800kmを歩いたサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(原稿少し公開#7)
vol. 11 2021-05-06 0
キリスト教の聖地であるスペイン、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路。(ここではフランスからピレネー山脈を経由しスペイン北部を通るメインとなる道の事をいう)
12世紀くらいから、たくさんの敬虔なキリスト教巡礼者がそこを目指して歩いていたらしく、今ではその道自体が世界遺産とされて、それ以降は多くの旅行者が集うようになっている。(日本でいうとお遍路や熊野古道にあたる)
文明の発達によって、交通手段は徒歩から始まり馬、自転車、鉄道、車、飛行機と進化していった。だからこういった道はもう歩かれない・・・というわけではない。
というのは、それとは反対に旅行のスタイルは飛行機→陸路公共機関→自転車そして今ではあえてこの時代に徒歩で旅するスタイルも流行ってきている、自分の足で進む旅、これこそが人類の原点であり、また旅の究極の形だと僕は勝手に思ってる。
時代とともに形は変わったけれど12世紀から、そして今もずっとそういうニーズもあり多くの人が歩いている道ということ。
もともとこの道は聖地サンチアゴを目指して巡礼の旅として通ってた道。僕は恥ずかしながら信仰心はないけれど、今日では毎年世界中から同じようにそういう人たちにとっても開かれた場所にあたるわけであり、徒歩の旅の初心者にとってもかなりインフラが整っていているし、入門としてもいい。全くと言っていいほど信仰心がない僕だけどさすがにこれだけ長い距離を歩くのであればなにか感じるものもあるだろう。
2014年12月1日に拠点の町、サンジャンピエデポルトという町を起点に出発することになった。最初にそこの観光案内所でスタンプラリーする手帳と巡礼者の目印である貝殻をもらった。
そして、巡礼者の宿にチェックイン。
その時点で今までの旅とはちょっと違う雰囲気にワクワクしていた、中世に建てられたであろう建物を改修して巡礼者の宿になっている場所。何だかドラクエのルイーダの酒場のようだ。
そこの拠点の宿にはオフシーズンでありながらも多くの人が集っていた。
国籍や経緯はみんな違えど、ここにいるみんな、目的は同じ・・・そう思うと何だか感慨深い。
この時期のスペイン北部は雨が多く、初日は視界は悪く、暴風雨にさらされながらのピネレー山脈超えだった。しかしそんな辛い道を乗り越えた後ってのは最高に清々しいものだ。また、天気が悪いってのは旅行者にとってはモチベーションを下げられていいものではないけど、逆にいいところもある。
最悪の天気が続いたあと、雲の隙間から光がさしたときは気分は最高に高揚する、忘れがちではあるけれど雨があるからこそ晴天に価値あるものだ。またその時見えるとてつもなくでかい虹はまさに圧巻。自分の足で旅だからこそ、その美しさが映えるいうものもある。
次の村へ、そして次の村へ。
オフシーズンであるので全部の宿がやっているわけではないけれど、5㎞ごとくらいに小さい村があったりするし、10㎞ごとには泊まる場所もアレンジされていた。その泊まる場所は所々で中世ヨーロッパの映画に出てきそうな教会だったりするあたり渋い!そこでの交流もまた楽しい。
道中での小さい村のスペインのローカル感の漂うバーで、いつもカフェコンレチェ(カフェラテ)を注文する、そしてそこで出会う別の巡礼者たちや道行く人と交流をする。
自分の足で旅をする。ひたむきにゴールであるサンチアゴまでづく黄色い矢印を頼りに、道中でたくさんの可愛い村を通りながら、村人達と話をしたり。どこの村の教会でも毎晩、夕方にお祈りして、どんどん心が清められていくような気がする。
酒場に行ったり
宿屋で旅仲間を見つけたり
お城を訪ねたり
吹雪にさらされる視界の悪い山越えで、狼に遭遇して『あ、死んだ・・・』と思ったらただのキツネだったり
リアルドラクエのようだった
またこの時期のもう一つの特性としては、人が少ないために普通以上に人との出会いが濃いものになる、それも普通の旅行者ではなく、できるだけディープな旅を求めてきている人ばかり。それはオフシーズンのいいところである。
ある日、宿でとあるグループに誘われて夕食をシェア飯することになった。旅人同士でお金をカンパして夕食を作って割り勘、費用的にはかなり安くなるし、何よりも楽しい、高級なレストランよりも美味しく感じてしまう。
観光地ばっかり巡って写真を撮り漁るだけでなく、旅人同士の出会いってのは旅する価値の大きな要素であるのはそうだけど。カミノデサンチアゴ徒歩巡礼に関していえばみんな目的を同じくして進んでる中での出会いだから普通以上にものすごい連帯感が生まれやすい。そういう意味で言えばこの旅は今までの旅とは違いかなり異質だった。だいたいの場合は泊まる宿が同じになるから、日をまたぐごとにそれらのグループが自然と家族みたいに親密なものになる。
何ヶ月もかけて自分の家から歩いてきたドイツ人若者
徴兵を終えてこれからの進路に悩む韓国人の若者
ロシア人の超大富豪
フィリピンの貧困街に生まれながらもアメリカンドリームをかなえたオッサン
75歳、僕より早く歩くスーパーおばあちゃん
日本人の方にも少し出会った
普通の旅じゃ出会えないような人ばかり、そんなスーパーなメルティングポット。
その約一か月間、自分にとってもっとも不思議な一カ月だったと思う。自分自身、今まで考えたこともないような新しい学びもあった。
ひたすらマイペースであるく
時には陽気な音楽を聴きながら
時には頭の中を空っぽに
時には他の巡礼者と会話を楽しみながら・・・
流石に周りのみんなも体が順応してきたのか、中盤くらいに差し掛かると一日30~40kmくらい歩くのが普通になって来ていたことに気づいた。
そして
『この旅が終わったら今後の人生どうするの??』
ってのは結構巡礼者同士のメインの話題だったりした。
僕の場合、ここだけではなく、これまでの旅路でも、自問自答する膨大な期間はあったし、それをシェアする機会もたくさんあった、その中で一度きりの人生をどう楽しく、どう熱く生きるかってことは僕なりに常に考えて動いていた。
旅はいい!!
毎日、毎日、新しいところに行って新しい人と出会う日々。
旅そのものが生活になっていたその当時は、日本へ帰ることなんて考えてもいなかった。(それどころか、日本ではなくいつか好きな国を見つけて海外移住しようかとも思っていた。)
もっといろんなところに行きたい、新しい学びが欲しい、いろんな刺激が欲しい!!こんなに楽しい、そして有意義なことは他にはない!!
僕にとってそのカミノデサンチアゴの巡礼の旅は長い旅路の中の一部にしか過ぎなかったものだから、この後もひたすら気の向くままに旅を続ける予定だった。ポルトガルに入ってアフリカに下る予定。そしてケープタウンまで南下したらもう一度ラテンアメリカに飛ぶのもいいな、というのが当初のぼんやりした予定だった。
しかし・・・・何だかわかってきた。
というかそういうのもすべてしょうもないこと、ちっぽけなことに思えて来た。
というのは色んなところに行って物理的には動いているけれど、毎日旅をしているだけの平行線な人生。もちろん旅からの学びはたくさんあったけれど、もう十分すぎた。さすがに2010年から5年も旅を続けていたもんだから昔ほどエキサイトしているわけでもない。
実際に、世界中色んなところを飛び回り、行きたかったところは全部行った。
しかし、それらの何よりも今回のカミノデサンチアゴのただ800kmの異国の道を歩くだけのほうが価値があったと思う。あれ?なんでだろう?
そうなったら、あれ?もうそこまでエキサイトしているわけでは無いのに何故この後も旅しようとしてたんだっけ??
旅するのが日常になっていてそれをただ続けることが楽だから?
ただ単に世界中を飛び回ることがかっこいいと思っていたからか?
がむしゃらに色んな所に行かなくてもいいんじゃないか??
別に誰かが僕に何かを期待しているわけでもないし、かっこよく生きる必要もない。人生そんなにシリアスに必死に生きる必要もないんじゃないか??
昔思っていた憧れ
・国際的に生きる人
・世界中を飛び回る
・海外移住をする
もはや今となってはそんなことはどうでもよくなっていた。
だから思った、もはやワクワクもしてないものをこれからも今まで通り頑固にダラダラ続けるよりも、もっと肩の力を抜いてこれまでに学んだことをもとに新しい事にチャレンジしてみよう。
僕にとってそれが、旅を辞めて日本へ帰ることだった。そう決心させてくれた旅。
僕はそのまま無事にサンチアゴデコンポステーラへたどり着いた、ちょうどその日は12月25日であり、僕にとっては29歳の誕生日。
そしてそこはキリスト教の聖地だけあってその日は盛大に盛り上がっていた。
今まで道中出会った人、僕より早かった人も後にいた人もこの特別な日のミサに間に合わせて、道中であった人ほとんどが同じ日にゴールに到着しているようだった。
道中であった人達との感動的再会をしばし楽しみ。
そこから大西洋までは2日で辿り着けるので、そこまで歩く仲間達も多かったけれど僕はあえていかないことにした。
結局、世界2周目の旅はここで中断した。そのまま僕は荷物を置かせてもらっていたバルセロナの友人の家まで行き、日本へ飛んだ。
2010年から旅人として世界中を回った20代の日々。そして、2014年12月25日、29歳の誕生日、ここの巡礼路は僕にとって一つの人生の分岐点になることになった。僕なりにゴールを見つけることができて、旅人としての人生はここで幕を閉じる。でもそれは、終わったことに対してしんみりしているのではなく、新しいことを始めてみようとするワクワク感が大きかったんだ。