海外放浪の果てに田舎移住(本の原稿少し公開#8)
vol. 12 2021-05-07 0
今まで住所も持たずにフラフラしていた僕は、何処にでも飛び回れる鳥になっていた様な気分だった、もちろんそれは最高に楽しかったけれど。それはそれで自分自身のホームという概念がないという何か欠けた感じがしていた。
だからそれを開拓する事する事、それはずっと旅を続けるよりもよっぽどワクワクする事だった。
約5年にわたる海外放浪の果てに、2015年春、僕は福岡県八女市黒木町というところに移住した。そこやって来た理由は主に三つある。
一つ目は、人と人のつながりを感じにくい都会の喧騒の中で生きるよりも、田舎で自分のペースでシンプルに生きたいと思ったから。放浪生活の中で色んな生き方をしている人に出会い、それらをヒントに自分なりにどう生きるのが最も自分らしく、幸福度高く生きられるかを長い間考えた結果そこに行き着いた。やはり人間は動物だから自然と近いところに住んで太陽に感謝しながら生きるってのがきっと本当の自分らしい生き方だろう。
二つ目は、田舎でシンプルに生きるのであれば候補地は国内外と無数にあるけれど結局楽しく生きるのには場所は関係ないから何処でもいい。それよりも誰とどう生きるかが重要だと思った。それならばせっかくなら日本に住んでみよう、日本が世界一いい国かどうかは置いといて、十分過ぎるほどに恵まれた国だ、自分のアイデンティティのある場所であるそこに住むのが最も自然な生きかただとも思った。それに、海外を見て来た後に日本の良さを再認識するというのはよくある話であり僕にとってもそうだった。逆カルチャーショックの中でやっていくのはもちろん勇気がいることだけどそれもきっと面白い。
三つ目は、だったら僕にとって最も適した場所があった。それが黒木町にあった長年空き家になっていた祖父母の家の坂本家だった。母の実家であるその家は跡継ぎもいないし、僕の生まれ育った家族である堀内家の中ではボロくて何の価値もない見捨てられた家同然に扱われていた。そこに住む事によって婆ちゃんも喜んでくれたし僕にとっても堂々と住める家があるのは十分ありがたい、近所の人も喜んでくれたし、家自体も誰かが住んで有効活用した方が良い。
田舎移住がかなり大衆的になった今とは違い、2015年の当時はまだまだそういう時代ではなかったので、いきなりそんなところ住みたいと言う僕は母や兄弟からはやはり呆れられていた、というのは田舎の空き家にありがちな状態、草は背の高さまで茂っていては中はゴミだらけ、隙間風が吹き込み、清潔感はなく、今時の若い女子には絶対モテなさそうなボロい家、普通の日本人は住みたがらないだろう環境だったけれど、雨風しのげる屋根があってなんとか食べいけるというだけで幸福度高く生きる条件は揃っていることは旅から学んだことでもあり、その古民家こそが紛れもない自分のルーツである。これほど自分にとって素晴らしいところはない。
黒木町は山に囲まれた小さな美しい町、中心地は重要伝統的建造物群保存地区に指定されている、小さい頃から慣れ親しんでいて何とも思わなかったその町は、海外の色んな美しい風景を見て来た後にやってきた自分にとって息を呑むほどの美しさだった。僕は海外放浪中、みんなが行くような観光地ではなく常にその国ならではの素朴な原風景の残っている場所を探し求めていた、まさに黒木町はその日本版だったのだ。
しかし慣れ親しんでたとはいえ、そこには会った事もない遠い親戚の方がいるらしいと言うだけで、誰も知り合いがいない状態だったから、そんなところに単身で移住するのも一つの挑戦だった。
でも何かに挑戦するってことは何物にも代えられない価値があるってことをこれまでの経験から知ってたし、その決断には何も不安はない。
それがいい目が出ようと悪い目が出ようと、新しい経験値を積めるという価値、新鮮さ、ワクワク感、本当にこれだけで十分儲けもんだ。