あの見た目は水害対策が発端だった
vol. 18 2024-11-18 0
さて、久々に楽屋プロジェクト誕生秘話に話題を戻しますね。
ここから先は、活動報告Vol.13の続きです。
こちらが現在のプロジェクトの発信基地になっている改装前の楽屋の状況です。
1階の様子(360度カメラ):https://bazaar.log-system.jp/url-share/605875b05828f60012b1f784/Q7vPBaINrLBK8t0yw0Epe00XqQt447BX?openExternalBrowser=1
2階の様子(360度カメラ):https://bazaar.log-system.jp/url-share/605875b05828f60012b1f784/m7meLpDuKD6HGUd_mC6ih90T7JLNcfsH?openExternalBrowser=1
2023年9月に初めて内部調査をしました。
建物は築44年の鉄骨造。2018年の西日本豪雨によって、床上50㎝まで水没した為、1階はその後手つかずのまま放置され、お母様が施設に入られて空き家になってしまってからの、この数年間は時々娘さんが建物の換気などをして維持管理している状態でした。
実はこの西高屋地区は山間部にある町ですが、駅は周辺の山々に囲まれており(半径2㎞圏内で海抜差が200~300mもある)、すり鉢状の地形をしている為、西日本豪雨のような局所的な大雨に見舞われると、山からの水が一気に駅周辺の平場に押し寄せて水没するという問題を抱えていたのです。
今から約50年前にも同じような洪水がこの地方に甚大な被害をもたらしており、過去の水害に対する慰霊碑も建てられています。
この建物もそういった背景から水害を受けても倒壊しないように、今から44年前に鉄骨造として建て替えられ、1階はガレージと居間とトイレだけで、居住空間の全ては2階にあるという当時では珍しい造りの建物になっていました。そのおかげで6年前の豪雨災害で1階は床上浸水したものの、居住区の2階はそのまま生活が出来る状態で残っていたのです。
もちろんこれらの歴史的背景はこの調査の2ヶ月後に、地域の長老(井上さん)から聞いた話であり、その時は豪雨災害で被害を受けて1階の床がボロボロになっていることしか理解できませんでしたが、今考えるとやっぱり不思議な巡り合わせです。
建物の1階がガレージで2階が生活スペースだったのは水害対策の為ですが、そういう見た目の建物だったからこそ、私にとっては今回の『楽屋(コミュニティハウス)構想』を描きやすかったわけで、これが見た目が普通の家ならたぶん気に留めてなかったはずです。
そして今現在このプロジェクトで関わりの深い近畿大学の市川先生は洪水研究の専門家であった為に、洪水対策も見据えたまちづくり構想として、この西高屋周辺に焦点を当てて東広島市と共同事業(Town&Gown構想)を計画遂行していたわけです。
全てが奇跡的なタイミングで出逢い、この楽屋プロジェクトはその後もどんどんと地域の人達を巻き込んでいきました。
というわけで、今日はここまで。
次回は地域との関わり始めについてお話しするとしましょう!