『霊的ボリシェヴィキ』公開直前イベントレポート・前編!
vol. 4 2018-02-06 0
いつも『霊的ボリシェヴィキ』の応援ありがとうございます。いよいよ渋谷での公開まであと4日となりました。
渋谷ユーロスペースでは21:00〜の上映となりますので、忘れずにお越しください。
さる先日、1/30にLOFT9Shibuyaにて、公開直前イベントが行われました。今回はそのイベントについてのレポートを高橋監督自らが書き下ろしたので、是非お読みください。
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私たちは何を話したのか?
「“霊的ボリシェヴィキ”とは何か?ー知られざるディープオカルトの世界ー」レポート
登壇者 武田崇元(“霊的ボリシェヴィキ”提唱者)、韓英恵(『霊的ボリシェヴィキ』主演)、木原浩勝(作家、怪異蒐集家)、白石晃士(『不能犯』監督)
司会:高橋洋
(左から高橋洋、武田崇元、韓英恵、白石晃士、木原浩勝)(敬称略)
『霊的ボリシェヴィキ』の予告編が流れて…。
武田崇元さん曰く「1・30公開直前渋谷総決起集会!」が始まった。
まずは予告編でも触れた『共産党宣言』出版とハイズヴィル事件が同じ1848年だという不思議なシンクロニシティについて。
白石監督が「『共産党宣言』って何ですか?」と軽くジャブを入れる。
今日の白石監督はあくまで一民間人になりすまして、韓英恵さんをフォローするつもりだ。
でも『共産党宣言』を知らないのはマジだと言う。
確かにマルクス=エンゲルスって誰?が現代なのかも知れない。
20世紀に目も当てられないような頓挫をした狂った理想…。
実は、共産主義運動の発火点とも言えるこの書物は、ある不吉な書き出しから始まっているのだ…。
では、ハイズヴィル事件とは何だろうか? ごく一部の人しか知らなくて当たり前の事件だ。
ここは木原浩勝さんに大いに語っていただいた。パンフでも詳しい解説を書いて貰ったが(この事件をきっかけに今でも使われているある有名な言葉が世間に浸透したのだ)、そこにも書かれていない(というか字数オーバーで書けなかった)、不可解な後日譚まで…。
さてそろそろ、本題の「“霊的ボリシェヴィキ”とは何か?」に入らねばならない。
一番激しく疑問に思ったのは主演する立場の韓さんである。
「一体何なんですか?」と現場でも監督に質問したそうだが、監督の返答は
「実はよく判らない」
“霊的ボリシェヴィキ”なる言葉の本質は、その意味内容がよく判らなくても、人を魅了してしまうパワーにある。
はっきりしてるのは、その根底には破綻した理想があるということ。
そして“ボリシェヴィキ”とはロシア革命を指導したレーニンが率いた革命党の名称であり、この理想はしばしば“ボリシェヴィズム”とも称されていたことである。
失われた理想に“霊的”がついたトタン、発せられるこの不気味な磁力は何なのか…?
ここは提唱者の武田崇元さんに語ってもらわねばならない。
武田さんはまず1968年を一つの頂点とする世界的な左翼運動の高揚について触れる。
今となっては想像するのも難しいが、かつては出版メディアで堂々と革命が語られ、アジテーションの論文が載る時代があったのだ。特にどういうわけか映画批評誌が過激であった。もちろんそこで語られるのは現実レベルの革命であって、霊的なヤツじゃないんだが…。
武田さんはその真っ只中を生きて来たのだ。
ここで一つ、武田さんと後続世代の我々とでは“霊的ボリシェヴィキ”の受け止め方が違うことが見えてきた。
我々にとっては先述のごとく“ボリシェヴィキ”に“霊的”が憑依した、そこで一気に飛躍が起こったような言葉であった。
だが、生みの親である武田さんにとっては、左翼運動とディープなオカルト探究は同時代に並走する2つの潮流であって、この2つが合流したところに“霊的ボリシェヴィキ”は生まれたわけである。
それは紛れもなく、既成の概念が更新され、ジャンプする瞬間であったが、起こるべくして起こったことなのかも知れない。
しかし、さらに武田さんに問わねばならない。
“霊的ナチ”や“霊的三島由紀夫”が“霊的ボリシェヴィキ”のようなインパクトを持ち得ないのは、おそらくはファシズム的なるものにはあらかじめオカルトが内包されていることの同語反復感が伴うからだろう。
ファシズムは何故、オカルトを内包するのか? そしてファシズムとは真逆で、かつバリバリ唯物論のボリシェヴィキがオカルトを内包するとはどういうことだろうか?
武田さんは言う。ファシズムとはそもそもは保守反動ではない。大元は国家変革の運動である点でボリシェヴィキと通じ合う。
これはその通りだ。極右と極左はその急進的な改革運動においてしばしば繋がるのである。
だが、ここで…、おそらくは“霊的ボリシェヴィキ”の要となるテーゼが武田さんの口から語られる。
オカルトと政治が近接する時、そこでキーとなるのは「古代の神々の復権」である…。
武田さんの語りはボルテージを上げ、“伝統主義”を掲げたフランスの思想家ルネ・ゲノン、そのルネ・ゲノンをオカルト的に読み替えたイタリアのファシズム思想家、ユリウス・エヴォラ、そして現代ロシアの新ユーラシアニズムにまで影響を及ぼしたエヴォラの主著『ペーガン(異教)帝国主義』と次々と聞いたこともないような固有名詞が飛び出して、韓さんの表情は困惑に曇った。(実は楽屋での打ち合わせでは、これに加えてオッセンドヴスキーとかアガルタ!なんて言葉も飛び出して、さすがにもう無理状態になった韓さんを気遣い、本番では武田さんも自制したらしい)
今、会場はディープ・オカルトのモードに入った! そしてそれは容易にはついてこれない世界だった…。
武田さんの語りは止まらない。
「みなさん、イタ公を舐めてるでしょう? 三国同盟で一番頼りにならなかったから!」
初めはイタコに聞こえて、何で突然イタコ?と思った人も多かったと思うが、イタリアの話である。
イタリアは戦争では目立たなかったけど、思想的にはユリウス・エヴォラを生み出したのだ!
「古代の神々の復権」、カソリックを否定し、古代ローマの神々を導入しようとしたエヴォラ…。
今、最重要の概念に触れているのだが、ディープ・オカルトに触れる耐久時間には限りがあるようだ。
木原さんが助け舟を出した。
「もうちょっと判りやすいオカルトの話、しません?」
会場もホッと空気がなごんだ。
「古代の神々の復権」についてはパンフ掲載の武田・高橋対談をお読み下さい。
話題は木原さんが語る「百物語という降霊実験」へと移ってゆく…。
(つづく)