アルマ望遠鏡ができるまで:30年の歩み
vol. 2 2015-04-02 0
国立天文台でアルマ望遠鏡の広報を担当しています、平松正顕です。全世界に向けて公開されているアルマ望遠鏡観測データの新しい使い道として、ALMA MUSIC BOXを制作しました。さらなる展開としてのクラウドファンディングで、より多くの方に宇宙に触れていただければと思います。
さて、ここでは今回の音源のもとになった、アルマ望遠鏡計画のあゆみについてご紹介したいと思います。2013年に本格観測を開始したアルマ望遠鏡は世界最新鋭の望遠鏡のひとつですが、21の国と地域が協力する一大プロジェクトですので、その実現には実に30年の長い年月が必要でした。
アルマ望遠鏡パノラマ(画像提供:国立天文台)
東京ディズニーランドが開園し、ファミリーコンピュータが発売された1983年、長野県の天文台に勤める研究者グループの中で、巨大電波望遠鏡の青写真が描かれました。そこは、前年に最新鋭の電波望遠鏡を完成させ世界の最先端に躍り出た東京大学東京天文台(のちの国立天文台)野辺山宇宙電波観測所。直径45mのパラボラアンテナを擁する巨大な電波望遠鏡と、直径10mのアンテナを6台結合させる「ミリ波干渉計」の組み合わせは世界最強といっていい布陣で、天文学の世界を大きく塗り替えるような成果が期待されていました。しかしもちろん限界もありました。「惑星が生まれる様子をつぶさに見たい」「ビッグバン直後の銀河誕生の謎を解きたい」こうした欲求にこたえるには、さらに大きな望遠鏡が必要だったのです。
国立天文台野辺山宇宙電波観測所の45m電波望遠鏡(画像提供:国立天文台)
望遠鏡は、大きくすればするほど暗いものが見えるようになり、また天体の細かいようすが見えるようになります。ひとつの望遠鏡(アンテナ)の大きさには限りがありますが、アンテナをいくつもつなぎ合わせることで巨大な望遠鏡を実現することができます。野辺山ミリ波干渉計は600mの範囲にアンテナを設置できますが、さらなる宇宙の謎に迫るには、より広い範囲にアンテナを設置する必要がありました。そして、せっかくそれだけの大規模な望遠鏡を作るとなれば、観測条件(天候)も世界で一番のところに作りたい。1990年代初頭から野辺山の天文学者たちは、インド北部や中国西部など天気がよく標高の高いところを渡り歩き、観測条件を調べました。その結果見つかったのが、チリ北部のアタカマ高地でした。
チリ・アタカマ高地での気象条件調査の様子(画像提供:国立天文台)
ところで、天文学の研究の世界は、非常にオープンです。研究者たちは互いに自分の考えを披露しあい、活発に議論します。野辺山の巨大望遠鏡計画とほぼ時を同じくして、米国の研究者も次世代大型電波望遠鏡の計画を立ち上げました。そして10年ほど遅れて欧州の研究者も独自の計画を構想し始めます。この3者は頻繁に意見交換し、互いの良いところを取り入れていきました。その結果、3つの計画は自然と似たものになってきました。「似たもの3つを別に作るより、ひとつに融合して最高性能の望遠鏡を作ろう。」そうした声が研究者から自然と上がり、2001年、日米欧の3者は共同の合意書にサインし、現在の『アルマ望遠鏡』計画が誕生しました。
2001年、アルマ望遠鏡の共同建設に関する合意書にサインする日米欧の代表者(画像提供:国立天文台)
2003年にチリ現地で起工式が行われ、各国でアンテナや受信機などさまざまな装置の開発が行われました。ただ作ればよいというわけではもちろんなく、最高性能の望遠鏡を実現するため、技術的にもたいへんチャレンジングな目標を掲げての開発でした。予算承認が遅れたため日本は欧米に比べて2年遅れての参加になりましたが、高精度アンテナと受信機を着実に開発し、2008年に日本製アンテナが第1号機としてアルマ観測所に納品されました。このあたりの開発史については、また改めてご紹介します。
標高5000mに運ばれる、日本製12mアンテナ1号機 ©ALMA(ESO/NAOJ/NRAO)
2011年9月30日、アルマ望遠鏡は最初の科学観測を開始しました。最初の1年間に世界中の研究者から寄せられた1000件近くの研究提案(競争率は約9倍)が、研究者たちの期待の大きさを物語っています。ALMA MUSIC BOXのもとになった「ちょうこくしつ座R星」も、最初の1年間に観測された天体の一つです。もちろんこれ以外にも、さまざまな天体をアルマ望遠鏡が観測し、そのデータから天文学者たちはいろいろな宇宙の謎に迫ろうとしています。そうして解き明かされてくる宇宙についても、また別の回でご紹介できればと思っています。ご期待ください。
ALMA MUSIC BOXプロジェクトメンバー・平松正顕