記憶の染みついたものは廃棄したけど
vol. 74 2020-11-30 0
73日目終了。
今日もご参加が増えた。
皆様ありがとうございます!
日々勇気を頂いております!
劇団の倉庫の廃棄作業に向かう。
これまで活躍したパネルや階段などの木材はどんどん運んだのだけれど。
小道具を運ぶときは少し寂しかった。
どの小道具も、作品を思い出したから。
原田左之助の槍と、海援隊の旗は、なんだかとっても寂しかった。
僕の汗が染みこんでいる。
廃棄は早い。
どんどん運び出してトラックに積み込んでいくだけだから。
かつての大道具も小道具もポスターやそのほかの全てのものが運ばれて。
あっという間に倉庫はすっからかんになった。
なんにもなくなった。
22年間分の歴史が詰まった倉庫は、元の姿に戻った。
これは捨てちゃだめだなっていうのだけは取っておいたけれど。
たったの段ボール二箱だけだった。
それも何かするわけでもなく、実家に置いておくだけだ。
いつかどこかで必要になる日が来るのだろうか。
断捨離は物を捨てるのではなく。
思いを捨てることでもあると言うけれど。
今日いた4人はすっきりしたりしたのだろうか。
僕にはそこまではわからない。
僕はどこか複雑な思いを残したままだ。
これだから、自分のような人間は駄目なのだと思う。
たくさんの残滓が残ったまま僕は生きている。
これであとは最終公演のいくつかの清算を残すだけになった。
HPも自然と契約期間が終了すれば閉鎖される。
SNSやBLOGなどの無料サービスはどうなのかな?
わざわざ削除することもないのかもしれない。
いつかの法事の席で驚いた記憶がある。
ずっと隣同士で幼馴染のように育って従兄弟との話で。
こんなことがあったよねぇという話をしたらまるで相手が覚えていなかった。
それも年上の従姉妹だったから余計に驚いた。
よくよく聞くと子供の頃の事なんかほとんど忘れていると言う。
そんなことがあるのかと思って友人に話したら、その友人も同じだった。
その頃にはやったおもちゃだとかしか覚えていないという。
ぼくはその時の会話まで覚えていたのだけれど。
意外に、子供の頃の記憶がない人が多いのだとそれから知った。
僕にはどうしても子供の頃の記憶のないまま生きていることがイメージ出来なかった。
きっと僕は人よりも記憶に縛られているのじゃないかと思った。
僕は幼稚園の頃も、その前の記憶も残ってた。
その時に何かを思って、何かを考えて、記憶に刻み続けてきたのだと思う。
そしてきっとそんなことが癖になってる。
だからもうとっくに諦めている。
どうせ僕は引きずりながら生きていくのだから。
ありとあらゆることを引きずりながら。
人によって違うのだ。
きっと劇団解散して思うことだって一人一人違うだろう。
引きずる人間だからこそ。
僕はいつの間にか、すぐに走り出す癖がついた。
その気になればいつまでだって引きずることが出来るんだ、本当は。
だから全部を背負ったまま無理矢理にでも走るんだ。
休んでいたら痛い目に合う。
今までずっとそうだった。
吹っ切るんじゃない。
全部そのまま持ったまま走り抜ける。
気付けば11月30日。
11月中に100人という目標を立てた最後の一日。
何もかもをそのまま記憶に留めながら。
それでも次を、未来を、希望を、探し求めている。
心は不要不急だと言われた2020年。
衣食住以外は簡単に切り捨てられた。
身体の健康と心を分けることなんて出来るわけもないのに。
僕の今まで生きてきた全ての記憶が叫んでる。
今、走らない事なんてありえないと。
何が起きるのだろう?
これから。
社会は不安ばかり煽ってくるけれど。
何か面白いことが起きるかもしれないよ。
わくわくするようなことさ。
どきどきするようなことさ。
僕は劇団の記憶の染みついたあらゆるものを廃棄しながら思い出してた。
ずっとワクワクしていたんだ。
ずっと楽しみに待っていたんだ。
そんな大事なことを忘れるわけがないだろう?
そんな大事なことまで廃棄するわけがないだろう?
共に歩んでくださる方が今日も増えた。
100人まで行くかどうかじゃない。
その目標に向かっていく。
どれだけ負けてきた記憶があることか。
負けたって笑ってきた。
痛くたって、つっぱってきた。
最後に笑えばいいさ。
74日目が始まる。
11月最後の日。
今日を過ぎれば、2020年は残すところ1カ月だ。
小野寺隆一