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「谷口稜曄 聞き書き 原爆を背負って」英語版出版をクラウドファンディングで実現!
原爆の残酷な被害と苦しみを乗り越え、核兵器廃絶のために命を捧げた長崎の被爆者・谷口稜曄さんの人生を綴った「原爆を背負って」の英語版出版を支援するプロジェクトです。
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核兵器廃絶を目ざす国連認証NGOで活動中。運動を通じて英語を学ぶボランティアグループの仲間たちと一緒に、これまでにBurnt Yet Undaunted(山口仙二「灼かれてもなお」)、The Day the Sun Rose in the West(大石又七「ビキニ事件の真実」)など、被爆者・核被害者の本を翻訳・出版してきました。今回は山口さんの本に続き、日本被団協との共同で谷口稜曄さんの本の翻訳・出版に取り組みます。
原爆の残酷な被害と苦しみを乗り越え、核兵器廃絶のために命を捧げた長崎の被爆者・谷口稜曄さんの人生を綴った「原爆を背負って」の英語版出版を支援するプロジェクトです。
☆目標達成しました!ご支援に深く感謝します。7月31日の最終日まで引き続きご協力をお願いします。アップデート情報Vol.5をご覧ください。
The Atomic Bomb on My Back -- A Life Story of Survival and Activism of Taniguchi Sumiteru will be published coming August, commemorating the 75th anniversary of the A-bombing of Nagasaki. We ask for your kind donation to make it happen! (Please scroll down for English text and video)
原爆で焼かれ、血に染まった真っ赤な背中でうつぶせに横たわる少年。この写真を見たことのある方々は多いのではないでしょうか。1945年8月9日、郵便配達中に爆心地から1.8キロの地点で背後から原爆の熱線を浴びて被爆した谷口稜曄(すみてる)さん(当時16歳)です。瀕死の状態からなんとか救出されたものの、1年9カ月間はうつ伏せのまま体を動かすこともできず、入院生活は3年7カ月間に及びました。不自由な体と被爆者への差別、失恋に苦しんだ青年時代、絶望に自殺を図ったこともありました。しかし、何も言えず苦しんで死んでいった人たちの分も生き抜くと誓った谷口さんは、山口仙二さんとともに長崎原爆青年会を結成し、被爆者運動と原水爆禁止運動に献身しました。長崎原爆被災者協議会会長、そして日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表委員として、23回の海外遊説を含め、国の内外で核兵器廃絶を訴え続けました。そして核兵器禁止条約が締結されてから約2カ月後の2017年の8月30日に、88歳の生涯を閉じました。被爆者として生き抜いた谷口さんの壮絶な人生と、核兵器のない世界への揺ぎない思いを世界中の人々に伝える、それがこの英語版出版プロジェクトです。
This is Taniguchi Sumiteru (then 16 years old), who suffered the A-bombing on August 9, 1945 in Nagasaki. He was exposed to the intense heat and blast from behind at 1.8 kilometers from the blast center while delivering mail. It took him 3 years and 7 months before he was finally discharged from the hospital, including 1 year and 9 months, when he had to lie on his stomach, immovable.
Despite heavy injuries and unhealed scars on his body and facing discrimination against the Hibakusha (A-bomb survivors), Taniguchi decided to live on behalf of so many victims who suffered and died without voicing their sorrow or anger and to struggle for the abolition of nuclear weapons. He became involved in the budding movement against A and H Bombs in Japan, triggered by the 1954 Bikini hydrogen bomb test in the Pacific. Over the years, he led the Nagasaki A-Bomb Youth and Maidens Association, served as a co-chairperson of the Japan Confederation of A-and H-Bomb Sufferers Organizations (Nihon Hidankyo) and travelled 23 times overseas, testifying about the A-bomb damage and appealing for justice from both the U.S. and Japanese governments and for a nuclear weapon-free world. He spoke at a number of international conferences, including the 2010 NPT Review Conference held at the United Nations in New York (as in the campaign cover photo).
「谷口稜曄聞き書き 原爆を背負って」は、2013年7月から10月にかけて、西日本新聞に連載されました。著者の久知邦記者による谷口稜曄さんへの詳細なインタビューをもとに、谷口さん自身の語り口で綴られた回想録です。書籍版は、この連載記事に加筆・修正の上、2014年8月に西日本新聞社から出版されました。
この書籍が出版されると同時に、谷口稜曄さんは、友人の高草木博さん(日本原水協代表理事・「まえがき」執筆者)に、「英語に翻訳して世界の人々に知らせてほしい」との希望を託しました。そのよびかけに応え、英語ボランティアグループメンバーが分担して本文の英語訳を行いました。英語の校閲は、日本の平和行進に参加し、被爆者と交流したアメリカの青年平和活動家が行いました。最終稿の監修には、谷口さんをはじめ被爆者とも長く交流し、日本の平和運動の良き友人であるアメリカフレンズ奉仕委員会のジョゼフ・ガーソンさんがあたってくれました。翻訳原稿の完成までに約2年、出版社が決まるまでにはさらに3年の月日が流れました。
The original Japanese book “Having A-Bomb on My Back” was published in 2014, authored by Hisashi Tomokuni of Nishinippon Shimbunsha, based on his detailed interview with Mr. Taniguchi. In response to Mr. Taniguichi’s request, the text was translated into English by 23 volunteers in Japan. And after the English text was completed in 2016, thanks to the editing/proofreading work by Dr. Joseph Gerson of the AFSC and a group of young peace activists of the U.S., it took another 3 years to find a publisher.
「原爆を背負って」の英語版は、谷口さんが代表委員をつとめた日本被団協が発行責任者となって、アメリカ・バーモント州のルートストック・パブリッシング社との間で契約を交わし、被爆75年の今夏8月9日付けで出版されることが決まりました。現在編集の最終段階に入っています。
ですが、初版500冊の発行に必要な約90万円の資金は、発行者が負担せねばなりません。このプロジェクトを通じ、核兵器廃絶を願う多くの人々の力をいただいて、必要な費用のうち約80%を集めることをめざしています。ぜひご支援をお願いします。(写真は出版される英語版の表紙)
The English version of the book, with the detailed introduction by Prof. Peter Kuznick of the American University, will finally be published on August 9, 2020 by the Rootstock Publishing, a Montpelier-based publisher and an imprint of Multicultural Media, Inc. This donation campaign is to raise part of the total cost of $8,000 for printing, distribution and shipment of the first 500 copies of the book. We would like to ask for your kind support to bring this project into reality, so that Taniguchi Sumiteru’s life story of survival and activism should be known to the world to mobilize global public opinion, especially in the U.S., in favor of abolition of nuclear weapons.
目標額が達成できれば、この本の編集、配本、販売、出版を委託したルートストック社への初版500部分の支払いが可能になります。目標額を超過達成できれば、さらに増刷して広く普及することができますし、英語以外の言語への翻訳・出版の道も開けます。電子版での普及も行います。
今夏は広島・長崎の被爆から75周年を迎えます。「生きているうちに核兵器のない世界を」と願う被爆者も平均年齢が80歳を超え、年々数が少なくなっています。被爆者の体験、訴え、たたかいの記録を残し、次の世代に伝えることは、まったなしの課題となっています。
私たちは、「原爆を背負って」の英語版を世界に送り出して、多くの人々に被爆の実相と被爆者のたたかいを知らせたい、特に、原爆を投下したアメリカで、多くの人々に読んでもらいたいのです。核超大国アメリカでは、「原爆投下によって日本は降伏し、上陸作戦をせずにすんだため数十万人のアメリカ兵の命が救われた。あれは正しい決断だった」とする議論が、いまだに根強くあります。谷口さんをはじめ多くの被爆者はこの75年間、「原爆投下は人道に反する犯罪であり、決して繰り返させてはならない」と主張してきました。報復を求めるのではなく、「自らの体験を人類の教訓として、世界を核破局から救おう」と誓って、核兵器廃絶を訴えてきました。私たちはこの本を通じて、アメリカの市民に核兵器の非人道的被害の真実を知らせ、核兵器のない世界をともにつくることをよびかけたいと考えています。
谷口稜曄さんのラストメッセージをご覧ください。
Please listen to the last message of Taniguchi Sumiteru.
2,000円〜 ご自由に選ぶことができます。2,001円以上の応援を頂ける方は「さらに支援する」にて金額をお選びください。/ Gift for more than 2000 yen donation (please input the amount in「さらに支援する」section): お礼状(メール)、プロジェクト進捗の報告(メール)/ Thank-you letter and progress report of the project (by email)
5,000円リターン/ Gift for 5,000 yen donation: お礼状・プロジェクト進捗の報告と、被爆者運動のシンボル「つるバッジ」/ Thank-you letter and progress report of the project (by email); Tsuru (crane) badge, a symbol of the Hibakusha movement
10,000円リターン/ Gift for 10,000 yen donation :お礼状・プロジェクト進捗の報告と、完成本 ”Atomic Bomb on My Back”1冊/ Thank-you letter and progress report of the project; 1 copy of the “Atomic Bomb on My Back”
20,000円リターン/ Gift for 20,000 yen donation:お礼状・プロジェクト進捗の報告と、完成本 ”Atomic Bomb on My Back” 2冊/ Thank-you letter and progress report of the project; 2 copies of the “Atomic Bomb on My Back”
万一、今回のMotion Galleryのプロジェクトで目標金額が達成できない場合も、ここまで関わってきたボランティアグループメンバーからの一時借り入れなどで、出版社への支払いは先に行いますので、英語版は必ず出版されます。その場合は、クラウドファンディング以外の方法で目標額に届くまでキャンペーンを継続します。
最後に、発行責任者である日本被団協代表委員の田中煕巳から、お訴えをさせていただきます。
広島、長崎に投下された原子爆弾の被害を示す写真グラビアや展示パネルを見る機会があった人は、必ずと言っていいほど、真っ赤に焼けただれた背を上に苦しそうに横たわっている少年の写真に引き寄せられます。この写真は被爆後数か月後の治療中のものですが、誰もが、よく生きていられたな、この後この少年はどうなっただろうか、どれくらい生き延びることができたろうかと、胸を締め付けられる思いで原爆の残忍さを胸に刻んだに違いありません。
「原爆を背負って」は、この少年が奇跡的ともいえる生命力で90歳近くまで生きながらえ、そして、その人生のほとんどを核兵器の廃絶にささげたことを記したものです。
谷口さんは行き届いた治療のかいあって社会復帰し、仕事のかたわら、若い被爆者の相互援助と核兵器廃絶の推進力となっていた長崎原爆青年乙女の会の役員をしていました。寡黙で温和で、控えめな人柄で、表に出ることはあまりなく、仲間の中では目立たない存在でした。自ら述懐しているように、山口仙二さんや渡辺千恵子さんの陰にいることが多かったようです。
谷口さんが国の内外でひときわ知られるようになったのは、日本被団協の代表委員として、2010年NPT再検討会議で、被爆者代表としてNPT締約国政府代表とNGO代表たちの前に立ち、写真を掲げて核兵器の速やかな廃絶を力強く訴えた時からといえるでしょう。
2010年NPT再検討会議は、改修中だった国連の仮設会場で開かれました。そのため通常は会議場の側面、あるいは後方から発言するのですが、この時谷口さんは議長席横の演壇に立ち、代表たちに向かって発言し、傷ついた少年谷口の写真をしかりと見てもらうことができました。発言が終わると議場総立ちで感謝の拍手が送られました。
私はこの時、証言する谷口さんに付き添い、国連本部に近いホテルで同室しました。谷口さんの背と胸の傷跡を初めてつぶさに見せてもらうことができたのもこの時でした。背中の傷跡は想定できましたが、胸の筋肉はなく皮膚の下に心臓の鼓動がリアルに見えるのには驚きました。谷口さんの生命力は、証言者としての使命感に支えられた奇跡だと感銘しました。しかし、使命感だけではここまで頑張れたでしょうか、夫人の献身的な介護、息子と娘の支えがあればこそできたことでもあります。本書がそのことを物語っています。
今日もなお13,000発以上の核弾頭が地球上に存在します。原爆被害は過去のこととして済ますことのできない、学ぶべき今日的な課題です。このことを、本書から世界の人々が読み取り、核兵器のない世界をめざす行動の源泉としてくれることを願ってやみません。そのためにも、本書の英語版出版を成功させるためのキャンペーンに、ひとりでも多くの方々がご協力くださるよう、心からお願いする次第です。
日本原水爆被害者団体協議会 代表委員 田中煕巳
2000 円
5000 円
10000 円
20000 円