ヒッチハイクで大陸横断した話 (本の原稿、少し公開 #3)
vol. 7 2021-04-29 0
カナダワーホリの冬、極北のイエローナイフでオーロラガイド(犬ぞり操縦手)スタッフとして働いていた。
3月極寒の冬の仕事のシーズンが終わりに差し掛かり・・・・・
日もだんだん長くなっていき、-40℃とかだった世界が、3月終わりごろになると少しずつ暖かくなっていく・・・なんとか長い戦い乗り越えた。
自分でもびっくりしたのは、ある日0℃くらいまで温度が上がった日。
『今日はあったかいね~』とか仲間達と言い合いあいながら、シャツ一枚だけを着て街を歩いていた・・・まあ確かに自分が変人だというのは否めないけれど、本当に、あれだけ究極の冬を経験すると体はそれに慣れて、0℃が暖かく感じるようになるものだ。
5ヶ月間一緒に過ごした仲間に別れを告げ、一旦バンクーバーに戻って、もともと働いてたところでワーホリビザが切れるギリギリまで働いた。バンクーバーのビーチのそばのいいロケーションで皿洗いをやっていった。
皿洗いという仕事自体は全然いい仕事ではないけれど現地人の中で働ける。これは本当にいい経験だった。
同僚たちには送別会まで開いてもらい、見送ってもらった・・・餞別として少しばかり包んでいただいた。
ワーホリビザが切れた後は滞在ビザを延長してカナダを横断してそこから南米まで南下していく計画。
さて、せっかくカナダを横断するんだったら、普通にバスで旅をすると何だか面白みにも欠けるし普通の人がやらないユニークなことをやりたがりなものでヒッチハイクでバンクーバーからハリファックスまで行くことにした。つまり太平洋から大西洋まで約7000kmの道のりをヒッチハイクで大陸横断。
なぜそんなことになったのかというと。
ちょうどそのオーロラ観光で働いていた時、3・11の地震が起きた。
海外のスクリーンの向こうから、まるで地球滅亡映画のような画面を見ていた。
たくさんの人が無惨になくなり、路上では日本のことを思うカナダの人たちから励まされたり、日本を助けようと募金したりする活動をよく遭遇した。
FBでボランティアなどで精力的に動く人たちのアツい訴えの投稿もよく見た。おそらく、自衛隊の元同僚たちもみんな出動していっただろう。
そんな中で、自分も何かできることをしたいと思った、でもどうすれば??? 遠くにいては何もできない・・・いや、そんなことはない、寄付ができる。
これから長い長い貧乏旅行をするにあたり資金はロールプレイングゲームのヒットポイントにあたるので、たくさん寄付するほど余裕はないけれど、せめてカナダで稼いだお金の中からカナダに落とす予定だったお金。カナダを横断するための交通費。600ドルを寄付をした。
そしてその代わりそれを何らかの方法でカバーするためにお金がかからないヒッチハイクで旅をする。つまり、僕を乗せてくれた人ってのは間接的に日本に寄付したことになる。
そのストーリーを乗せてくれた人に伝えるんだ、そしてこう言うんだ
『日本を助けてくれてありがとう!』と
人生初のヒッチハイクだったんだけど、それがいきなり大陸横断の旅になった。
さて、ヒッチハイクで旅をするといっても、今までそんなことやったことないのでどうすればいいのかも分からなかったし意外なことに、周りには教えてくれる人がいなかった。だけどネット上には情報はたくさんある、Hitchwikiというサイト。ヒッチハイクのやり方、裏技、どんなところでどうやってやるか、ドライバーにはどんな話をしたらいいのか、トラブル対処法、さらにはヒッチハイクの哲学。その国ごとのヒッチャビリティ(ヒッチハイクの成功率)、各有名都市ごとのベストヒッチハイクポイントなども網羅されている。
そのサイトには日本語情報もあるけれど情報自体はものすごく少ない、やっぱり英語を読めるようになると情報が豊富。旅の前に一年間カナダで修行してよかった。(と言ってもやっとかっと意味が分かるくらいのレベルだった)
まずはダウンタウンじゃヒッチハイクは無理・・・ってことで地下鉄とバスを乗り継いで郊外へ出ることにした(一応これがヒッチハイクで大陸を横断するにあたり乗った唯一の公共交通機関)
そこで、一般車両が高速に交わるところで、親指を立てる。
15分くらい待っただろうか・・・
サングラスかけた渋い兄ちゃんがスピードを緩めて言ってきた
『ここはあんまりヒッチハイクにはいい場所じゃないぞ!まあとりあえず乗れ!』と手招き。
ドアを開けたのを見ると、素早くバックパックをその車に投げ込み、スピーディー飛び乗った、(ヒュー、何だかだかどこぞの映画の風来坊の青年みたいでかっこいい!)
人生初のヒッチハイクはいい感じで決まった。
そして30分ぐらいバンクーバーを離れ、下ろしてもらったとある田舎で渋い兄ちゃんに別れを告げ、そこでヒッチハイクをする。
すると・・・・なんと若くて美人な姉さんが拾ってくれた・・なんとまあ・・・
ちなみに、その後、世界中色んな国で幾度となくヒッチハイクをしているけどそんな美人さんが拾ってくれたのはこの時のみだった。これはきっとビギナーズラックというやつである。
そして、日が暮れるまでヒッチハイクを楽しんで車を乗り継ぎ。こそっと茂みの中で野宿。
この時はあまり快適なアウトドアギアも持ってなかったし野宿に慣れてもいなかったものだし6月のカナダはまだまだ寒かったので全然疲れは取れないけれど、まあいい。
次の日、朝露でビショビショになったテントを畳んでヒッチハイクスタート。
道中で色んな親切な人たちとの出会いや談笑がものすごく楽しかった。拾ってくれる人の大半は風変わりなおっさんか感じの良い人。観光をする旅ではなく、ひたすら車で東へ走る、その日どこまで辿り着けるのかどこに寝れるのかも分からない。そんな臨場感のある旅、今までの通常のバックパッカースタイルにはない楽しみ方だ。
そんなある日、日も暮れかかったころ・・・
暗くなってきたし、あと30分待って誰も拾ってくれなければすぐそばの茂みで野宿しようかと思っていた矢先、なんと一台の車が止まった。
しかし、この時ばかりは断ろうかと思った。
っていうのもなんとなくそのオッサンの人相が悪く感じてしまったということに加え、車から怪しいにおい、薄暗くなってきたばかりなのでなんとなく心理的に乗りたくない気持ちがあった。
ヒッチハイクで拾ってくれる人のほとんどはいい人に決まっている。
そもそも、貧乏旅行している上にそこそこ肝の据わっている屈強であるヒッチハイカーなんて襲う奴はまずいない。
そう考えたらヒッチハイクの旅はかなり安全だ。
しかしながらヒッチハイカーが襲われたり、その逆の事件も少ないなりには起こっている。なので時には自分の身は自分で守る選択をしないといけない。
その自分のカンが言っている、『この人には乗るな』と・・・・
『ごめんねオッサン、間違えた、そういえばこっちじゃなくて逆方向に向かってるんだった』
といい加減なことを言ってごまかす。すると「おおそうか、それだったらそっち方向に送って行ってやってもいいぞ」と返す。
『いや、それはありがたいんだけど、やっぱり今日は遅くなってしまったし、そこの茂みで野宿することにするよ』
「それだったらまあ任せとけ、ここはあんまりヒッチハイクにいい場所ではないし、もっと安全に野宿できる場所も知ってる、明日はそこからスタートするといい」
『いやいや、そんな・・・オッサンだってもう家に帰る時間でしょ、さすがに悪いよ』
「まあ心配するな、みんながみんないい人とは限らない、ごくまれに悪い奴もいる、もうすぐ日も暮れるし、危険な目に合わせてしまったら君に悪い」
だから、それでオッサンを疑ってるというのに・・・・
とりあえず、断るの一点張り。
・・・・
「どうしても乗らないか・・・・お前、名前は、こんなところで何やってるんだ」
何だか尋問が始まったので僕の物語を語る。自分の人生に迷い、とにかくもっと広い世界を見たいから旅しているんだと。すると、、、
「よし、わかった、これは取っとけ!!」
と、50ドル出してきた・・・・へ???
『いやいや、オッサン、さすがにこれは受け取れないよ、金がなくてヒッチハイクしてるんじゃなくてあえてヒッチハイクの旅を楽しんでるんだから』
「いいから受け取れ!」と言って強要してくる。
腕をつかんでは、無理矢理お札を握らさせられた。
・・・・・
そこまでされると負けてしまう(あっさり負ける)、でも
『ありがとうオッサン、しかし、ヒッチハイクはチャリティー活動なので。このお金は日本に寄付することにするよ、僕たちの国を助けてありがとう』
と、ヒッチハイクやってる事情を説明。
すると・・・・
「分かった、それじゃあそれは日本へ寄付してくれ・・・・そしてこれはお前にだ!」
なんとオッサン、財布からもう100ドル出してきた。
えっ、さすがにそれはあげすぎだよ、見ず知らずの馬の骨に。
とりあえず断るが、先ほどと同じように腕をつかまれて無理矢理お札を握らされた。
そこまでするので負けた(またあっさりと負けた・・・・)
ありがとうありがとうと何度も連呼する自分に対し
「いいか、人ってのはな・・・」とかっこよく人生論を語りだす。
ヒッチハイクで止まってくれたオッサン、ものすごく親切な人だったのに、それを怪しんで疑ってしまっていた。
なんと見る目のない奴なんだ・・・・合計150ドルもらって、結局その車には乗ることはなかった。
その人相の悪いオッサンは、別れ際にはかっこよく見えて・・・手を振っては颯爽と去っていった。
そしてその日はすぐそばの茂みに野宿した。