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英国の作曲家ディーリアスの晩年を愛弟子フェンビーが描いた伝記の翻訳出版をクラウドファンディングで実現!

英国の作曲家ディーリアスの晩年を描いた伝記の日本初の翻訳出版&ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会を成功させたい!

英国の作曲家ディーリアスの晩年を愛弟子フェンビーが描いた伝記が、ロンドン在住のヴァイオリニスト小町碧を中心とした万全の態勢でついに翻訳出版されます。記念リサイタルなども含めた「ディーリアス・プロジェクト」をご支援下さい!

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このプロジェクトは、2017年9月25日23:59に終了しました。

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PRESENTER
林田 直樹

音楽ジャーナリスト・評論家 1963年埼玉県生まれ。「音楽の友」「レコード芸術」編集部を経て独立。オペラ、バレエ、古楽、現代音楽、クロスオーバーなど自在な著述活動を行う。著書「クラシック新定番100人100曲」(アスキー新書)、「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテスパブリッシング)他。インターネットラジオ「OTTAVA」プレゼンター、「カフェフィガロ」パーソナリティ。月刊「婦人画報」他に連載中。音楽之友社・社外メディア・コーディネーター。

小町碧×林田直樹×オヤマダアツシ 「真実のディーリアスを語る」Part4を公開!

vol. 15 2017-12-07 0

※Part3からの続き

●信頼する演奏家には好きなように演奏させたディーリアス

小町 ディーリアスも楽譜にはいっさい指示とかマーキングしてないんですよね。

林田 ああ、そうですか。

小町 ディーリアスのヴァイオリン・ソナタはすべて、そのときにディーリアスが交流を重ねていた演奏家が、ヴァイオリンのボウイングとか表情記号、細かいダイナミクスなどを書いているんですね。

林田 そうなんですか。

小町 ディーリアスは自分の信頼している演奏家であれば、きっと自分が思うような演奏をしてれるだろうという、そういうスタンスですべてを演奏家にまかせていたんです。

林田 じゃあ細かい指示っていっさいないんですか。

小町 まったくないです。なので、演奏家それぞれがすべて読み取らないといけないんですね。おもにハーモニーから読み取るんです。

林田 速度の表示とか強弱とか、表情とかそういうものがいっさいない。

小町 速度はあるんですけど、ダイナミクスはほとんど書いてないんですね。

林田 ダイナミクスが書いてないんですか。

小町 書いてないですね。第1番から第3番はブージー・アンド・ホークスから出版されているんですが、その楽譜はトマス・ビーチャムがすべて編集しています。ですから、いま存在する楽譜のダイナミクスはすべてトマス・ビーチャムによるものなんですが、必ずしもトマス・ビーチャムのダイナミクスが合っているとは私は思わなくて。

林田 ビーチャムが言うとおりにしていない部分もあるんですか?

小町 そうですね、はい。ヴァイオリン・ソナタの楽譜は、1977年にブージー・アンド・ホークスがトマス・ビーチャム版で出版したんですけれども、その前の版というのがあるんです。それも必ず見るようにしていますね。

オヤマダ 楽譜校訂ってそういうことがありますね。時代によってぜんぜん違うし、新しい史料が出てくれば、やはりここにはこう書いてなかったということだってたくさんあるわけだから。ベートーヴェンやモーツァルトはそういうことでいまだに新しい楽譜が出版されますし、ディーリアスみたいに新しい、20世紀の作曲家にしてもこれからそういうことがどんどん起こってくると思います。また、新しい演奏家が自分はこう思うって言って、校訂譜を作る可能性だってある。小町さんがそれを作る可能性だってあるわけじゃないですか。

林田 同じ時代に生きていた他の作曲家のことを考えると、ディーリアスの楽譜に対する態度はちょっと興味深いですね。たとえばグスタフ・マーラーですと、たぶんものすごく饒舌に「ああせい、こうせい」って楽譜に書いたと思うんですよね。この時代、ロマン派がある意味終着点にたどり着いたころ、作曲家たちは楽譜にたくさんのことを明確に書き込む傾向があって、かたやエリック・サティのようにすごくスカスカだけども言葉が多かったり、見る作品としても楽譜を書いてるような人もいるじゃないですか。作曲家の楽譜に対する振る舞いっていうのはすごく興味深いところです。

オヤマダ たぶん19世紀の終わりから20世紀の初めっておそらく演奏家がどんどん力を持っていった時代で、作曲家と演奏家が分業になって、とくに指揮者が力を持って自分がこうだって言うのを押し通しちゃうようになった。それに対して作曲家が「いやいや、そうじゃないんだよ」って、全部楽譜に書いちゃうようになったという可能性もなきにしもあらずだと思うんです。

小町 ディーリアスのヴァイオリン・ソナタ第2番は、20世紀前半に活躍したアルバート・サモンズというヴァイオリニストが、いろいろとヴァイオリンのパートを編集してるんですけど、ディーリアス基金にはアルバート・サモンズが手書きで書いたディーリアスのヴァイオリン協奏曲の楽譜があるんです。それがすごく面白いんですよ。ディーリアスが書いた音符にすべて×印をつけて、その上から自分の音を書いてしまってるんですよ。「こういうふうにしたほうがいいよ」っていう。

林田 それって改編ですね。

小町 そのままその楽譜の表紙にディーリアスがサインしているんですよ。

林田 ディーリアスはつまりサモンズが音を変えたことを認めているんだ。

小町 認めて、それで良いというふうにサインしてしまった。その楽譜がディーリアス基金にあるんです。

オヤマダ じゃディーリアスの書いたままの原典稿で演奏することも可能ですね。

小町 2ページくらいは全部×印が付いていて、いま知られてるヴァイオリン協奏曲は2ページくらい省略されているんです。

オヤマダ あの時代は、長いものはカットするとか、平気でやってた時代でもありますからね。いまの話でひとつ思ったのは、ロンドンには大英図書館がありますが、あそこには誰も手をつけていないような楽譜、作曲家の草稿がたくさん残っていて、とんでもないものがまだまだ眠っている可能性もあると聞いたことがあります。ヴォーン・ウィリアムスの曲などにも、作品リストには存在しているけれど楽譜は紛失したと伝えられているものがあって、それがいつの間にか見つかることもあるわけです。ディーリアスももしかすると、誰もぜんぜん知らない楽譜がどこかにやまほど眠ってたりしないかなと思ったんですが。

小町 そうなんですよ、私もそういう発見がどこかでないかって、ちょっと期待しているんですけれど。

オヤマダ さっきの木村さんの話じゃないけど、音楽学者がそこに寝泊まりして、一生懸命調べないと出てこないものかもしれないけれど、これからディーリアスもそうやって新しいヴァージョンが出てきたり、CDなんかだとよくありますが、いま現行版では第1楽章はこうだけど、じつはオリジナル版はこうだ、というのをいっしょに収録しちゃうとか──。

林田 最近いろんな作曲家でそういう話ありますよね。

オヤマダ ディーリアスも最近、弦楽四重奏曲でそういうケースがありました。ヴィリャーズ・カルテットという団体がナクソスからCDをリリースしましたけれど[8.573586]、初稿を再構成した楽譜で一部の楽章を初めて録音していて、現行の楽譜と並んで収録されているため、聴きくらべができるんです。《去り行くツバメ》という題名が付いている楽章などは、同じ題名なのにまったく違った音楽でした。ヴァイオリン・ソナタももしかすると、違う版が出てくることが期待できるんじゃないかとちょっと思っちゃって。小町さんはそういうところまで首をつっこむつもりはありませんか? ここでも誘導しちゃいますが(笑)。

小町 もちろん、そういう機会があればぜひやりたいと思います。もうすでにトマス・ビーチャムのマーキングにちょっと不満があるところもありますし、あと今回、11月1日に共演させていただくピアニストの米津真浩さんからも、リハーサルでピアノのパートについての意見を聞いたんですが、私にとってもすごく面白くて。米津さんによると、ピアノのパートがすごく不思議な感じで書いてある。というのは、右手でちゃんと弾けちゃう音なのにわざわざ左手でクロスするように書いてる部分とか、米津さんが最初に私に、「ディーリアスってそうとう手が大きい人だったんだね」っておっしゃったんですよ。たしかに普通の人にはすごく弾きにくい感じで書いてあるんですね。今回米津さんは音をじっさいに移して、右手と左手で弾きやすいように書き換えているんですが、こういうふうに書かれていれば、もっとピアニストも弾きやすくなって、ヴァイオリン・ソナタを演奏する人が増えるんじゃないかとおっしゃってますね。

林田 なんでわざわざ弾きにくく書いてあるんでしょうね。

小町 じっさいにディーリアスの手はすっごく大きかったんですよ。そして、フェンビーの手もものすごく大きかったんですね。なので弾けちゃったというのがあると思います。

オヤマダ そこ、だいじなポイントですよね。

林田 じゃあ、これから練習する人は自分の手に最適化させたほうがいいと。

小町 そうですね。演奏しやすいようにしたほうがいいと思います。

●ディーリアスはすべて歌って書いていた?

林田 せっかくヴァイオリンをずっと持ってらっしゃるから、なんかもう1曲だけ弾いていただいてもいいかしら。

小町 では、《遺作》ソナタから。これも1892年に初演されたときにペータースという出版社から、まず転調が多すぎるということと、演奏がとってもむずかしい、この楽譜はぜったい売れないから出版できないと言われて、ディーリアスはそれでもうこの作品はダメだと思って、机の底にしまってしまったんですけど、すごくきれいなメロディがあるんですね。当時ディーリアスはグリーグにこの楽譜を送ったんですけども、そのグリーグも絶賛した作品なので、その中からメロディをひとつお聴きください。

♪ディーリアス:ヴァイオリン・ソナタ ロ長調《遺作》より
 小町碧(ヴァイオリン)
 ※生演奏

オヤマダ メロディだけ聴くと、これシューベルトの若いころの曲ですよっていってもぜんぜんおかしくないですね。でも、いま聴いただけでは、よっぽどソルフェージュがちゃんとした人じゃないと歌えない。

林田 でもたぶん、これがピアノと一緒に、それから全体の流れの中で出てくるとすごく深い意味を持つんでしょうね。

小町 そうですね。メロディだけ聴くとすごくシンプルに聴こえますけど、その下にはとても色彩にあふれたハーモニーがあるので、やはりピアノと合わせて聴くと、すごくグッとくる、心が締めつけられるようなそんな音楽になってますね。

林田 ヴァイオリンのいわゆる超絶技巧を誇示するような小ピースってあるじゃないですか、一般的に。そういう何か華やかな、誰が見てもキラキラした音の数が多い曲は、ディーリアスにはそんなになくて、どちらかというともっと内面的なものが多いという感じですかね。

小町 そうですね、たぶんディーリアスはすべて歌って書いていたと思います。ヴァイオリンのパートもすべて歌っていたと私は解釈してるんですけど、

林田 そんな感じがしますね。

小町 なので、飛ぶ音も楽器の音というよりも、まるで歌っている声のようにイメージしてます。

林田 ヴァイオリンという楽器は人の声で歌う歌曲とは違って、人間には出せない高い音に飛ぶじゃないですか。人の声よりもヴァイオリンという楽器がもしすぐれている点があるとしたら、より高く舞うことができることなのかなと思ったんですけれど、それでも人の声がなんとなく感じられる?

小町 そうですね。とくに第3番のソナタですごく感じることなんですけれども、天国からの声、この世ならざる歌声が聞こえてくる部分と、あと地底から唸っているようなそういう部分もあったりして、でもすべて歌だと思うんですね。すごく不思議な世界で、天国から神様がなにか語っているような、そういう部分もあると思います。

●ディーリアスはイギリスの作曲家か

林田 そろそろ時間ですので、みなさんのほうからも、今回の本、それからディーリアスについて、なんでも訊いてみたいことがありましたら──

── ディーリアスの人生をみると、「イギリスの作曲家」と言っていいのか大きな疑問としてあります。部分部分の音だけを聴くと、はっきりした形もなくて、中間的なところをうまく掬い取ったようなヴォイシング[和声付け]をする人じゃないですか。そこだけ見ると、こういう書き方ってイギリス人がよくやるよなあという感じはするんですけど、でもハーモニーを見ていくと、イギリスというよりはフランスやドイツの要素がすごく強く感じられるので、この人はイギリス音楽のコンテクストで紹介していいのかと迷うんですね。

オヤマダ 個人的にはやはり、イギリス音楽に組み入れてしまうのは、いささか抵抗があります。もちろんイギリスで生まれているんだけれども、両親はドイツ人ですしね。でも象徴的なのは、この本にもケン・ラッセルの映画にも出てくるんですが、フェンビーがディーリアスの家にはじめて行って食事しているときに、「イギリス音楽」の話をしようとすると、ディーリアスが「イギリス音楽なんてあるのか」と言う。ディーリアスが「イギリス音楽」を否定をするところから物語が始まっているわけです。これはたぶんディーリアスの本心だろうと思っています。自分はたまたまイギリスに生まれてしまった作曲家である、と。20世紀のイギリスにおいては、イギリス音楽としてビーチャムなどが紹介してきた系譜があったからこそ、ディーリアスの音楽もいまイギリス音楽として捉えられているけども、ディーリアス本人があの世で納得しているかはわかりませんね。ハーモニー的には、どちらかというとリヒャルト・シュトラウスにいちばん近いと思ってます、わかりやすい作曲家で言えばね。大陸的なところもあるけれども、フランス的でもちょっとない。ドビュッシーにも似ているけれども、ちょっと違っている。そこが不思議なんですが、小町さんは音楽家としてどう思いますか?

小町 私もやはり、ドイツの影響はすごくあると思いますし、ヴァイオリン・ソナタでライトモティーフ[オペラなどの登場人物や特定の状況をあらわす短い主題や動機。ここでは楽曲全体をつうじて用いられる短い動機のこと]がつねに発展していくところは、ワーグナーの影響もすごくあるなと思っていて。まあでも、フランスの作曲家でいえばドビュッシーの音楽にはすごく近いと思いますね。

オヤマダ たしかにイギリスで演奏され続けてきたことはまちがいなく、イギリスのオーケストラのレパートリーには、エルガーなどと一緒にディーリアスの曲があるていどは入っているだろうし、フランスやドイツのオーケストラでは残念ながら入っていないでしょうから、その意味ではやはりイギリス人としては「うちの作曲家だよ」と言いたいところはあると思う。でも、たぶんご指摘のとおりだと思います。
 もっと言ってしまえば、ディーリアスはひじょうにパーソナルな、誰とも接していない作曲家だと思っていて、本の解説にも書いたんですが、以前三浦淳史さんと一緒に出谷啓さんという音楽評論家が、やはりずっとディーリアスの魅力を説いていらっしゃって、40年くらい前に読んだ音楽雑誌で「ディーリアスというのは音楽史の中でひっそりと道端に咲いている野の花みたいなものだ」と書いていらっしゃったのを記憶しています。気がつかない人は通り過ぎちゃうけれども、気がついた人だけには何かを言ってくれる存在ということで、なるほど言い得て妙だなとずっと思っているんです。だから、もしかするとどの国の作曲家でもなくて、ディーリアスの音楽と言うしかないのかもしれないなと思ってるんですよ。だからこそ、この作曲家と似てますよと言えないんです。ほんとはマーラー聴いてる人に「ディーリアスも良いから聴いてよ」と言いたいんだけど、なかなか踏み込めない部分がある。

林田 同じ時代に活躍したマーラーやリヒャルト・シュトラウスだけでなく、ワーグナーの影響はあるなと思います。《楽園への道》など、すごく《パルジファル》[ワーグナーが1865年に作曲した楽劇。1882年初演]っぽい雰囲気がある。
 道端に咲いている野の花という話がありましたけれど、たぶんディーリアスって永遠に少数派だろうと思うんです。たとえばエリック・サティみたいに爆発的にブームになって火がついて、急にオシャレな音楽っていうことになってもてはやされたりすることが、ディーリアスの場合ないような気がするんですよ。でも、少数派をだいじにするということも、音楽を豊かにするための絶対的な条件だと思うんですね。みんなが良いというものばかりで染め上げられちゃったら、ほんとにつまらないことになっちゃう。ほんとに好きだと思ってくれる人がポツンポツンといてくれればいいんです。でも、クラウドファンディングをやればあれだけ人も集まってくるし、関心をもっていただいたので、それはけっして小さなものではないと思うんですけれど。
 あと、ワーグナーとかマーラーとかリヒャルト・シュトラウスの音楽って、大声で叫ぶ瞬間があるんですよ。なにかひじょうにパブリックに、「ガーッ」と叫ぶところがあるじゃないですか。どちらかというとそういう大言壮語っていうよりは、もっと親密なところにディーリアスの音楽の価値はすごくある。小さな声で語ることにすごく意味があるというのかな、そんな感じがしません?

オヤマダ なんとなく自分だけに向かって語ってくれているところがある。

林田 ああ、そうですね。

オヤマダ イギリス的ということで言うと、ちょっと話はずれるかもしれないけど、今回ちょうどノーベル文学賞の発表があって、カズオ・イシグロ[1954-。イギリスの小説家。長崎県出身の日系イギリス人]が獲った。それで、ひさしぶりに『日の名残り』[1989]を読み返してみたんですよ。ぼくはカズオ・イシグロを全部読んだわけじゃないんだけど、やはり彼の文体というか、人物へのスポットの当て方が、イギリス的な閉鎖性を表していると感じました。ゆるやかな閉鎖性とでもいいますか、拒否はしないけれども、あるところの扉はけっして開けてくれないというところが、ディーリアスの世界とすごく似ているなと、ちょうどこのタイミングだったからかもしれないけど、思っちゃったんです。これは小町さんにぜひ訊きたいんですけど、イギリスで生活なさっていて、イギリス人、イングランド人の閉鎖的なところ、個人主義的とでも言うのかな、そういう部分ってじっさいあるのか、もしディーリアスがイギリス音楽だとするとしたら、音楽という概念的な部分じゃなくて、もしかするとその閉鎖性においてイギリス的なのかとちょっと思ったりもするんだけれど、そのあたりどうでしょうか?

小町 そうですね。たとえばイギリスの英語には、なんていうかすごく閉鎖的な言いまわしがあって、もっとダイレクトに言えばいいところをかなり遠まわりして言うんですよね。そういう言葉の文化や習慣なども、やはり音楽に影響があるのかと思います。また、イギリスの音楽だからといって、とくに熱くならないんですよね。もっとこうすごく叫ぶように演奏してほしいという人もまだあまりいない。ディーリアス協会にはほんとうに熱狂的なディーリアス・ファンがいますけど、その他の人たちは、「え、ディーリアス? 私は嫌いだなあ」という感じで。「イギリスの音楽だけど別にそんな好きじゃない」と言う人もいたりして、すごく好き嫌いが激しいんですね。ですから、イギリスの音楽だからといって、必ずしもたくさん演奏しようとはしない──そういう感じですね。

林田 そう簡単にイギリスの作曲家と言えないところがあるというのは、重要なご指摘でしたね。そこは必ず言及しなきゃいけないポイントだったので、ご質問いただいてとてもよかったと思います。

※Part5に続く

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