お祭り男!ほどほどな祖父。
vol. 21 2019-05-02 0
「なんでも、ほどほどがいい」
これは僕の祖父の名言。
僕の祖父(僕が10歳頃他界)は百姓だった。毎日毎日、自転車で田畑へ出かけ、草刈機を担ぎ、夏には枝豆の株を持ち帰り、どう見てもお百姓さんなんだけど、会社の創業者兼会長だった。
一年の内、元日だけ、会社に呼ばれて、大人たちが居並ぶ中、会長席にデンと座り、金杯をあけていた。「おじいちゃん、かっこいい!」
行商をしていた婿養子を社長として、地元で顔をつなぎ、株式会社を設立し、会長となっていた。
母の話では、祖父は、遠方でも思い立ったら人に会いに出向く人で、顔が広く、市長などともツーカーの仲だったそうだ。
親族のかなめとなっていたし、近所で過去に自殺が多かったとかで、自宅にお地蔵さんを建立し供養していて、近隣の人からも慕われていた。
母の話では、祖父は毎年、大きな樽で味噌を造り、近隣に配っていたそうだ。また、昔の話で、当時の(太鼓や踊りや唄の)芸能者を呼んで、庭で催し物をして、近隣の人に楽しんでもらったこともあったそうだ。
孫が17人(僕はその一人)いるのが誇りで、近くに住む孫に、毎月発行の「小学1年生、2年生、、、」といった雑誌を配って回っていた。僕は4人兄弟で、両親、祖父母と一緒に住んでいた。毎月、祖父が地下足袋すがたで兄弟4人分の雑誌を提げて帰ってくるのを楽しみにしていた。
ある時、雑誌の付録の工作で、筒に糸を通せず四苦八苦していた僕を見て、祖父は、紙をねじって「こより」にし、U字フックのようにして糸を絡ませ、「U字フック」の足2本を先に通す方法を教えてくれた。僕は「なるほど」と感心した。
穏やかで、知恵があり、お祭り男で、皆に慕われる祖父の名言。
「なんでも、ほどほどがいい」
さて、祖父は、なんでもほどほどにやっていたかは、分からない。
思い出すのは、祖父のニオイ。日本酒のニオイだった。成人して「日本酒」を飲むようになって気づいた。そう言えば、祖父の座ってた場所にはいつも一升瓶が置いてあった。
ほどほどにお酒を飲んでいたのだろうな。
さて、僕は、なんでもほどほどにやってきたのだろうか?
ところが、僕は生来なんでもトコトンやる性質。おかげで、体を痛めやすい。30代後半まで、そうだった。
当時、幼稚園の娘に「ほどほどに」って言われて、「はい」と答えたこともあったっけ。でも、ここ10年は、なんでもほどほどにやっている。「なんでもほどほど」というのは大切な知恵だ。
情熱や欲望は、成長エネルギーとして、大切だと思うけど、ほどほどにするというのは、もっと大切。
生成発展も、バランスも、全宇宙の法則だから。