ポンコツであることが最大の武器だった。(本の原稿少し公開#11)
vol. 15 2021-05-10 0
振り返ってみれば、世界中を駆け巡った20代、それは日々自分の環境が変わっていく日々でした。それから旅を辞めて落ち着いたかと思えばそこからも毎年毎年自分の環境が劇的に変化していく生活。
まさか自分が日本で落ち着くなんて海外放浪していた時は思わなかったし、山奥に住むなんて、そして自分の事業で食っていくなんて予想もしなかった。
もう一つ言えばこんな素敵な妻に出会えて、結婚して家庭を持つことが出来るなんて思いもしませんでした。
だけどその一つ一つはすべて自分で選んできた人生でした、その過程でたくさんの失敗はあるけれどそれも含めてすべていい経験だったと思うので後悔なんてものはもちろんないし、すべての事に対しただやってよかったと思っています。
さて、約6年も海外放浪し、やりたいことは全部やって行きたいところは全部行った、そう言うとかなり素敵に聞こえますがそれは一旦この社会の仕組みからドロップアウトし、多くの人から負け犬とか底辺だとか蔑まれたり非難されるような立場に身を置いていました、もちろんそのことに対して何か引け目があったのも事実です。
もう一つ言えば僕は何かをやろうとするといつも親から反対されていました。仕事を辞めることも、海外に行こうとすることも、田舎移住することも、山奥で開業することも、いつでも親の反対があった。もちろん八女に移住した時も周囲の人達からは変わり者として何か意見を言おうにも相手にもされない事ばかりでした。しかしポンコツである僕は周りへの配慮が出来なかったり、親の忠告の意味があまり理解できませんでしたのであまり関係ないことですが、、
そんな中で、ただひたすら好きな事、自分がいいと思うことだけをやって行くことにより、自分の好きな場所に出会い、ゆくゆくは自分の好きな事で食っていくということができるようになり家庭まで育むようになるという逆転劇がおこりました。
これだけを切り取るともしかしたらかなりの偉業だと思う人もいるかもしれません、少なくとも10年前の僕が今の自分を知ったらそれはもう尊敬の眼差しで見ている事だろうと思います。いつの間にかそんな足跡まで出来ていました。
しかし、そう思えるような自己実現できた一番の理由は、今だから言えることは何を隠そう僕がどこの誰よりもポンコツだったからだとも思っています。
狭い田舎の家庭で生まれ育った僕は、いい大学や就職をするといういわゆる『ちゃんと生きる』というのが当たり前のように思っていました。しかし残念ながら誰よりも勉学が出来ず、ろくに友達もできなかった学生時代。けれどもちゃんと生きたくて勉学はできなくても体が丈夫だったからこそ入隊した自衛隊で『ちゃんと』やって行きたかった、最後まで務めるのが自分の役目だと思っていました。しかし昔から昔からずっと変わり者だと蔑まれ、人に気遣いをするということが全くできない、周りの人が当然のようにできることができない僕はその職場でも他の同期の誰よりも叩かれて説教されてばかり。更に好奇心が規格外だった僕は海外に興味があり目の前の現実を見ないでいつも夢、絵空事を語ってばかり。それはそれは同僚から見たらかなりの変人であり仕事もできない空気も読めない、前代未聞のポンコツだったことでしょう。
そんな僕だったけれど自分の軸で考えて動き、勇気を出して一歩踏み出してみると全然違う景色が見えた。それ以降は劇的に運も良くなり、面白いと思うことだけをとことんやるようになったら、それが時代や周りの人に必要とされ、自分が好きな事や周りをちょっと幸せにすることで生活が成り立つようになった。いい人たちに囲まれ、自然豊かな環境で好きなことをやって楽しくユルく生計を立てているようになりました。もしかしたら経済や資本主義ではなく自分らしく幸福度高く生きるという観点から考えたら僕はそこそこの成功者なのかもしれないとも思っています。
もちろんそれは、僕の力ではなく、出会いに恵まれたまたま時代にマッチしたラッキーである人が収まる場所に収まっただけで、決して昔と比べて成長したというわけではなく、僕はここ『天空の茶屋敷』のオーナー以外では他では務まらないだろう、今でも自分がポンコツであるということをちゃんと自覚もしています。
でもまあポンコツっていうのは言葉のあやで、きっと僕は今の日本の俗社会が向いていないだけなんだろう。だけどそんな僕でも何らかの役割があるということを知れたこと、長旅の果てにそんな場所に出会えてよかったと思います。最近ではそんな僕のような生き方や考え方が出来るようになりたいという人、そんな話を聞きたいと言ってくれる人が僕の周りには集まるようになりました。
ちゃんとに生きる事が出来るのならちゃんと生きたかった、だけどそれが出来なかったから何とか頑張って努力して社会に他者に適合していくのではなく。自分にとって居心地の良い場所は自分で作った。そしてそれが実は他の人にとっても居心地の良い場所として開かれる。
僕の個性がそれを引き寄せてるんだろうけれど、今では毎日のように僕の周りには僕と同じように俗にいう『変な人』『ちゃんと生きれない人達』にとっての居心地の良い場所としても開かれた場所になっていて、たくさんの人が集うようになり、そういう流れがあって僕の住んでる村に移住してくる人もたくさんいます。その人達が村に溶け込むことにより過疎化の進む集落に若さが加わり、少なからず地域の人の幸福度も上がっているはずです、実際に今では空き家のたくさんある山奥の集落の一番上の僕の集落には空き家はありません。
以後はゲストハウスだけでなくシェアハウスを作ったり、耕作放棄地を引き継いで農業をしたり、人手が欲しい地域の人と外からふらっとやってくる人をつなげたり、そうやって生まれる交流ちょっとした村づくりのような流れにもなっています。
世間では地方創生などたくさんの資金や頭脳が投与されて進められていく中、ポンコツが自然にそれをやって等身大で少しづつ周りを変えていっていること。そういう意味では自分のダメであることが最大の武器になったとなったとも言えると思います。ポンコツでいい、むしろポンコツだからこそそここまで出来た。
という話しを今回の出版活動を通して昔の自分のような人に伝えたいと思います。