お金を使わずに食って行くことを模索することにした。(本の原稿、少し公開#9)
vol. 13 2021-05-08 0
さて、田舎移住したのはいいけれど『これからどうやって食って行こうか?』
多くの人が一番最初に考えがちなことだと思う。僕自身も一番最初に思いついたのは二つ、就職するか、それとも小さい事業などでもいいから起業するか。
僕にとってそのどちらもかなり厳しいと思った。というのは就職するにはあまりにもブランクが開きすぎている、それどころか僕は学歴も高卒だし、使えそうな資格も特技も何もない、唯一使えそうなのは旅中もストイックに英語をやっていたからそれが特技になるくらい、しかもTOEIC高得点の人たちとは違い僕は実践ばかりしてきたわけだからコミニケーションスキルと言う点では十分だとは思う。しかし僕は机の上での勉強はかなり弱い、やはりTOEICや英検を受けたこともない以上それを書面で証明する手段がないらしい。そして起業なんかはもっと厳しい、というか一体どうやって起業するのかもよくわからない。
(実際には田舎で生きてる多くの人は企業だとかキャリアというものがなかったりするものだから学歴などはあまり関係ないものだというのは後から知った)
だから就職も起業も諦めた。そもそも日本の一般社会や常識からかなり浮世離れしている僕は務まらなさそうだし、一週間に5日も働くのが厳しい。長時間労働などで仕事や会社に身も心も捧げてたら自分らしく生きることがかなり難しくなる。
それに僕にとって生き方の指標になったのが、時の人となっていた僕の世界一尊敬する人、世界一貧しい大統領として有名なウルグアイの元大統領、ホセムヒカの言葉『貧乏な人とは、モノを持たない人ではなく、いくらあっても満足しない人のこと』
そしてもう一つ『発展は幸福をもたらすものでなければならない』
物質が発展したことによって、生産性は格段に上がり、物質的には豊かになった。だけど便利で余裕のある生活が出来るようになったのかと言えばそうでもない、生産性は上がってるのに不本意ながら人はどんどん忙しくなっていってしまっている。それはきっと、社会全体が現状で満足するようなことをせず、豊かさや生活レベルを求め、さらなる競争を繰り返えしているからなんだろう。それはとどまることを知らない。
結果、地球上の自然はズタズタに切り裂かれ、それによって得た便利さによって多くの人がもともと持ってたはず幸せを忘れてしまった。自分の時間を切り売りして仕事に身を捧げ、それでせめて社会全体が幸せになってるんだったらまだいいけれど、多くの人はそうじゃないように見える。偽物の笑顔や時にはウソで塗り固めたマスクを被り、頑張って働き、物質は豊かになっていくのに心は病んでいる人ばかり、それって馬鹿みたいじゃん!
そして僕も旅から学んだことは
『楽しく生きて行くのはシンプル、屋根があって寝る場所があってご飯が食ベれればそれで十分幸せ』
寝袋とテントを持って見知らぬ場所で野宿をしたり、安いパンとか野菜を生でかじったり冷たくなったパスタに塩かけたりして食べていたような日々だったけれど、それでも僕は毎日毎日が楽しかった。
祖母から譲ってもらった質素な家を持ってる僕だったら、快適な布団もあるし、3食食べるだけだったらそんなにお金はいらない。つまり生きて行くためにそんなに頑張って働く必要がない、すなわち自由の時間が増える。
(シンプルに、例えば日当が8000円だとしたら、家賃4万円の人よりも僕は5日間も働かないでいい自由な時間が増えるということになる)
僕は、お金を使わずに食って行くことを模索することにした。