私たちが感じた久比の「異和感」 #3 感謝経済の輪の中で 後編
vol. 5 2024-04-26 0
久比の祭りの様子
奥に櫓と手前に獅子舞が見える
久比とは何か
ここで、いくつか僕の視点からみた久比の暮らしの面白さをや特徴を紹介します。
農床文化
久比には、各家の目の前に必ず「農床(のうとこ)」と呼ばれる家庭菜園のスペースがあります。久比の人々はこの農床で、「うちは早生育てるけん、あんたは晩生育てぇ。」といった風に、隣近所で収穫時期をずらしながら植え合い、物々交換をしながら暮らしています。
「だいちゃん、ようけ大根できとるんじゃけ取りに来ない」
いつもたくさんの農床野菜をいただいている
久比で暮らす7割以上の人が、今でもこの農床に基づいた生活を営んでおり、つい二十年ほど前まで久比のAコープ(スーパー)で野菜は売ってなかったそうです。それほど、久比の人々は自分たちで食べ物をつくることが当たり前であるということが、最初の頃はとても新鮮だったのを覚えています。
また、久比の土地利用は、西の谷と東の谷の谷底に集落が形成され、屋敷地、農床、柑橘畑が交互にモザイク状に配置されているという特徴があります。この、適度に人家の間に空間があるというのも、久比独特のゆったりとした景観を生んでいてとても興味深いです。
平釜で煮しめを炊いている様子
釜の中にはその時の旬の農床野菜が入る(里芋多め)
平釜
久比の興味深い文化としてあるのが「平釜」です。平釜は、季節ごとの保存食の仕込みや、冠婚葬祭において共同で煮炊きをする際に使われる大鍋で、外の組み立て式の竈の上で使用される物です。主に冠婚葬祭の際には100〜200人前の食事をつくる際に、いくつかの平釜を並べて使われていたそうで、久比の食文化には欠かせない道具です。
久比名物 うどん汁
代表的な平釜を使った料理としてあるのが「うどん汁」です。うどん汁は久比の郷土料理で、昆布や椎茸などの出汁に、里芋、ジャガイモ、玉ねぎなどの農床にある野菜、豆腐、あげなどの具材を加え、別ゆでした平たい細麺のうどんの上に出汁ごとかけて作ります。うどん汁は久比のソウルフードで、久比の人は「うどん汁」のことになるととても熱くなります。僕にとってもソウルフードになりました。
また、この平釜を使った冠婚葬祭の食事の際には、一升の米を持っていけば家族の代表者が、二升の米を持ってけば家族全員が食べられるという文化があります。「二升の関係」は冠婚葬祭を行う家の家族や親戚、隣向こう二、三軒の組内の者、その他は「一升の関係」というように、これらの言葉は、久比における家同士の関係性を表す言葉にもなっています。
久比では鶏が道を歩いてるのが日常
動物との営み
久比の人々にとって、動物との営みは暮らしの一部です。久比に来たての頃、僕が暮らしていた家の真裏には鶏小屋があり、朝の三時四時になったら鶏が鳴き始めます。当時は「早すぎるよ。」と思っていましたが、すぐに慣れました。久比では当たり前の光景です。
かつては、各家の縁側の軒先で食用の鶏、家畜小屋には柑橘の運搬用の馬、服をつくるための羊、乳搾り用のヤギ、これら4種類の家畜に加え、家によっては田を鋤くための牛、食用の豚も飼っていたようで、かなりの動物が久比にはいたようです。江戸時代後期に広島藩によって編纂された芸藩通志には、牛が56頭いたという記録もあるので、古くから動物とともに暮らす文化があったのかなと推測しています。また、久比の人たちは自分たちで動物をしめて食べていたようで、昔から猪や雉も獲っていたそうです。
「海のもんは潮で洗うんが一番味がええ」
久比の人が普段、物を洗う西の内海(みよ)の今治階段(いまはるがんげん)
海の幸、山の幸
久比の人々の生活圏には、居間、台所、風呂、厠、農床の次くらいに海があります。昔は、晩御飯のおかずに、家の前にある磯で牡蠣を打って食べていたそうで、牡蠣やアオサやニイナ(つぶ貝の一種)など海のものは、潮で洗って食べるのが一番で、晩御飯の支度のために、海で物を洗いに行ったり、下ごしらえをしていたのだそうです。今でも、潮水を海に汲みに行く人の様子を見ることができます。
また、「久比人が遊びに行くゆーたら花札か磯遊びよのぉ。」と久比のあるおじいちゃんが言うように、昔は久比の目の前の海でタコやらウニやらを拾うのが楽しみだったそうです。潮のいい時間帯になると、今でも釣りをしに来る久比の人々をちらほら見かけます。
さらに、かつては「がらも」と呼ばれる海藻の一種を天日干しして肥料にしていたようで、この話も最初聞いた時は驚きました。ぼちぼち僕も農床やレモン畑をやっているので、いつかがらもを導入しようと思っています。
加えて、わらび、ヨモギ、タラの芽、たけのこ、松茸などの山の幸にも久比の人は敏感で、時期になると村の各所で下ごしらえや物々交換の様子を見ることができます。今年のたけのこは大豊作でした。
ポンカンの選果の様子
柑橘栽培
久比の現在の主産業は柑橘栽培です。「昔は山の峰の方までみかん山だったんよ」とみんな口を揃えて話します。また、昔から「久比は陰地(おんじ)の釜の底」と言われ、北向きであるため日当たりが悪く、みかんではなくネーブルや甘夏、レモンなどの「雑柑」を多く栽培してきました。そのため、久比は島内の他の地域と比べて品種が多く、秋から春にかけて様々な柑橘を目にすることができます。久比の人々の暮らしは柑橘栽培を中心に、その都度ある山の幸・海の幸、祭りを楽しみにしながら回っています。また、時期になると久比を散歩していると100mおきくらいに「あんたらぁ、喉渇いとらんか。」とみかんをもらうのも久比らしい風景です。久比の人々は、口を揃えて「久比は人がええけんのぉ」と言います。僕もそう思います。
みんなで柿の渋抜きをしている様子
久比の人の家には暮らしの道具がたくさん
久比で暮らす中で感じた「異和感」
片田舎の住宅街で育った僕にとって、服や食べ物はお店やスーパーで買うものだし、家は大工さんが建てるものでした。時間は、時計の針が進むにしたがって、均等に一時二時とやってくるものだし、季節もカレンダー通りにやってくるものでした。
久比では、昔は服は毛糸を紡いで機織りで織るものだったし、食べ物は農床でつくるもの。家も近所や親戚の手先の器用な人が建ててくれたし、今でも多少の修繕は自分たちでやるものです。日が出て日が沈む内に畑に出て働き、雨が降ったらその日はお休み。ふきのとうが出てウグイスが鳴いたら春を感じ、みかんの花が咲いて梅雨が開けたら夏が来ます。
ある時、普段お世話になっているおじいちゃんが、延長コードの先を自分で取り替えている様子を見て、そんなこともできるんですねと声をかけると、「あんたぁこんなこともできんかったら生きていかれんで」と言われたのが印象的でした。「暮らす」とは何か。「生きる」とは何か。ということを考える機会が久比ではよくあります。
教わりながら自分たちではじめてつくった冬野菜たち
「アオサ」や「たけのこ」の「しごう(下ごしらえ)」を習って、季節ごとの農床の仕事を習って、「これで来年からあんたぁ一人でもできるのぅ」と褒められます。自然の中で生きる知恵を教わる中で、久比の暮らしと都市での暮らしの違いに驚くことがよくあります。
2023年2月〜2023年10月まで半年以上、僕は月のうち2週間を久比、2週間を東京で暮らすといったように二拠点生活をしていました。
片道8時間、バスを乗り継いで久比へ帰ってくるたびに、「おぉ、やっと帰ってきたんに。おかえり」と出迎えられ、羽釜で炊いたご飯をよばれて、帰るたびに変わる季節や刻一刻と変わる瀬戸内海の景色をまの当たりにして「映画に出てくるような村だなぁ」という感動と久比のおじいちゃんおばあちゃんたちの愛情が身に染みていました。
月に一度、みんなで煮炊きしてご飯を食べる
「異和感」:主観的な視点から違いを感じ、他者や自分の行動や考え方に疑問を持つこと
久比に来るまで、そして久比に住んでからもしばらくは、「これだけしてもらったから、僕もこれくらいはお返ししなきゃいけない」というように、「感謝経済」と言う考えに共感しつつも、give and takeのような、等価交換の意識が自分の根底に潜んでいたように思います。これまで、僕が育った環境では、物やサービスはあくまでお金で買うもので、少なくとも見かけの上ではフェアに感じる価値のやり取りの元で社会が成り立っているように見えていました。
僕が久比で感じた「異和感」は、「どうも久比の人は、僕自身が今まで感じていた等価交換の価値観から外れたところにいそうだ」ということでした。そして、これまで久比の人々から多くの愛情を受け取り、等価交換の意識の外側で、自分自身も心の底から久比のために何かしたいという思いが芽生えるようになりました。
同時に、自分自身が久比に来る以前からそうしたものを受け取っていたことにも気づくことができました。いつの間にか、自分自身が久比の「感謝経済」の輪の中へどっぷりと使っていました。
「感謝経済」:ありがとうや他者への優しさや思いやり、無償の贈与(見返りを求めない親切心など)によって成り立つ経済
もずくとレタス、農床のじゃがいもとにんじんを物々交換
では、なぜ久比ではこのような価値観によって社会が成り立っているのか、現時点での僕の仮説は以下の通りです。
1.久比の集落の中では、農床をベースとした物々交換によって物事が回っているため、同等の価値付けが難しい(農床で育てた丸大根をあげる → 風呂吹き大根にしてお返しする)
2.即時性のあるやり取りよりも長い時間スケールの中で価値のやり取りが行われている(この畑はわしの曾祖父さんが開墾してくれたけん、わしらぁここで稼がせてもろぉちょる)
3.戦中戦後の食糧難など様々な苦労を経て「ご飯が満足に食べられること」や「生きること」のありがたみが身に染みており、「満たされている状態」のハードルが低い(わしらええ生活させてもろうとるんじゃけ、あんたらも呼ばれんさい)
4.山の幸や海の幸など、人同士の価値のやり取りだけでなく、山や海など自然に対する感謝をする場面がある(昔はひじきとる前に、海に御神酒やって神さんに挨拶してからとりょおた)
久比の人々は、連綿と続く久比の歴史の中の末端を生きる一人として、自分たちが暮らす地盤である村を作ってきた「先祖」や、自分たちを生かしてくれる「自然」の恩恵へ感謝するという環境・価値観の元で、今を生きる周りの人々にも感謝しながら、無償の贈与(見返りを求めない親切心など)を時間の縦軸・横軸を超えて送り合っているのではないかと考えています。
僕の視点から見た久比、久比らしさは、そうした「感謝経済」の中で自分たちの手で暮らしを成り立たせる「たくましさ」にあると感じています。
そして、こうした「久比らしさ」はこれまで僕が育ってきた価値観や考え方、ひいては世界観の外側にあるもので、この久比の暮らしの面白さをより多くの人に感じ取ってもらいたいという思いから生まれたのが今回の「久比 小さな暮らしの芸術祭」です。
芸術祭のPVの撮影風景
うどん汁の具材をつまみ食い
久比 小さな暮らしの芸術祭を通して
今回の芸術祭では、久比の滞在者や移住者がこれまで感じてきた「違和感」を様々な視点やメディアを通して表現するとともに、僕らの原体験である久比の人々との「語り部」を通して、参加者に少しでも久比の暮らしの面白さを体感してもらいたいと考えています。また、今回は、普段お世話になっている久比の方々にも「語り部」として全面的に協力していただいています。ぜひ、現地で生の久比を味わっていただければと思います。また、現地で芸術祭に参加できない方も、アートブックを通して、また芸術祭以外で久比に滞在することで、久比の面白さを体感していただければと思います。
ぜひ引き続きよろしくお願いいたします。
久比 小さな暮らしの芸術祭 実行委員会
福島大悟