語れないこと、しかし語ってゆきたいこと
vol. 7 2020-04-23 0
「コロナの影響で釜ヶ崎に変化はありますか?」そんな質問がやってくる。
おもに、メディアの人から。
変化は、いろいろある。
けれど、語りにくい。
メディアの人に語るだけでなく、SNSなどにも書きにくい。
事情あって釜ヶ崎にたどり着いた人のあれこれを、
勝手に解釈して話せる・語れるわけもない。
しどろもどろになってしまう。
でも、それだと、釜ヶ崎にますますベールに覆われて
どんなところか、何をしているのか、わかってもらえないままだ。
それに、今回のようなクライドファンディングに
恩送り特典を設定して、
こんなにたくさんの方がそれを選んでくださっている。
こんな方に、こんな風に使ってもらいましたよ、と知ってもらえたら、と思う。
でも、「こんな方」と一括りにされることを、ご本人は望まないだろう。
だから、語り方に工夫が必要だと思う。
それに、ココルームは支援専門団体ではなく、アート系団体なので
その方がなにか表現する、となったら、おもしろがるスタッフたちや人がいて
場が成立する。
そういう流れが良い。
本人が自ら表現してゆくことになる。
それが、いちばん良い語り方だと思う。
でも、こんなことがあった。
Tさんというのおじさん(当時60代後半)が、テレビの取材をうけてくれて
釜芸やココルームでの経験を楽しく語り、自作の俳句を披露した。
その後、Tさんの地元の学校時代の人から手紙が届き、
そこには「(釜ヶ崎で生活保護で暮らして)地元の恥さらし」と書かれてあったそうだ。
Tさんはしばらく、わたしたちにそのことを話さなかったが、
半年ほどして、この話をしてくれた。
おだやかに語るTさんではあったが、心中を察する。
取材を断ったほうがよかったのかな、と思わなかったわけではないが、
でも、Tさんがその話をしてくれた時点で、乗り越えられる、と思った。
今でも、Tさんを慕う人たちは全国、世界にたくさんいる。
顔をあげる。
+
こうした状況で、釜ヶ崎でココルームでおこること、
そこに立ち会った者として、語れないことももちろんあるけれど、
自分のとらえたこととして、ぎりぎりまで、ことばにしてゆきたいと思う。
この1ヶ月のなかでも、何人か印象的なであいがあった。
揺さぶられた。
無力感も、自分への情けなさも、かすかな希望も、ごちゃまぜの日々。
もうしばらく、つづきそうだ。