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国分寺に、旧社員寮を改修した「まちの寮」を。誰もが安心して自分自身でいられる場所づくりをクラウドファンディングで実現!

国分寺発!
おとなもこどもも、持ち寄ってつくる、安心と冒険とが同居する一人一人の居場所 【ぶんじ寮】

旧社員寮を改修し、まちの寮をつくります。畑仕事や掃除、ごはんづくりなどを共にすることで家賃は3万円。広い共用部はまちとの接点ともなり、おとなもこどもも入り交じりながら、安心と冒険とが同居する一人一人の居場所となります。

FUNDED

このプロジェクトは、目標金額5,000,000円を達成し、2020年11月30日23:59に終了しました。

コレクター
469
現在までに集まった金額
5,127,110
残り日数
0

FUNDED

このプロジェクトは、目標金額5,000,000円を達成し、2020年11月30日23:59に終了しました。

Presenter
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畑仕事とか、ごはんづくりとか掃除とかおうちの修繕とか、そういうのをみんなで担う前提で家賃は3万円とかで、食費もあんまりかからなくて、おとなもこどもも入り交じりながら、自然ともうまく付き合いながら、まちともつながりながら、みんなで持ち寄ってつくる、安心と冒険とが同居する一人一人の居場所。 ▼ご興味お持ちいただけた方は、下記フォームよりご回答いただけましたら、今後のご案内等ご連絡させていただきます。 https://forms.gle/LAzyDZqnoebvM8hp8

メンバー紹介6人目!横澤咲穂里です!

vol. 11 2020-11-07 0

はじめまして。ぶんじ寮プロジェクトメンバー横澤咲穂里(よこさわさおり)です。

ぶんじ寮の近所に住んでいます。ぶんじ寮が社員寮だった頃、毎日のように前を通っていましたが、まさか自分がこの場所に関わるなど、思ってもみなかったので、門を開け敷地に入るのにまだ慣れず、毎回そわそわしてしまいます。

私は、ぶんじ寮から西に歩いてすぐのところにある、武蔵国分寺史跡公園で『ちょうど良い居場所という大人も子どももゆるくつながる居場所で、近所のおばちゃんとして、史跡に集う子ども達をこっそり見守っています。地域の子どもには「ともママ」(ともはると言う名前の息子がいます。)「ともかか」「カロリーかか」「ダイエットかか」(ここまできたら、完全に悪口ですよね!)とか呼ばれ、最近では小学生の子ども達がよくうちに遊びに来るようになりました。

以前は教員をしていましたが、仕事をしている間は学校以外の場所で子どもと接する機会は皆無でした。学校、家庭での様子は子どもと実際に関わったり、親御さんと関係を作ったりする中で知ることはできますが、それ以外の「地域」というコミュニティで子どもがどう過ごし、どう育つのか。とても興味のある分野でした。いわゆる昔ながらの地域コミュニティが徐々に崩壊し、学校にも家庭にもさらには地域にも居場所がないという子どももいる中で、教員ではなく一市民として地域の子どもと過ごせるようになったことは、子どもの置かれた環境、子どもが暮らす地域が抱える問題をより深く知る上でとても大きなことでした。心ないあだ名をつけられたり、都合もなにも考えずにインターフォンをならされることも、一見受け入れがたい行動に捉えられがちですが、私にとってはとても喜ばしいことなのです。

今回は私の子ども時代に「地域」でたっぷりと過ごした日々の体験を通して、考えたことをお話ししたいと思います。 

国分寺在住8年、国分寺をちゃんと知ろうと生活し始めて5年。息子が生まれるまでは、国分寺は『住む場所』で『暮らす場所』ではありませんでした。

私は「地域」というものの影響を相当に受けて育ってきた人間です。生まれも育ちも山梨県の片田舎。祖母の代では養蚕を生業としていて、敷地には一棟丸々蚕だけが住む、蚕室が建っていました。近所は農業や養蚕をする、いわゆる同業者の集まりで、仕事も生活も大きく様変わりしていく時代を、苦楽を共にし乗り越えてきた仲間でした。小学校の頃、家に帰ると必ず向かいの道路に軽トラがとまっていて、近所に住む親戚のおじさんが、縁側で自分が手入れをした庭を眺めながらお茶をしていました。その間に何人もの近所のおばさんが来ては、野菜を置いて行ったり、何故だか新しい肌着を置いて行ったり。きゅうりなんかうちでも山ほど採れてあるのに、「いーから食えし!遠慮しんでいい!(いいから食べて!遠慮しないでいいから!)」と縁側に置いて、小走りに帰っていきました。「ちっと待てし!(ちょっと待って!)」とうちの祖母。昨日誰かからいただいたお菓子の袋を、丁寧に開いてとっておいた包装紙にさっと包み、「いつもわりーじゃんね。ちっとばっかだけん。(いつも悪いね。ちょっとばかりだけど。)」と何食わぬ顔で渡していました。肌着にいたっては、「オレが着るじゃあ、派手すぎるじゃん。おばさんの方が若けぇだからぁ。ほれ、よく似合うだからいいじゃんけ。着ろし。」(ここまできたら、何と言ってるかわかりますよね笑)といって、年などほとんど差のないおばあさんの間をピンクの肌着が行ったり来たりしていました。

小学校から帰ると毎日のようにある我が家の風景。とにかく誰かがいる。双子の私は、縁側でタバコをふかすおじさんに「ひてぇぐちに名札を貼らんとな」(おでこに名札を貼らなきゃな)と毎日毎日それこそ毎日言われ…。若干うんざりしつつ、ランドセルを置いた私は、一つ上のお姉ちゃんにまるで金魚の糞のようにくっつき歩き、憧れの上級生に何とかかまってもらおうといつも必死で。気がつくと、2年生くらいから6年生まで、遊ぶ子どもたちの年齢も様々に入り乱れ、近くの保育園の園庭で野球をしたり、お金もちの友達のうちに上がり込んでめずらしいおもちゃで遊んだり、近くの沢で沢蟹を捕まえたり。自分の足で移動できるすべてのエリアを自由気ままに遊び歩いていました。

今になって、何故こんなに年齢の違う子ども同士が普通に毎日遊んでいたのかと思います。スポーツや習い事ではない「地域」というつながりで、ただ一緒に遊ぶ異年齢の集団。ふと振り返ると、地域の自治会には「育成会」という、おじさん10人ばかりからなる、青年育成のための組織がありました。何故おじさんばかりなのかという疑問は未だはっきりわかりませんが、月に1回「こどもクラブ」と言う名の集まりがあり、公民館におじさんと小中学生が集まり、廃品回収、墓地の清掃、お祭りなどさまざまな地域の行事を企画運営していました。話し合いは全て子どもが進行。書記が一番人気のポジションでした。おじさんは決まったことを全力でサポートしてくれました。私たちはおじさんを「〇〇のおっちゃん!」と呼び、「しずかにしろ」と言われても聞くわけでもなく、本当に好き勝手やりたい放題。でも清掃や行事の日が大好きで、一生懸命お手伝いしておっちゃんたちに褒められ、誰かの役に立てることが本当に嬉しかったです。このように、私は「こどもクラブ」で大なり小なりのいざこざも含めてたくさんの経験をさせてもらいました。

地域には本当にいろいろな人がいました。特に大人の人たちは様々で、陽気に冗談ばかり言うおっちゃんもいれば、ほとんど喋らない無口なおっちゃんがいたり。立ち話が一向に終わらないおばちゃんがいたり、めちゃくちゃ怒るおばちゃんがいたり。縁側で繰り広げられる人間模様をずっと見てきた中で、いろんな人たちがいることを知り、そんな多様な大人たちと日常的に交わりながら、子どもなりに人との付き合い方のようなもの学んでいた気がします。そして何より、地域に自分を知ってくれている人がたくさんいて、「さおりちゃん」と気軽に呼んでもらえる場所があること。見守ってくれる人がいること。故郷を離れても、そういう場所で暮らした日々が心の奥にあることが安心につながり、ふとした時に私を勇気づけてくれるのです。

現在、国分寺で暮らし、近所に知り合いも増え、親子ひろばや遊び場でたくさんの親子さんと出会い、息子も私も支えられながら暮らしています。そして『ちょうど良い居場所』の日は、史跡でゴザに座りながら、ふと「おっちゃん」ならぬ「おばちゃん」の視点で、地域の子どもを眺めている自分に気がつきます。「ただいま」と駆け寄ってくる子たちの表情をみて、疲れていないかな?なんかいいことあったのかな?と憶測したり、先週来た子がいないと心配になったり、逆に新しい子と出会うと妙にテンションがあがったりします。(私はおせっかいなおばちゃんの類なのだと思います。)自分の子ではないけれど、何となく目の端に入れ、こっそり見守ろう。そんな気持ちでいます。そして、私が昔出会った大人と同様、自分も含めいろんな人が集います。あやとりと木登りの名人はチャレンジしたい子どものあこがれです。地元の水道屋さんはふらっと来ては、子どもと全力で追いかけっこをしています。近所の幼稚園のお母さんたちは、見守り方が本当に素敵で、日が暮れるまでのびのび遊ぶ子どもたちに優しく寄り添っています。お互い真面目な話はしないけれど、関わり方を見ていると、みんなが子どもたちに対して、あたたかい気持ちで接しているのがよく分かります。


ぶんじ寮のある元町地域は36年以上続く、冒険遊び場・国分寺市プレイステーションがあった場所です。私も足繁く通いましたが、まさに私の育った田舎と同じ懐かしい雰囲気のある場所で、大人も子どもも集い毎日のびのび過ごしていました。しかし今は移転したため跡形もなくなり、そこに居た皆がちりぢりになってしまいました。この地域にはそんな日常的な居場所をなくした子どもや大人がたくさんいます。コロナの影響もありつながることも倦厭される中、先日開催されたぶんじ寮の清掃には、地域の親子がたくさん参加しました。せっせとお掃除する子もいれば、部屋を隅々まで探検し、最後は屋上で運動会をする子もいて、それぞれが新たな出会いの場に期待を膨らませているようでした。ペンキ塗りでは、他の子どもは帰ってしまっても、自分は塗る!と頭にペンキで白髪を作りながら最後まで塗り切る子もいました。子どもがすっと溶け込みのびのびしていられるのは、もともと地域で大人も子どもも日常的に交わり成長してきた土台があることに加え、ぶんじ寮に関わる大人たちが、子どもを温かく迎え入れようとする気持ちを、子ども自身がしっかりと感じているからだと思います。

門をすり抜け、「ただいま」と帰る子どもの目に、これからどんな日常が映るのでしょうか。私の脳裏に浮かぶ故郷での日々のように、ぶんじ寮での日常が地域の子どもたちの故郷の風景の一部となり、いつか挫けそうになった時の心の支えになる。そう信じて、ぶんじ寮が一人一人の大切な居場所になるよう、みなさんと一緒につくっていきたいです。

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  • 3000

    歩きます!

    • 1円=1歩換算で、歩きます。
    • ぶんじ寮プロジェクトをご支援くださっていることの証になるようなもの
    • 2021年11月 にお届け予定です。
    • 285人が応援しています。
  • 10000

    なわとびを跳びます!

    • 1円=1回換算で、なわとびを跳びます。
    • ぶんじ寮プロジェクトをご支援くださっていることの証になるようなもの
    • 2021年11月 にお届け予定です。
    • 152人が応援しています。
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    走ります!

    • 1円=1メートル換算で、走ります。
    • ぶんじ寮プロジェクトをご支援くださっていることの証になるようなもの
    • 2021年11月 にお届け予定です。
    • 17人が応援しています。
  • 100000

    名前を、刻みます!

    • ぶんじ寮のどこかに、お名前を刻みます。
    • ぶんじ寮プロジェクトをご支援くださっていることの証になるようなもの
    • 2021年03月 にお届け予定です。
    • 13人が応援しています。
  • 300000

    お話、伺いに行きます!

    • 個別に、思いを伺いに参ります。*現地までの交通費(遠方の場合)は別途ご負担をお願いします。
    • ぶんじ寮プロジェクトをご支援くださっていることの証になるようなもの
    • 2021年03月 にお届け予定です。
    • 2人が応援しています。