装丁家緒方修一さんからの応援コメントいただきました
vol. 12 2025-12-24 0
興味のない人には、本は本でなくゴミとして目に映るはずだ。用がないのだから無理はない。ながい間ずっと本にかかわってしまった自分など、人生の大半をゴミづくりに費やしてきたわけだ。本のある景色の中で、道端に紐でくくられ放置されている光景ほど心を揺さぶられるものはない。日焼けし角は破け、最後は鍋敷きとして頑張った単なる紙の束の生涯に頬ずりしたくなる。パンにも同じことが言える。冷蔵庫の奥で息を潜めて硬くなったパン。ノートパソコンに押され面影すら失ったパン。恋人と分けようとしたのに八対二に引き裂かれてしまうパン……。〈パンとお話 Appleの発音〉のガラスケースに列ぶパンがいつも眩しいのは、私個人の後ろめたさや、ご主人のイケメンぶりだけでなく、パンたちに言語があることに気づいていたからだろう。
(装丁家/緒方修一)
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