6/5 映画『さよなら、僕のマンハッタン』レビュー
vol. 2 2020-06-05 0
『さよなら、僕のマンハッタン(原題:The Only Living Boy in New York)』(2017)
監督:マーク・ウェブ 脚本:アラン・ローブ
あらすじ
ニューヨーク州マンハッタンの端で、フリーターのトーマスはくすぶった日々を送っている。彼の安らぎは恋人未満のミミだけだが、彼女との進展は見込めそうにない。失意の中アパートへ帰ると、隣に越してきたというW.F.と名乗るオッサンに絡まれる。「相談にのってやるぞ。」渋々ミミのことを相談し、再びデートに誘った店で、今度は父親の浮気を知ってしまう。
無精でやけに知的なW.F.と、魅惑的な父の愛人ジョハンナ。二人との出会いがトーマスの日々を豊かに不穏に、複雑にし、ある真実にたどり着いたトーマスは自分の人生を見つめなおす。
僕にはふるさとが三つある。幼少期を過ごした同級生が三人だけのド田舎町。多感な時期の僕を見守り、ある意味で見放した地方都市。そして、幻惑させておびき出し僕の青春をその他大勢のものと一緒くたに吸収していった京都という街。
これら三つとも居心地はよかった、楽しかった。だけど僕はここではないどこかで何かになるのだといつも感じていた。三つの土地はあくまでふるさとの対象で、地に足はついていなかった。そのくせ何かと理由をつけて長居してしまうのは、きっかけを待っているからだ。僕の悪い所だ。いや、こういう感覚はモラトリアム特有の陳腐な通過儀礼かもしれない。
実際この作品の主人公トーマスだって、ニューヨークを見限ったようでいて未だ抜け出せず、自分の居場所を探している。作中で美しく映し出されるニューヨークの光も風俗も、トーマスにとっては僕にとっての河原町のカラオケ屋と一緒なのだろう。
そんな陳腐な題材を一つの物語たらしめているのは、どこか現実離れした二人の登場人物と、秘密と、僕らがいつからか恥じるようになってしまった“詩”、セリフだ。映画の醍醐味だ。
「抜け出したいけど、できない」
というトーマスに、母親は
「ならばやり通すしかないでしょ」
という。トーマスはやり切ったのか、まだ途中かもしれないが、地に足はついたようである。
我々劇団FAXも、演劇という地に足をつけるかつけないか未だ分からないモラトリアムの途中である。とにかく今は『SANSO』という公演をやり切ってやろうと思っている。風変わりな喝采や劇的な秘密の共有は難しくても、応援を、できれば詩的な声援もつけて、送ってもらえたらこの上なく嬉しい。
劇団FAX
髙野亮太郎