財布から広がるまちづくりとは?
vol. 11 2019-07-02 0
このプロジェクトのゴールは「認知症であっても、障害があっても、 自分が出来ることまで奪われない社会」をつくることです。
では、財布がどうすればそんな社会づくりにつながるのでしょうか?
いま、全国では、認知症にやさしいまちづくりとして、「見守り訓練」がよく行われています。
確かに、認知症の人がまちで迷っていた時に、気づき、声をかけてあげること、見守ってあげることはとても大事だと思います。
しかし、私がまちを歩いる時によく思うことがあります。
それは、住宅街を歩いている人の数が圧倒的に少ないこと。逆に、繁華街などは人が多すぎることです。
私はいま、東京に住んでいます。そして先月から、時々、福井にも住むようになりました。
東京は郊外にある実家に住んでいるのですが、平日の昼間などに出掛けると、ほとんど人が歩いていません。それから福井はもともと車社会なので、車は走っていても歩道を歩いてる人がほとんどいない状況です。
逆に、繁華街は人が多すぎます。
たくさん人がいる中で見守りをするのは結構困難で、しかも人間は、人が多い場所だと「自分以外の人がきっとやってくれるだろう」と思いがちになり、自分がやらなくても良いという意識が働くように思います。
こんな社会において、人が人を見守るには限界があるのではないかと思うのです。
誤解しないでいただきたいのですが、見守り訓練を決して否定しているわけではなく、見守り訓練だけでなく、困っている人が自ら困っていることを発信することも必要だと感じています。
以前、路線バスを乗っていた時、足の悪いおばあちゃんが、降りたい停留所についた時、「足が悪くてね~」と発しました。その途端、周りにいた人が、そのおばあちゃんに手を差し伸べていたし、バスの運転手さんも、その方がここで降りることがわかったので、バスを発車せず待つことが出来たのだと思います。
日本人は、人に助けを求めるのが苦手な人が多いのではないでしょうか。
私も、大変なときでも、無意識に「大丈夫」と答えてしまいがちです。助けを求めたほうが楽なのに、なぜか遠慮してしまいます。
前置きが長くなりましたが、財布の話に戻しましょう。
今回つくる財布は、「自分とお店の人が一緒に支払いができる」というアイデアから形を考えています。
もちろん、“自分で”使いやすいデザインにするため、助けを必要としなければご自身で支払いをしていただいて構いません。
ただ、今回の“自分で”には、「自分から助けを求められる」という意味も込められていて、ヘルプカードを入れられるようにする予定です。
お店の人が、財布に入っているヘルプカードを見れば、「あ、このお客さんは助けが必要なのかもしれない…」と気づくと思います。そして、ヘルプカードが財布に入っていれば、支払いで手助けが必要なことがわかるのではないでしょうか。自分から「助けてください」と声にしなくても、ヘルプカードがあるだけで助けを求められやすくなります。
認知症にやさしいまちづくりには、自分の意志で助けを求めることができる社会をつくることも必要だと思うのです。