惑星直列がやってくる
vol. 88 2020-12-14 0
87日目終了。
本日もご参加頂いた方がいらっしゃいました。
ついに目標金額まで90%オーバー。
目標の背中が見えてきました。
これも共に歩んでくださる皆様のおかげです。
ありがとうございます。
毎年12月になると翌年の占いの記事があちこちにあがってくる。
僕はあまり特殊能力的なものは信用していないのだけれど。
四柱推命とか、占星術は、古代から続く統計学なのだと思っているから目を通すようにしている。
託宣とかイタコとかタロットとか水晶とかはどうしても疑ってしまう自分がいる。
ただ古来から続く様々な例から傾向を調べてきたという学問は尊重して良いんじゃないかと思えるからだ。
実際、占星術なんかは今の科学と変わらないぐらいの学問だったわけで。
あまりにかけ離れた結果を出せば刑に処されることもあるぐらいだったわけだから。
ピラミッドでも、日本の神社でも、儒教でも、ギリシャでも、天体観測をしていた遺跡が洋の東西を問わず残っている。
今も宇宙についてなんかほとんど何もわかっていないわけだけれど。
当時は、天候や災害が常に死と隣り合わせの切実な問題だったわけで。
天の配置から、統計を取ったというのはとてもわかる。
実際に、地震や噴火には周期があるし、太陽や月の引力が様々な影響を及ぼしていることは今も間違いないからだ。
とは言え、尊重しているだけで断言しているような占いはあまり気にしていない。
こんな傾向がある年なんですよというのは、なんかあるのかもなと思うぐらいだ。
去年、そんな星を見るような占いで、来年は世界的な事件が起きると結構書かれていて。
それで世界的な疫病禍になったものだから、これは少し驚いた。
まぁ、毎年それっぽいことは書いてあるし、偶然もあるし、逆に何も起きない年なんかない。
だから当たっているというにはあまりにも希薄だとは思うのだけれど。
その大きな理由の一つが、来週22日にやってくる惑星直列だ。
太陽と地球と木星と土星が一直線に並ぶ。
なんとアメリカやヨーロッパでは目視できるのだそうだ。
木星と土星が重なるのだという。
日本でもかなり近づくのは観ることが出来るらしい。
古来の天体学者たちも、太陽系の惑星は発見していた。
太陽の通る道が黄道ということも発見している。
その黄道上のどこに惑星がいるのかで、運勢を読もうとした。
12星座占いというのは、つまり生まれた時に自分の上に黄道上のどの星座があったかだ。
でも占星術や四柱推命は、本来はその時の月や惑星の全ての位置を計算するらしい。
なんだかとんでもないことが出来たんだなぁと感心してしまう。
その運性を読む、木星と土星が夜空で同じ位置に重なるというのは大変なことなのだそうだ。
それで去年は何かとんでもないことが起きるという占いが多く出たのだという。
実際の現在の天文学ではどうなのだろう?
月の引力で海面の満ち引きがあるように、太陽と惑星の引力が公転を生むように、直線に並べばその引力が多少は何かに影響したりする可能性があるのだろうか。
いずれにせよ、なんと800年ぶりの惑星直列は僕たちが何をしようとやってくる。
今の流星群もそうだけれど、天体ショーは中々肉眼で見る機会が少ないから少し興奮している。
創作の現場にいるとよく聞く言葉がある。
「俯瞰で観るようにしないとダメだ」という言葉だ。
自分の視点だけで考えてはいけないという意味なのだけれど。
意外とこの俯瞰の視点というのは人によって曖昧なところがある。
例えば舞台俳優の殆どが、客席に自分を置くということを実践している。
けれど演出家の言う俯瞰はもしかしたら、今後の公演も含めた時間軸をさしているかもしれない。
宣伝を担当する人はやっぱり日本全体の社会からの視点であるし。
一流の人のインタビューを読めば、世界からの視点というものを常に持っている。
芸術家なんかは、それこそ鳥の視点で空から物を見ているようなところがあるし。
思想家たちは歴史に軸を置いた、時間という視点から物事を考える。
哲学者たちは心の奥底にある無意識のようなものに視点を置いたりもする。
映画と舞台の違いはカメラワークという視点の固定という大きな違いがあるのだけれど。
映画というのはそれこそ、視点というものを強く考えなければいけないものなのだと思う。
そんな時に天体からの視点をふと持つようにしている。
もうとてもじゃないけれど、把握なんか出来ないほどの大きさから物を見る。
人間一人なんてあまりにも小さすぎて、欠片にすらならない。
宇宙全体とか、太陽系とか、地球とか、天体として物事を考える。
自分があまりにもちっぽけで、どうしょうもないところで足踏みしているのがよくわかる。
それからもう一度自分の立ち位置に戻って、様々な視点で物事を考える。
数百年という単位で移動する彗星、数億年という単位の地球の歴史。
数十年の人生、春夏秋冬、朝昼晩、脈拍、脳波、光、音。
僕たちはあらゆる周波の中で生きている。
なんの影響もないかもしれないけれど。
僕に流れている周波は、天体の周波とどう重なるのだろう。
運命なんて信じないけれど、小さすぎる僕の想いはどこから来てどこに行くのだろう。
ただのノイズに過ぎないのかな。
人生で出会える確率の方が少ない惑星直列を迎えるのか。
何か大きなことが起きるようなそんな時代なのか。
そこで、僕はどこに向かうんだろう。
まぁ、なんの影響もなく、ただの天体ショーで終わるのかもしれないけれど。
自分はちっぽけだなぁと思うけれど。
同時に怖いものだってなくなっていく。
それに、ちっぽけだからって無意味になってしまうのかなって思えるようになる。
あがいてあがいて、僕はどんなふうに生きていくのだろう。
意味なんか求めないけどさ。
せめて、自分を納得させたいし。
せめて、僕を知っている人たちに少しだけでも心を動かしてほしい。
広い宇宙の端っこでも、生きてるってすげーって思って欲しい。
実際には、地球と木星と土星なんて、信じられないほどの距離が空いている。
宇宙船を創ったって到着するまで何年も経過してしまうような距離だ。
それが僕が見上げた時の視点で重なる。
それを邂逅なんていうのはふざけた話さ。
実際には遠く離れているんだからさ。
人間のいじましい努力で蓄積されてきた統計学ではその邂逅が意味を持つわけだ。
西洋占星術ではグレート・コンジャンクションというらしい。
これで、地の時代から風の時代に移るとか。
思えば自分の環境が今年一年で大きく変わっていて。
2020年は世界的な疫病禍とは関係なく、個人的にも変革の一年だった。
何かが変わって何かが動くのだと占い師たちが示している。
信じるか信じないかではなくて。
そうなのかもしれないなと、ポジティブに受け止める。
正直、風の時代って何だよ?みたいな感じなのだけれど。
悪い占い結果は信じない自分勝手な取り方さ。
でも、なんとなく、そういうものは自分の追い風にだってなると思っている。
そうか、時代が変わるのか。
そうか、新しい何かがやってくるのか。
そうか、その節目に僕は立っているのか。
そんな具合に。
適当だって前向きになれるならそれでいい。
神の存在すら、僕は疑っているような人間だというのに。
2020年は一生記憶に残る年になった。
その年が終わろうとしている。
新しい一年がやってこようとしている。
そんな年をまたいで、このプロジェクトが終盤を迎える。
88日目が始まる。
4つに区切って考えてきた120日間の最後の30日まであと少し。
その最後の30日はどんな日日になるのだろうか。
天体的にも、歴史的にも、個人的にも、色々と重なるのだ。
重なればいいさ、惑星直列なのだから。
空から何かが降ってこい。
小野寺隆一