【スタッフ対談 | 遠山昇司 × 志娥慶香】音楽について、監督と語る
vol. 4 2022-09-21 0
本作の脚本・監督を務めた遠山昇司と、音楽を担当した同郷の志娥慶香さん。どのように世界観を共有し音楽をつくっていったのか、制作を振り返りながら「映画と音楽」についてオンラインで語りました。
特異な経歴をもつ志娥さんと遠山監督との出会い
遠山昇司(以下、遠山) 僕が大学院生のときに同期と一緒に『あっちこっちパッパ』っていう無声映画を企画したことがあったんですが、無声映画なので、上映するときにライブで演奏してくれる人を探していました。そのときに僕と同じ熊本出身の志娥さんにピアノの演奏をしてもらったのが最初ですよね。
志娥慶香(以下、志娥) そうです。2010年頃の話で、突然、熊本の情報誌のライター兼カメラマンをやっていた共通の知り合いから電話がかかってきたのです。
遠山 面識のなかった志娥さんを紹介してもらって会うことになったんですけど、キャリアにボストンのバークリー音楽大学出身とあって。僕もボストン大学に留学していたので、盛り上がったのを覚えてます。
志娥 無声映画には活弁士が必要なんですけど、その映画では誰がやるのかなと思っていたら、なんと私が何回も共演をしていた麻生子八咫(あそう・こやた)さんだったんです。遠山監督はもちろんそのことは知らなかったですし、そんな不思議な縁もありました。
遠山 志娥さんには、それ以来、僕が監督した映画の音楽をずっと担当してもらっています。『NOT LONG, AT NIGHT −夜はながくない−』『マジックユートピア』『冬の蝶』、そして、今回の『あの子の夢を水に流して』で4作品目です。
二人にとっての“映画音楽”とは
遠山 志娥さんは、バークリーでいわゆる“映画音楽”を勉強していて、映画のフレーム単位で、登場人物の動きや感情の変化、背景の変化に合わせて音を設計しています。これはまさに映画音楽をつくるプロの仕事で、それができる人は本当に限られるのです。映像と音楽のセッションをいい感じでやるとかいうことではなく、映画音楽を専門に、設計が緻密に行われているという意味で、僕の中で絶大な信頼があるんです。「映画を構成する半分の要素は音・音楽」で、そこを担ってもらっているということでもあります。
志娥 私は幼い頃からハリウッド映画が大好きで、『E.T.』や『STAR WARS』など、ハリウッド映画音楽ばかり聴いて育ちました。物語と映像が寄り添って、かつどちらも完全無欠な状態で映画になっているということに、子どもなりに感動していたんです。幼い頃から自分で音楽をつくっていたのですが、いつも物語とか映像が浮かぶような音楽をつくっていました。音楽家になろうと決断したのは大人になってからで、私は映画音楽が好きだと改めて思ったんです。音楽のための留学を決め、バークリー音楽大学からパンフレットを取り寄せたら、そこに「映画音楽作曲科」っていうのがあって。瞬時に「ここに行く!」って決めました。
志娥慶香さん
遠山 留学したのが30歳だというから、普通ではないですよ。それまでは熊本の税理士事務所の事務など転々とバイトをしながらロックバンドの活動をされていて。バークリー音楽大学って映画音楽における世界の最高峰で、10代のときからそこを目指して訓練したり、勉強してから行くようなところ。地元で事務をしていた人が、その世界にいきなり飛び込んでいくっていうのは、いや、すごいですよ。キャリアが特殊です(笑)。
どのように本作の映画音楽をつくっていったのか
遠山 今回の作品は、まず水が出てきます。この映画の舞台である熊本は水がとても豊かなところです。志娥さんもずっと水をテーマにして音楽をつくっていたので、川が流れ、水が流れている映画を撮るにあたって、志娥さんの音楽がすごくマッチするという考えはありました。
志娥 テーマを決めているわけじゃないですけれど、水や川や海の曲が多いですよね。今回は“沈んでいる音楽”と“浮かんでいる音楽”をイメージしています。制作の進め方に関して言えば、今回の作品に限ったことではないのですが、いつもほぼ編集の終わった映像を見せてもらうようにしています。映像を見ながら、どこに音楽入れるか遠山監督とミーティングをします。この作業は、コロナ禍以前もオンラインでやっていました。まず、音楽を入れたいところを監督から大体聞いて、次の段階では「スケッチ」という即興的に演奏をして映像にはめ込み、監督に見てもらいます。その繰り返しで、2人で何回も何回も映像を見るのです。ある部分の音楽が変わっちゃうと、前後の部分も何か違ってきてしまって、ひたすら調整をする作業が続きます。
遠山 映画では、“心象”を音楽と映像で浮かび上がらせて見せているので、音楽が変化すると、その心象自体も変わるわけです。一つ変えると次の流れも変わってきちゃうので、微調整が発生していくんですよね。
遠山昇司監督
志娥 台本に関しては、私はいただいたときに1回ぐらいしか読みません。台本には「ここは悲しげな目で見つめる」とか書いてあるわけでもなくて、悲しいかどうかは演じる人が決めて表現をするもの。台本を読んでも映像として映ってこないんです。なので、出来上がってきた映像を見て、音楽を考えていきます。
遠山 今回の制作は、怖いぐらいスムーズでした。志娥さんのスケッチを初めて聴いたときに、ここの方向性はちょっと違うというやりとりが何ヶ所かあっただけだったんです。スムーズに進んだ大きな理由は、『三つの雲』という曲が届いて聴いた瞬間に「この曲を柱にして全てを構築させていけば問題ない」って、軸が決まったんです。
志娥 『三つの雲』は結構早めにできましたよね。「めっちゃ感動した」って言ってくれて。曲を送って緊張していたんですけど、それを聞いて安心しました。『三つの雲』は“浮かんでいる音楽”です。沈んでいるものを浄化させるような気持ちでつくったというか、優しい気持ちでいっぱいというか、辛いことも悲しいことも嬉しいことも幸せなこともずっと空から眺めていたよ、みたいな気持ちでつくりました。
映画における音楽の役割とは
志娥 いつもそうなんですけど、遠山監督の作品ってあんまり台詞がないというか、説明をしないんですよね。だからというか、音楽を入れてみて、初めてこういうことだったのかとかわかるときがあるんです。
遠山 さきほど「映画の半分は音・音楽」って言ったのは、まさにそのことだと思っています。半分の状態で志娥さんに見てもらって、志娥さんの音楽が補完することによって映画が出来上がるんです。
志娥 遠山監督の作品って綺麗なんです。映像がシュッとしていて、なんか無駄なものがそぎ落とされている感じ。ご当地映画なのに、その土地の人にそれを全然感じさせず、いつも見ている風景に対して「ここはどこ?」と思わせるような。絵画のように映し出すそれは「魔法」みたいなんですよね。
遠山 志娥さんの音楽がついたことによって、今回もこの映画が向かう方向が見えてきた感覚があります。映画において音楽というのは、その映像の意味を決定づけるものでもあるんです。音楽を入れることによってその映像のワンシーンに意味がしっかり浮かび上がる。音楽によって意味が決まっちゃうわけですから、すごい重要ですよね。ある意味、音楽が僕にとっての道しるべでもありました。
志娥 私は映画音楽をつくる上で、いかに物語に寄り添うかということを大切にしているので、音楽が目立ってしまう映画というのは、あまりよいことではないと考えています。それは物語に寄り添っていないことになるので、音楽がよかったって言われるよりも、いい映画だったと言われるのがうれしいです。映画が公開されたら、全国の方々にはもちろんのこと、ぜひ球磨川流域の方にも見ていただきたいです。球磨川の魅力を再発見し、災害からの復興に目を向けることができる映画だと思っています。
対談収録日:2022年9月6日 (Zoomにて)
編集:米津いつか
<プロフィール>
志娥慶香[しが・けいこ]1974年福岡生まれ、熊本育ち。作曲家・ピアニスト。アメリカのバークリー音楽大学で映画音楽作曲法を学び、ジョルジュ・ドルリュー賞を受賞し2008年に首席卒業。熊本を拠点に、様々なジャンルの演奏家への楽曲提供や、広告音楽・劇伴音楽を手がける。2016年よりフィンランドにて、音楽やアートを通じた文化交流を行うなど国内外で活躍中。https://keikoshiga.tumblr.com/
遠山昇司 [とおやま・しょうじ]1984年熊本県八代市生まれ。映画監督・プロデューサー・アートディレクター。脚本・監督を務めた『NOT LONG, AT NIGHT −夜はながくない−』(2012年)、『マジックユートピア』(共同監督:丹修一、2015年)、短編映画『冬の蝶』(2016年)がいずれも国内外で高い評価を得ている。精力的に映画制作を行い、アートプロジェクトや舞台作品などの演出を手がけながら現在に至る。さいたま国際芸術祭2020 ディレクター。https://www.toyama-shoji.com/