光射す方へ
vol. 81 2020-12-07 0
80日目終了。
しばらく動かないと思っていたのにまた参加者が増えました。
ご参加ありがとうございます。
どうか共に歩んでください。
僕を良く知っている人は、僕がお人好しで気が長いという。
まぁ、仕方がないよ、こうなんじゃないと怒っている人を諭したりもする。
人が怒っているのをみて笑っていたりもする。
聞けば、寝言で大声で怒鳴りまくる日があるらしくて。
生きている中でも必死で怒りを抑え込んでいるのかもしれない。
皆の前でいじられたり、笑われたりするのも、まぁ、面白いかもなぁと思える。
ただ怒るときは怒る。
一番、怒るタイミングが遅いと言われるけれど。
一緒にバンドをやっていた織田には、小野寺は怒らせちゃだめだよと言われる。
何度も何度も、その瞬間を見ているからだ。
昨日まで普通でも、怒れば終わるからと口にする。
そうなのかな?と自分では少しわからない部分もあるけれど。
確かに言われてみればそうなのかもしれない。
でも同時に怒らなくてはいけない場面もある。
それは自分にとってはストレスでしかないけれど。
我慢すればできるのに、我慢しちゃいけないのかぁと思えるような場面。
例えば、この人を怒らせちゃいけないなという人がそこにいた時だとか。
例えば、理不尽な権力の行使をみた時だとか。
例えば、緩んでしまった緊張感の中で、誰かが何かをしなくてはいけない時とか。
そういう時はあえて怒るというよりも、自分に残っているリミッターを外す。
そういう時は嫌がられることが前提で怒っているから、とても落ち込んだりする。
そして何も考えずに怒ったり笑ったりできたらなぁっていつも思う。
多分、怒りという感情を僕は大事にしてきた。
とっても重要なものだと思ってきた。
我慢するのは、こんなのは大事なことじゃないと思っているからかもしれない。
いくつかの感情は人間の心の奥底から湧き出てくる。
表層から出てくる感情もあるし、根源から出るものもある。
どちらも重要なものなのだと思うけれど。
腹の底からの怒りを一度でも経験すると、他の事は軽く感じてしまうのかもしれない。
劇的と呼ばれる瞬間は、根源的な場所から感情が溢れ出る瞬間をさす。
抑えられる程度の怒りは結局、その程度のものなのだと僕は思っている。
ケチくさいことで怒っている自分がどうしてもみっともなく感じてしまう。
爆発的に感情が溢れるような瞬間を今、僕は待っているようなところがある。
怒りの感情のようなものはずっと心の奥底にあってそれを抑え続けている。
抑えることが出来る程度なのかもしれない。
どかんと笑い転げてしまったり、ボロボロ泣けて泣けて仕方がない場面だったり。
そういう瞬間を待っている。
何年間もかけて、僕は何かを貯め続けて、押し殺してきた何かが心に巣食ってる。
それは微かなストレスになって、自分をじわじわと苦しめている。
ちゃんと注意していないと呑み込まれるからなと自分に言い聞かせている。
躁状態にも鬱状態にも簡単に傾ける気配がする時、ふらっと夜道を散歩して落ち着かせる。
その場しのぎはもうたくさんだ。
その場その場をなんとかやりくりすれば保つことが出来そうな気がするけれど。
心の中でどんどん何かが大きくなっていく。
僕たちは乾坤一擲の何かをしなくてはいけないよ。
ただそれは心が呑み込まれるからではいけないと思う。
そこに希望がなきゃいけない。
光に向かっていかなくちゃいけない。
今、目に見えない怒りがこの世界を覆っているように感じている。
その怒りがいつ爆発してしまうかわからないぐらいに。
アメリカの大統領選で分断が生まれたのも、この目に見えない怒りが影響してると思う。
米中の緊張感だってそうだし、世界中で何かがふつふつとしている。
東ヨーロッパで、アフリカで、戦争状態が突如起きるようなことだってあった。
僕は僕の心の中に巣食っている魔物に気付いている。
こいつに呑み込まれてはいけない。
その場しのぎで対応し続けていれば、いずれこの魔物は何か別のものになってしまうよ。
かっこつけないでいい。
自分をさらけ出すようなことでもいい。
腹の中に貯まった虫たちが一瞬で浄化するような。
別の形で、昇華するような。
そういう何かが世界には必要なんじゃないだろうか。
別に世界を救おうなんて大それたことじゃなくて。
僕は僕の世界の中でそれを実践しなくちゃいけないんじゃないだろうか。
再び同調圧力が高まっている。
多様化の時代だなんて言っていながら、皆に合わせろと言う無言の声が続く。
社会の一員である以上、社会のルールは守るべきだ。
その上での多様化とは何なのか。
人が人であり、個が個でありつづける根拠とは何なのか。
信念を持つことと、希望を捨てないことの差とは何なのか。
がんじがらめに感じているこの鎖の正体が何なのか。
世界中でイデオロギーの対立が再び盛り上がる中で僕は目を吊り上げてる。
海に向かってバカヤロウって叫べば済むことなのかい?
誰だって抱えている自己矛盾の中で、僕もあがく。
あがきながら、否定的な何かを全て黒く塗りつぶして、肯定的な何かを探す。
たった一本の映画の製作を決めた。
それで何が変わるのかと人は言うかもしれない。
でも僕はそれが必要なのだと信じている。
光に向かって歩くために必須じゃないかと信じて進んでいる。
何かが変わるんじゃない。
僕が変わるのだ。
僕の心の中が変わるのだ。
光射す場所を目指すという姿勢だ。
そしてそれは僕だけじゃないはずだ。
光の方向を見つける人がきっといるはずだ。
81日目が始まる。
この道は夢の道じゃない。
現実的な一歩を進んでいかなくては辿り着くことのない道だ。
小野寺隆一