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国分寺に、旧社員寮を改修した「まちの寮」を。誰もが安心して自分自身でいられる場所づくりをクラウドファンディングで実現!
旧社員寮を改修し、まちの寮をつくります。畑仕事や掃除、ごはんづくりなどを共にすることで家賃は3万円。広い共用部はまちとの接点ともなり、おとなもこどもも入り交じりながら、安心と冒険とが同居する一人一人の居場所となります。
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畑仕事とか、ごはんづくりとか掃除とかおうちの修繕とか、そういうのをみんなで担う前提で家賃は3万円とかで、食費もあんまりかからなくて、おとなもこどもも入り交じりながら、自然ともうまく付き合いながら、まちともつながりながら、みんなで持ち寄ってつくる、安心と冒険とが同居する一人一人の居場所。 ▼ご興味お持ちいただけた方は、下記フォームよりご回答いただけましたら、今後のご案内等ご連絡させていただきます。 https://forms.gle/LAzyDZqnoebvM8hp8
旧社員寮を改修し、まちの寮をつくります。畑仕事や掃除、ごはんづくりなどを共にすることで家賃は3万円。広い共用部はまちとの接点ともなり、おとなもこどもも入り交じりながら、安心と冒険とが同居する一人一人の居場所となります。
どうもこんにちは。
東京の国分寺で、クルミドコーヒーと胡桃堂喫茶店という2つのカフェをやっている影山と申します。
12年前、おんぼろになってしまった実家を建て替えるとなった際、せっかくならまちの縁側となるような場所をつくりたいとカフェを始めることを考え、できたのがクルミドコーヒーでした。それまでは、たいして愛着も期待も抱いていなかったような我がまちですが、お店の日々を通じて、お客さんに支えられ、大事な仲間たちと出会い、忘れられない瞬間や風景を目の当たりにしてきたことで、今では地球上で一番好きな場所になりました。
そんなまちでこの度、仲間たちと一緒に、「まちの寮」を始めることにしました。
今回の場所は、国分寺駅からも西国分寺駅からも徒歩20分くらい。アクセスがいいとは言いにくい立地ですが、すぐ近くには旧国分寺跡地、七重の塔跡地など史跡公園があり、またふた筋入ると「名水百選」にも選ばれた清流添いの小径 ”お鷹の道” があるなど、自然にあふれ、心落ち着く風景にめぐまれた環境です。
この物件は、旧社員寮。この3月まで、国分寺に本社を持つ会社の独身寮として運営されてきた建物です。2つの棟に分かれ、それぞれ築50年ほどと古い物件ではありますが、頑丈な造り。また丁寧に使われてきたことが伺われる館内設備で、いま「第二の人生」に向けて、静かに佇んでいます。
「寮」というと、住む人のための場所という印象を持たれるかもしれません(今回も20室あります)が、今回のチャレンジはその範囲にとどまりません。敷地が大きいですし(222坪)、広い食堂や中庭、屋上スペース、畑など、豊かな共用部を備えています。こうしたスペースを活用して、まちとつながりながらの場づくりを思い描いています。またゲストルームも設けることで、家出や夫婦げんかの際の一時避難所となるほか、遠方から国分寺に滞在される方とのご縁を結ぶきっかけになればとも思っています。
一人一人のプライバシーや自由を尊重しながら、それでも他者と関わることの可能性をあきらめない、風通しのいい関係性を育む「まちの縁側」。それは自分にとっては、このまちでカフェという形で取り組んできたことから自然と連なるものでもありました。そこに、やろう!やろう!と、面白がりでノリがよく、愛情深いまちの仲間たちが1人、また1人と集まってきてくれて、このプロジェクトが動き出したのです。
寮というと、企業(社員寮)とか学校(学生寮)とか、そうした単位でつくられるものが多いと思いますが、ぼくらがつくるのは「まちの寮」です。おとなもこどもも入り交じりながら、みんなで持ち寄ってつくる、一人一人の居場所。名前を「ぶんじ寮」としました。
もっとも、「居場所」という言葉、簡単なようで難しいですね。定義するとすれば、「安心して、自分自身でいられる場所」となるでしょうか。
職場や学校では、こうしなきゃいけないという規範やルール、求められる役割があり、そこに自分を合わせなきゃとなるケースも多いでしょう。人によっては、家庭がそういう場だという人もいるかもしれません。そうした「枠組み」にうまくなじめる人であればいいのですが、そうでない人にとっては、今の社会では、途端に「居場所」を見つけることが難しくなります。
また、おとなになってみると、自分の住む家や部屋に対して支払わなければいけない家賃の大きさ、その負担の重さにびっくりします。朝から晩まで汗水流して働いて、稼いだお金のけっこうな割合が家賃として消えていきます。不本意な、苦しい労働環境だったとしても辞めることができない大きな理由が、家賃が支払えなくなるからというケースもあるのではないでしょうか。住む環境は、生きることのきわめて基本的な条件の一つであるにもかかわらずです。収入が不安定になると途端にいられなくなる。連帯保証人がいないと契約できない。そのような状況にある住まいが、本当に「安心していられる場所」だと言えるでしょうか。
ぶんじ寮は、住む人も、その共用部に集い、関わる人も、みんなの持ち寄りでつくり、育てていく場所にしたいと考えています。寮の掃除や、畑での野菜づくり、かわりばんこで互いのごはんをつくること、簡単な修繕やDIYも。一人でやるとなると辛いことでも、みなでやったら楽しくできるということもあるでしょう。また、そうして一緒に汗をかく時間があることで、お互いのことをいっそう深く知ることができたり、関係性が深まったりするということもあると思います。
そして、みんなの持ち寄りでつくることで、お金に頼る部分を少なくできると思うのです。上に書いたような生活の領域を、普段ぼくらは誰か別の人にお金を支払うことで成り立たせています。それぞれが自分の得意な領域に特化し、分業することで社会全体の生産性が上がる。また、GDP(国内総生産)も大きくなる。でもその分、自分もお金を稼がなきゃいけないという循環にはまっていきます。
掃除をすること、ご飯をつくること、野菜を育てること、家の修繕をすることは、めんどくさいことでもあるでしょうが、自分の心や体の使い道として、生きることの大事な一部であるとも思うのです。持ち寄ってつくるとは、全人的に生きることを取り戻すということでもあります。社会の機能的なパーツの一つとして生きるということを超えて。
その結果、住むことの家賃を3万円くらいに抑えられるのではないかと試算しています。そして、共用の電気代・水道代・ガス代が5,000円くらい。その上で、この場をいかしてのイベントなど、ぶんじ寮として自然な形で収入をつくり出すことができれば、家賃や共益費をさらに抑えることもできるようになるかもしれません。この辺りの会計はすべてオープン・明瞭にし、住む人、関わる人、みなで相談しながら考えていくつもりです。
ちなみにぶんじ寮の大家さんも地元の方です。そして今回のプロジェクトの趣旨を聞き、家賃や保証金、建物の使い方などの条件を大きく譲ってくださいました。そういう点で大家さんも、今回のこのプロジェクトに持ち寄ってくださっているお一人です。
ただ、それでもお金が必要じゃないかという指摘があるかもしれません。それはその通りです。それに、ぼくはお金そのものが悪いとは思っていません。それに頼りすぎな現状がよくないと思っているのです。お金がないと途端に生きていくことが不安で、不安定になる社会構造を少し変えられないかと思っているのです。お金そのものは、時間と空間を超えて、お互いの仕事の交換を媒介してくれる、とても便利な道具です。だから、ぼくらの標語は「お金に頼るのを半分にする」。生きるために必要なお金を半分くらいにできたなら、働く選択肢も大きく変わり、生きることの安心感はずい分と高まるのではないでしょうか。
その上で、ぶんじ寮として、力を合わせて健全に稼ぐことだって、前向きに考えたいと思っています。それは、この場で価値がつくり出され、そのことをよろこんでくださる方がいることの表れだと思いますので。そうして得た対価は、誰か特定の人が独り占めするのではなく、住む人や集う人のため、そしてまちのために、いかしていこうと思います。
ぶんじ寮が目指すのは、最初に書いたように、まずは一人一人が安心して、自分自身でいられるような居場所づくりです。これは住む人にとっても、ゲストルームに泊まる人にとっても、食堂にごはんを食べに来る人にとっても、共用部へと遊びに来る人にとってもです。
訪ねてくれる一人一人、関わってくれる一人一人に、おとなにもこどもにも、「あなたはあなたのままでいい」と、互いに声をかけ合えるような場が育っていったらいいなと思っています。何かうまくいかないことがあったとき、人生に疲れたとき、誰かとけんかしたときでも、「あそこに行けばなんとかなる」と、思い浮かべてもらえる場所になれたなら本望だなと思います。
その上で、その先に起こるだろう、人と人とが関わることの可能性をどう目の当たりにできるかを楽しみにもしています。
もちろん、人と人とが関わればトラブルも起こるでしょう。でも個々の違いを乗り越えて、どう調整していくかは技術であり、経験だと思うのです。必ずしも、仲良くなる必要はないのです。むしろ学ぶべきはけんかの仕方であり、違う他人同士でどう折り合いをつけるのか、そのやり方なのです。そして、そういう技術や経験を一度、身につけることができたなら、他者と関わることが怖くなくなります。何かすれ違ったり、ぶつかることがあったりしても、「話し合えばなんとかなる」と思えたなら、自分の世界は大きく広がります。
帰れる場所、自分が自分でいていいと思える場所がある安心感、そして自分を受け止めてくれ、ときに刺激を与えてくれる他者の存在があること、これらが引き出すのは人間の冒険心です。
ぶんじ寮が、時間をかけていい関係性を育てることができたなら、それを土壌として、その先にたくさんの冒険心が芽吹いていくと思います。知らない世界に飛び込んでみること、自分を表現すること、新しいことを始めること。失敗したら一人ぼっちになって奈落の底に突き落とされると思ったら…。それでも挑戦できるという人はひと握りです。でも、ぶんじ寮なら大丈夫。その冒険であり挑戦を、あたたかく見守り、応援してくれる人がここにはいて、もし失敗したのなら帰ってくればいい。そしてまた、やり直せばいい。おとなも、こどもも。そのうち、いくつかの挑戦が、長い時間をかけて、ぶんじ寮発で、大きな花を咲かせることだってあるんじゃないかと思っています。
今回のクラウドファンディングでご支援いただくお金は、ぶんじ寮の改修費に充てられます。
具体的には、キッチン、ユニバーサルトイレ、シャワーブースがその主たる工事範囲です。なにせ築古の物件ですので、あちこちに傷みは出てきています。ただ今回、建築士さん、施工会社さんと相談をして、工事をする範囲は最小限にして、内装の塗り直しとか、渡り廊下のウッドデッキへの改修とか、中庭の整備だとかは、みんなで、DIYで、一部ワークショップなどを交えながら、根気強くやっていこうと思っています。ただそれでも、水回りの設備改修など、暮らすためのインフラ整備にはお金がかかります。
たとえばユニバーサルトイレは、「福祉のまちづくり条例」の整備基準への適合を目指すものでもあります。先に書いたように、実はぶんじ寮の周辺は風光明媚で、絶好のまちあるきのコースでもあります。ただこの界隈には、散歩中にちょっとひと息つけるところどころか公衆トイレもほとんどなく、歩く人々も難儀してきたような経緯があるのです。ですので、ぶんじ寮に、まち行く人も使えるトイレがあったならば、まちの大きな助けになることでしょう。
そしてキッチンの改修では、飲食店としての営業許可取得を目指します。実はぶんじ寮の立地するエリアは、つい先日まで「第一種低層住居専用地域」であり、お店をやるにしても50㎡までしかできない地域でした。それがなんと、どういう機運か、この10月1日から用途地域が変わり、「第二種低層住居専用地域」となったことで、150㎡までのお店を開設することができるようになりました。ぶんじ寮のキッチン/食堂は、住む人が互いにごはんをつくり合う他、「ぶんじ食堂」として、国分寺界隈で流通する「地域通貨ぶんじ」だけでもごはんが食べられる場所として運営する予定です。そうした際に、キッチンが営業許可取得の要件を満たしたものであることは、より安心して食堂運営ができるようになるほか、地域に開いていく前提条件にもなっていくだろうと思います。
こうした改修費を、クラウドファンディングに頼らず、銀行等からの借入で賄うという手もありますし、上記のように「お金に頼りすぎない」とかっこよく言うんであれば、そこも含めて自分たちでなんとかしろというご指摘もあるだろうと思います。ただ、最初の「土台」が欲しいのです。
今回ここで募集する金額は、10年間を想定するプロジェクト期間中に、なんとか自活的に稼ぐことを目指したいと思ってはいます。ただ、資本も十分にない中で動き始めた今回の挑戦。また、シェアハウスの運営という捉え方ならまだしも、「まちの寮」というこれまでになかったような場のつくり方。その先に控える予測不可能性を含めて、特定の誰かがそのリスクのすべてを背負わなければいけないとなると、果たして誰にそれができるのか…。
このクラウドファンディングは、そうしたぼくらの弱さ、不十分さを、みなさんに少しずつ支えていただけないかというお願いです。みなさんにも、持ち寄っていただけないかというお願いです。
もし、ぼくらがこの先うまくやれて、ここでご支援いただいた金額分をちゃんと自力で稼ぐことができたならば、プロジェクト期間を経て、その金額分のお金がぼくらのお財布には残るはずです。もしそうできたなら、そのお金は、みなさんにはお返しできなかったとしても、ちゃんとまちへ、次の展開や次の世代へ、いかしていくことをお約束します。
クラウドファンディングには「リターン」がつきものですが、ここはぼくらの中でも大激論になりました。
この文章でも何度も出てきた「持ち寄る」とは、ギブし合うということでもあります。テイクし合うではなく、ですね。ぼくらは、できれば関わるすべての人々の「ギブ」を持ち寄って、このプロジェクトを形にできないかと考えています。一方、何かの料金が割引になるとか、イベントに参加できるとか、オリジナルグッズがもらえるとか、そういったリターンを目当てとしての支援には、テイクよしての性格があると思うのです。本当はそういう動機ではなかったとしても、リターンと取引する形での支援となることで、図らずも要望や権利主張の気持ちを刺激してしまうのではないかと思うのです。○○コースに支援したんだから、あれしてくれ、これしてくれ、という具合に。
またぼくら側としても、支援へのリターンとして、たとえば「サンクスレター」を設定したとすると、本当は、自然な気持ちの表れとして書きたい感謝のお手紙が、リターンとなった途端、義務として「書かなければいけないもの」になってしまうことへの違和感があります。
もっと自然な形で、応援の気持ちと感謝の気持ちを交換できないか。そのことをみなで考え続けた結果、今回のクラウドファンディングでは「リターンなし」とさせていただけないかと思っています。ただ、応援してくださるお一人お一人への感謝の気持ちは、誰にも負けずぼくらの中にありますし、お一人お一人に「応援してよかった」と思っていただけるように、プロジェクト期間を通じて「お返し」していきたいと思っています。
そして本当は、このプロジェクトに支援をしてくださる方に、ぼくらが最もお約束すべきリターンとは、このプロジェクトを成功させることだとも思っています。いただいた応援の気持ちは、みなさんにお返しするだけでなく、このぶんじ寮がいい場へと育つことに力を注ぐという形で、循環させていこうと思います。そのことをご一緒によろこんでいただけたなら、こんなにうれしいことはありません。
ただ、です。リターンなしと言いつつも、支援したことへの反応が何も見えないのだとすると、さすがに甲斐がないと感じられるかもしれません…。
そこで、ぼくらは、みなさんからの支援の大きさであり重さを、体で感じる方法を考えました。
3,000円コースに集まった金額に応じて、1円=1歩換算で、歩きます。
10,000円コースに集まった金額に応じて、1円=1回換算で、なわとびを跳びます。
30,000円コースに集まった金額に応じて、1円=1メートル換算で、走ります。
それぞれ、企画メンバーで手分けして、1年間のうちに実行します。みなさんからの1円が、それぞれ1歩や1回、1メートルとなって、ぼくらの体にダイレクトに迫ってきますから、応援に込めていただいたみなさんの熱量、その大きさや重さを、ぼくら一人一人、より全身で実感することになるだろうと思います。
特にトリッキーなのは10,000円コースで、仮にこのコースにご支援くださる方が100人いた場合、計100万回、なわとびを跳ばなければいけないことになります。企画メンバーが13人いるとはいえ、それでも1日平均210回はなわとびを跳ばなければいけないことになります。しかも今回のメンバーは決して肉体派というわけではありません。平均年齢は40歳前後です。それでもちゃんと跳ぼうと思いますし、跳んでる様子はSNS等でご報告させていただこうと思います。
また、30,000円コースも、予断を許さないコースです。仮にご支援くださる方が35人いたとすると、その距離はぶんじ寮から、ほぼ福岡の天神駅まで。もし60人いたとすると、上海まで行くことになります。
もちろん冗談で茶化すつもりはありません。今回のプロジェクトはぼくらなりにとても真剣なチャレンジだと思っていますし、こうしたクラウドファンディングでご支援いただくことも、とても大切に、丁寧に扱わなければいけないことだと思っています。ただ、そこにひと振りのユーモアを添えて、明るく楽しく、体温の伝わるような形で、挑んでいけたらなと思うのです。
100,000円コースは、ぶんじ寮のどこかに、お名前を刻みます(刻むお名前は、公序良俗に反しない範囲で、ご自由にご指定ください)。刻んだお名前、見にいらしていただけたらうれしいです。
300,000円コースにお申込みくださった方には、企画メンバーがお話、伺いにまいります(あまりに遠方の場合はオンラインにてご容赦ください)。これだけの金額をこのプロジェクトに投じてくださるということは、きっとそれだけの熱い何かをお持ちということではないかと思いますので。お話、伺った上で、そのお気持ち、できる限りぶんじ寮にも投影していけたらと思います。
今回、集まった金額がもし目標額に達しなかった場合でも、ぶんじ寮プロジェクト自体は前に進めます。ただ、家賃設定は見直さなければいけないことになるかと思います。また、有償での場所貸しなど、自力で稼ぐことによりエネルギーを向けなければいけなくなるかもしれません。ただ、極端にそういう方向に流れてしまうと、本プロジェクトの趣旨自体が変わってきてしまいますので、できれば避けたいところです…。
このぶんじ寮の「経営」を一緒にやる!と集まったメンバーが13人います。
報酬があるわけでもないのに、やるとなったらそれなりに大変なのに…。それでも、このまちにこういう場があるといいねと共感し、集まってくれました。みな、頼りになる、持ち寄りスピリットにあふれたメンバーです。
そういう意味で、ここまでお読みくださったこの内容は、ひとまず一番手としての自分(影山)が抱いている問題意識であり、アイデアだと思っていただくといいかと思います。この先、メンバーの数だけ、さらには関わってくださる一人一人の分だけ、その内容が深まり、広がっていくというのが今回のこのぶんじ寮プロジェクトの面白みです。
今回、あれこれ書いてきましたが、結局、今という時代の生きづらさの大きな原因には、あまりに「自助」や「自己責任」に委ねられてしまっている現実があるのだと思っています。
それは自由で気ままであるといういい面はありつつ、一方、孤独で誰にも頼れず、その分、お金に依存せざるを得ず、すべて「個」を単位に考えなければいけない分、経済的に非合理でさえあるという…。
ぶんじ寮プロジェクトは、そこに「共助」を持ち込もうとする試みだとも説明できるかもしれません。困ったときはお互いさま。誰かのでこぼこが、また別の誰かのでこぼこの助けになることがある。みなで持ち寄ってつくって分けるから経済的で、より豊かなものをシェアできる。人は人によって傷つくこともあるけれど、同時に癒されもするし、励まされもする。
そして、ぶんじ寮を一つの拠点として、ここでの関係性が沁み出すように、やがてまちへと広がっていったなら、いずれ国分寺というまちそのものが、安心と冒険の同居する、一人一人の居場所になっていくと思うのです。
長文、ここまでお読みくださってありがとうございます。
ここから、ご一緒できますこと楽しみにしております。
ぶんじ寮で、お会いしましょう。
3000 円
10000 円
30000 円
100000 円
300000 円