教会ー境界 ②
vol. 22 2019-12-13 0
教会と、身体性
最後の教会に入るとき、わたしは「なんとなく」入るのをやめて、
「これからわたしがどう行動するかを観察しよう」と思い立ちました。
わたしが教会に感じる「不思議」をどうにか観察できないかと思ったから。
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最後の教会の入り口は、これまでの教会とちがって扉は二重になっていて、
しかもその扉はとびきり重たくて固く、ものすごい抵抗感を覚えました。
(あとから「立て付けが悪いからだって」、と友人が教会の中にいたひとに聴いて教えてくれたけれど。)
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重い扉を開けると、薄暗くて短い通路が続いていて、
その先に少し広い空間が開けている。
その空間の中央へ向けて、天井から光が降りてきているのがまず目に入る。
光の向こうに、祭壇があるのが見えるけれど、
自然と、祭壇ではなくその手前、光の落ちているあたりへ足が向く。
其処へ向かいながら、なんとなく足取りは次第にゆっくりになっていく。
別に、気持ちが重たくなっていく、というわけではなく。
高鳴る気持ちが少しずつ鎮まっていくのと共に、歩幅が狭くなる。
ゆっくりと、広間の中央へ向かう。
光の落ちているちょうど真下にくると、光の源へ向かって
視線は足元から天井へ誘われる。
丸天井のてっぺんには丸い天窓。
窓のまわりには、天使とか、神さまとか、天上の国が描き表されている。
そこから横を見ると、両脇にも人の背丈より随分と高い位置に細長い窓がいくつも並んで開いていて、窓の向こうに青い空が覗いている。
建物の中で見えるものは、絵画、彫刻、整然と並べられた椅子、祭壇。
そして、窓。窓の向こうに見えるのは、空だけ。
くるりと振り返って、自分が入ってきた方を見ると、
入口の方は、なぜか重たい暗さで覆われていて、
ここから向こうへ行くのはなんとなく足取りが重くなりそうだと感じた。
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ここまで自分が訪れた教会も、そうだったかというとそういうわけではなかったのですが、
この最後の教会にきてわたしは突然、
「教会は人の精神構造を表しているのかもしれない」
と直感的にそう感じたのでした。
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広間の中心にいるわたし、頭上から降り注ぐ日のひかり。
開放的。いつでもそこへ(上へ)飛び立ちたくなる。
そこは描かれた世界か、果てしなく遠い宇宙。
現実的(物理的)にわたしはそこへたどり着けないだろうとわかっていても、
それでも憧れる。そこへ近づきたいと思う。こころだけでも。
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反対に、入口の重たさ。固さ。
自分の頑なさにもにたあの抵抗感。
元来た道へ戻って、あの扉をもう一度開けて、自分が居た世界へ戻るには、
意思と覚悟が必要になる。
いろんな思惑に溢れた世界、カテゴライズの森。私欲の海。
それが人間の世界なのだと頭ではわかっているし、
残念なことにもれなく自分もその一員だとわかっていても、
その自分も含めて、人間世界に嫌気がさしているのだ。
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ここ(教会)は私にとっていまだにー(こどものころとかわらず)ーあの分厚いハードカバーに守られた、美しい文字で綴られた物語の世界のようなものなのだと気が付きました。
「だとすると、ここから出るためには、このなかでしばらく過ごして、
自分の世界へ戻る心の準備をするのがよさそうだ。」
とわたしは思い、一人分のスペースをあけて隣に座っていた友人に
「わたしにしばらく時間をくれる?」とお願いをすると、
彼女はぐっと身体を私のほうへ寄せて、控えめかつ最大限のジェスチャーで、「OK」と(もちろん顔は笑顔でいっぱい)答えてくれました。
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内側と外側
それは、例えば、東京に出た後にしばらく自分の家にひきこもりたくなる時の感覚、
あの、外に閉じて内に開く感覚ととても似ているように思えた。
(わたしは「東京」という世界が至極苦手。)
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洞窟の中の安心感、外界から切り離されて存在できている感覚、
自分の外見とか、観られていることも忘れて、内側へ内側へと潜っていける心地よさ。
暗闇に浮かんでいる感じ。
-相変わらず上から、横から、わたしは光に照らし出されているのに。ー
一人だけの穴ぐらにまあるくなって納まっているいる心地。
視界が閉じて、皮膚感覚優位になるその感触が心地よい。
しばらくは、その幸せに浸っていられた。
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暗闇の中で目が慣れてくると次第に周りに在るものの輪郭がぼんやりと浮かび上がって見えるように、
暗闇の中のわたしは、ものものしい臭気がどこからともなく漂ってきているのに気が付いた。
一気に毛穴という毛穴が開く感覚。
どこから何が来るのか、わたしは知らなければならないから、毛が逆立つくらいに感覚をとがらせる。
蓋がいくつもあることに気が付く。
マンホールの蓋みたいな。
どんよりして湿度の高い足元。
意図的に見て見ぬふりをしていたのでもなければ、
在ること気が付かないのは頭がどうかしているか盲目なのか、というくらい存在感のある蓋。
それがカタカタと音を立てて揺れていて、
なにかの弾みに開いてやろうとしているように見える。
わたしは、どう考えても「空いてほしくない」と思うのに、
思えば思うほど、蓋は大きくうごくし、
蓋の向こうに何かが見え隠れしているのにも気が付いてしまう。
理由もなく、意味もわからないのに、
「向こう側には忌み嫌われてるなにかがいるんだな」
とわかる。
それは、私が嫌いかどうかは別として、
たぶん、「世間一般」からはきっと好かれ受け入れられるものではない。
「空いてほしくない」し、「会いたくない」とはっきり思う。
そう思えば思うほどに、臭気はきつくなるし、カタカタはガタガタに変わって、
蓋の向こうから嫌な気配がものすごい勢いで押し寄せる気配と蓋が弾けそうな勢いで跳ね飛ばされるのはほぼ同時だった。
それはかたちもなくて、言葉も話さないし、触感という触感もなくて、
なのに重たさと臭さだけは妙に生々しい。
押しつぶされそうになるかと思ったけれど、そこまでのことはしない。
ただ、とにかく重たさと匂いははっきりとわたしに伝えたいようだった。
わたしのまわりをただ、漂うだけで、嫌なことはなにもしないし、
気が付くとあのものものしさは嘘みたいになくなっていて、
期待はずれなくらい、これ以上の何も起こりそうにない。
その得体のよくわからないものに対してわたしは
「なんて「うつくしくない」んだろう。」と思わずにはいられなかった。
そういうものが、「わたしの穴ぐら」に(たぶんうんと前からず~っと。)あったんだという事実を目の当たりにして、
一瞬眩暈がした。
吐き気さえ覚えた。
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という自分の傍らで、私は安心していた。
自分自身が必死で探していたものだと思う。
名無しのごんべだけど、たぶんとてもとても、大切なものだった。
それが見つけられた。
それは
いわゆるいい匂いでもないし、
いわゆる美しい姿をもつこともできずに、
いわゆる今世界のなかでもてはやされたり認められている何かでもない。
寧ろ、およそ認められようのないものだけれど。
「それでも、在るんです。」とそれはわたしに伝えている(ように感じる)し
「在っていいってことだ」と、その存在まるごとすとんと腑に落ちた。
だから、ほっとした。
それに、コレを見つけられたわたしはたぶん、これにかたちを与える特権と、
たぶん、コレを名づける特権も与えられている。
なんてすばらしい特権。
「わたしだけの「アイコン」をつくれるかもしれない。」
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多分、1時間くらい私は座ったままでいて、
自分の意識のなかでゆらゆらと波乗りをしてました。
気が付くと友人が教会の入り口(あの重たくて固い扉の前)で教会の「今日の教会の係り」であろう女性と楽しそうに会話をしていました。
友人は私が彼女を見つめていることにしばらく気が付かなかったけれど、
話相手の女性に促されて、椅子から振り返って彼女を眺めているわたしに気が付き
「ちさと、この蝋燭、生きている人と、死んでいる人のために灯すことできるんですって、あなたも買いましょうよ!」と手招きで呼んでくれて、
(彼女の声は教会によく響いた。)
「一本5レイよ」といわれ、わたしはいま生きているわたしの家族分の蝋燭を買いました。
じゃあ、と教会を後にするつもりが、そこからまた教会の成り立ちについて彼女と教会の人との会話がはじまり。
彼女がルーマニア人と話すときにはもちろんルーマニア語なわけで。
わたしはただ彼女たちの声色や、話し方の抑揚と、表情と、ジェスチャーで、なんとなくその雰囲気をたのしんで、笑顔を向けられたら笑顔で答え、同意を求められたらよくわからなくてもとりあえずうなづいておくということを繰り返していました。
いつも「ジャポネーゼ」という単語は聴こえて来て、わたしについても話されているんだな~ということはなんとなく気が付きつつ。
ふと、入ってきた時よりも教会全体が明るくなっていることに気が付きました。
太陽の位置が変わったんだろうなと思いながらも、「気持ちの問題かもね」とも思いました。
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友人の会話がやっと落ち着き(自分が小一時間何も喋らないまま彼女を待たせたこと思えば、彼女の15分の会話は寧ろかわいいものだなと思いました。)
教会の扉を開けようとしたら、一番外の扉があかない。
教会の人が「この扉、たまに機嫌悪くて、みんなを閉じ込めようとするの」と冗談を言いながら鍵を何回か回しなおしてすんなり扉をあけてくれました。
「閉じ込めようとするの」
そんなこと意思のない扉にはできるわけないし、と現実主義の私はくすくす笑ってしまったけれど、
「物語」のなかを漂っていたわたしには半分冗談ではなく聴こえてしまったのでした。
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蝋燭箱
教会の外に、蝋燭を捧げる鉄製の箱が並んでいて、
わたしは間違えないように「生きている人たちのための箱」を開けました。
すでにいくつも蝋燭が捧げられて入いて、小さくてやわらかい炎がちらちらと揺れていました。
「この蝋燭から火をもらうのよ」と友人に言われて、
「生きている人から火を分けてもらうのか」と私は思いながら、
「ではどの蝋燭から火をもらえばいいものか」というところでもたもたしていると
「ちさと、大丈夫よ、どの人の火も変わらない、希望の光なんだから!感謝の気持ちを込めてもらいなさい、ほら、「ARIGATOU」ってきれいな言葉が日本にはあるでしょう、それがいいわ!」
と元気よく友人は火をもらっていきました。
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どの人の火も変わらない
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彼女がどんな思いを込めてそれを言ったのか本当のところはわからないけれど、
「どの人の命も変わらず、命は希望の光よ!」ということを彼女ならいいそうだと思いつつ、
「ありがとう」と自分の口から出てくる音を、じっくりと耳で確かめながら、
一人一人の事を思い浮かべ、蝋燭に灯をともし、みんなの幸せを願いました。
「ありがとう…このきれいな音の響きがルーマニアにいるかみさまにも伝わるといいのだけどなあ…。」
という余計なお願いも一緒に。
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ルーマニアで訪れた最後の教会をあとにしながら、
友人がわたしに向けてこんなことを言ってくれました。
「あなたは日本人だけれど、まるでルーマニア人のように感じるわ、あなたの心には境界がないみたいだもの、だって異国の、しかも教会で、あんなに自分を解放できるなんてね!あなたの隣には作品もなかったのに!」
境界のない友人に、「境界がない」といわれて面食らわずにはいられませんでしたが、
こんなに光栄なこともないかもしれないととても嬉しく感じました。
「作品もなかったのに」というのは、わたしが彼女に、「作品が隣にいてくれると、私は自分のことを話しやすくなるの」という話をしていたから。
それにしても、人目をきにせずに思いふけっていた私を彼女がそんな風に観察してくれていたのだと思うと、-(わたしはすっかり自分の内側に雲隠れしている気分でいたので)-いったいどんな顔をしていて、どんな身振りをしていたのかと思い返せないことを思い返して、少しばつの悪い心地になりました。
実は途中涙が溢れて溢れてしかたなかったから。
穴があったら入りたいと、思わず思ってしまったけれど、
「あのときわたしはもう穴の中にはいっていたわけだから…」
と思い返し、観察していたのが彼女だったのは唯一の救いかもしれないと自分の心を慰めてみました。
私がよほど情けない顔をしていたのか、
「いいのよ!自分を出すのはとてもいいことだわ!」と友人は力強くわたしの背中を叩いてくれて、(痛かった…)
まだ恥ずかしさの残っていた私はなんとなくふざけてしまったのだけれど、
この「境界のない友人」と出会えたことを、こっそり深く感謝したのでした。
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素直に
この教会での出来事が、
「素直に」に繋がります。時系列で言えば、この教会を訪れたのは、ルーマニア最終日、ブカレストを発つ前の出来事で、「素直に」に書かれている内容の5日後のことです。
でも、ここでわたしが、
「もう、<在るもの≫に自分を寄せていかなくていいんだ」
と自ずとそういう心境になれたことで、前回までの記事を書くことが出来ました。
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もしかしたら、それがなかったら、
「ルーマニアでこれだけの事をわたしはやってのけてきたんです!こんな成果をあげることができたんです!」
という味気ない記事に終わっていたかもしれません。
もちろん、そういう成果もあって、これからお伝えしていくつもりです。
だけど、いい側面も、そうでない側面も同等にお伝えします。
起きたこと全て、わたしが「Welcome」ではなかったことも含めて、
感謝しています。みなさんの応援には、言わずもがな、感謝の気持ちでいっぱいです。
だからこそ、
今回の渡航でわたしに残った感覚は、変に飾らず、そのままにお伝えしたいと思いました。
それが、誠実さだとわたしは思ったので。
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今あるのは、
「わたしはもっと作品をつくってつくって、作り続けていきたい」という強い思い。
「自分の居場所を自分で耕して作っていきたい」という思い。
それを、すでに行動に反映できているのは(※)、
「ルーマニアに行ってきたからだ」と自信を持って言えます。・
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生きている人のために祈りを捧げた、あの蝋燭箱の横にある死者のための蝋燭箱。
実は、生きているひとたちのための箱よりも、死者のための蝋燭箱のほうが数が多かったのです。
限られた人生を精一杯生きて、死後もこうして幸せを祈ってもらえる人たち
どんなひとたちなのだろうと想像をしました。
友人は、
「こんなにも、愛されたひとたちがいて、きっとその人たちにも愛した人がたくさんいたのよね」
と自分の死者のための蝋燭を灯しながら涙ぐんでいました。
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※帰国後の私自身の活動、これからについては、ルーマニアの報告が終わってからお伝えしたいと思っています。