【連載コラム】ダルク撮影記③(監督:中沢一郎)
vol. 16 2026-06-18 0
ドキュメンタリー映画『ボーン・アゲイン 薬物依存症と生きる(仮)』監督の中沢一郎が、2004年から始めた映画撮影について振り返る連載コラム「ダルク撮影記③」をお届けします。
【連載コラム】ダルク撮影記③(監督:中沢一郎)
《回復とスリップ、そして死。》
「薬物依存症からダルクのプログラムで回復していく人は3割ほどだ」と近藤さんは言っていました。残りの3割は再び薬物を使う生活に戻るか刑務所に入ったり、さらに残りの3割は死んでしまうか連絡が取れなくなってしまうのだといいます。
撮影を続ける中でも、どんどんダルクの入寮者は変わっていきました。別のダルクに移動する人、施設を離れる人、社会復帰していく人もいます。またダルクのスタッフとして今度は仲間を支える立場になる人など、その様は変化していきました。そしてダルクでは、何人もの依存症の人が亡くなっていきました。自殺した人、病気で亡くなった人、クスリを再び使って死んだ人など、死因は様々ですが「死」が身近にありました。
《ガソリンをかぶって焼身自殺を図ったAさん。》
そんなダルクで全身に火傷を負っている人がいました。50代前半のAさん。頭から顔、全身に火傷の跡があります。テレビや雑誌の取材を何度も受けており、僕もかつてテレビ番組でその姿を見たことがありました。
僕が撮影を始めた頃、すでに20年近くダルクにいた創設期からのメンバーでした。プログラムのミーティングではいつも「クスリがやめられない」「死にたくてガソリンをがぶった」と大きな声で語っていました。近藤恒夫さんに対しても「一緒に死んでくれ」と、運転中に首を絞めることが何度もあったいうトラブルメーカーです。撮影している僕に対しても、優しく話しかけてくることもあれば、突如として怒り出したり文句を言うこともあり、正直言えば怖い存在でした。
そんなAさんがある日、近藤さんに、「すいませんでした。ごめんなさい」と、数日前にスリップ(覚せい剤の再使用)をしてしまったことを告白したのです。クスリをやめるために20年近くもダルクにいるのに、スリップしてしまう事に僕は驚きました。しかし、正直に話すAさんに対し、近藤さんは怒ったり咎めることはなく、「まだ一人にならないほうがいい、それが病気だから」と優しく接していました。
その数カ月後、Aさんは亡くなりました。死因は心不全。施設の部屋でひとりで眠るように亡くなっていたといいます。薬物は使っていない「クリーン」な状態での最期でした。
葬儀は、東京・上野の日本ダルクで近藤さんを中心に多くの仲間が集まり行われました。近藤さんは泣きながらこう話していました。
「人が一番つらいのは、その存在を無視されることです」。
Aさんは外出時、火傷した顔や頭を隠すために覆面をしていたそうです。街を歩き、電車に乗ると、周囲の人々は目をそらし、避けるように離れていくと言います。近藤さんはさらにこう語りだしました。
「一番迷惑かけられ、一番のトラブルメーカーだった。これだけどん底の人生送っていた人は、まだダルクに現れていない」
「彼がいたからダルクをやってこれた。彼の人生見たら、もう怖いものはない」
「彼は一番生きて恥をかいてきた。そして十分生き、人生を全うした」
(④に続く)
仲間の葬儀で焼香する近藤さん
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