように思います。
なので、小林さんからいただいたコメントに、僕は妙に「なるほどな」と思ってしまいました。小林さん、この度は素敵なコメントをありがとうございました!(我妻)
本文に出てきましたピーストゥリー。プロダクツ公式ブロクはこちらです。
peacetreeproducts.blog.fc2.com/
最近はその地位をフェイスブックにとられてしまい更新頻度は低めですが、震災を経て『波伝谷に生きる人びと』が現在の形になるまでの経緯がリアルタイムで書かれていたります。もし興味がありましたら、覗いてみてください。
なお、どうでもいいことなのですが…(それでも一応言います)いつもですと「フェイスブックより」と付けるところですが(と言ってもまだ2回しかない)、タイトルの字数制限に引っかかりあえなく削除しました。転載の意味で「」だけそのままにしてあります。タイトルがまちまちだわという時はそうした事情によるものですのでおご承知おきくださいm(_ _)m