ウガンダの少年が作った木のビデオカメラ(桜木)
vol. 7 2016-07-14 0
東京はすごい夕立ちですね。ウガンダのスコールを思い出します。こんなときはいつもマンゴーの木の下で雨宿りします。東京にはマンゴーの木は見つかりませんね。
今日は「木のビデオカメラ」の話をします。
ある夜、いつものようにたき火のまわりで歌ったり踊ったりしている子どもたちの様子を、わたしがビデオカメラで撮影していました。するとある少年が「いいなー。それ貸して」と言いました。わたしは子どもたちに貸したものがなかなか戻ってこないことを知っているので「だーめー」と言って貸しませんでした。いじわるで言っているのではなく、カメラ関係のものは壊れたら困るので。少年は「ふん」と言って、でもそのあともずっと、ビデオカメラに興味津々でした。
その翌朝、少年が見せてくれたのが、この写真の「木のビデオカメラ」です。
「貸してくれなくてもいいもんね〜。ぼくにはこのカメラがあるもん!」とわたしに自慢げに見せてくれた木のビデオカメラ。液晶部分にはちゃんとたき火をしている様子が描かれています。いつも、ウガンダの子どもたちにクリエイティビティには感心させられます。
これは、子どもが机の廃材を拾ってきて作った木琴。なかなか美しい音色でした!
この頃、ウガンダの内戦は激化し、子どもたちは毎晩、日本のNGOがつくった避難シェルターに泊まりにきていました。村にいるとゲリラ軍に襲撃・誘拐されるからです。
中にはすでに誘拐されて子ども兵士として戦った経験があったり、目の前で両親を殺された子どももいました。彼らは一晩中悪夢にうなされて、不眠に悩まされていました。
そこでわたしたちは、子どもたちの情緒を安定させるために、毎晩たき火をして、踊ったり昔話をしたのでした。電気もなにもない暗闇で、子どもたちの恐怖体験が蘇らないように、両親と離れて夜をすごす不安を少しでも忘れてもらえるように・・・
たき火を始めた半年後には、悪夢で起きる子どもがほとんどいなくなりました。
あれから10年たった今でも、グルの町を歩いていると、当時の子どもたち(今は立派な青年)に声をかけられます。「あのときのたき火、楽しかったね」と。
大変な時期でしたが、毎晩のたき火が子どもたちにとっていい思い出になって本当によかったと思います。冒頭の「木のビデオカメラ」は、その瞬間をずっと覚えていたくて撮った写真です。わたしにとっても子どもたちとのたき火の時間は、大切な思い出です。
cinema stars 代表 桜木奈央子