取り戻すのは心
vol. 66 2020-11-22 0
65日目終了。
三連休初日。母が退院をした。
ご存じだった皆様にまずはご報告を。
ご心配をおかけいたしました。
特別に隠していたわけではないのだけれど。
人に心配をさせるようなことをあまり言うべきではないと思って伏せていた。
特に入院になった日が「東京しもきたサンセット」の初日ゲネプロ直前だった。
これから本番を迎える緊張のピークのタイミングだから仲間には伝わらないようにした。
その報せが届いた直後に集合写真の撮影と言われて笑顔がつくれないから無理に表情を創った。
病状としてはただの風邪をこじらせたようなものなのだけれど。
持病の薬の逆効果で、ただの風邪でも酷くなる。
高齢者だし風邪とはいえ簡単に考えていいものじゃなかった。
顔に不安を残したまま舞台の受付を出来ないから、その翌日からフェイスシールドにいたずら書きをした。
そんな理由からでした。
まだまだ体力的にも元に戻ったわけじゃないけれど一つ安心をした。
今日は病院から一緒に実家に移動して、ただしばらく一緒の時間を過ごした。
猫たちは少しだけ戸惑ってた。本当は嬉しいくせにさ。
けれど同時に不安な思いも残している。
一か月半近く入院をしてようやく出てきた世の中は再び感染拡大の世界だ。
ただの風邪であそこまで酷くなるというのに。
まだまだ本調子までには時間がかかるっていうのに。
心配がなくなったわけじゃないんだな。きっと。
なんて世界は苛酷なのだろう。
感染拡大と共にお見舞いが出来なくなって顔もしばらく見れなかった。
今は顔を見ることが出来るようになっただけでも良かったと思うべきかもしれない。
現実はいつも突然やってくる。
今までもそうだった。
突然、突然、突然、突然、突然。
芝居なんかをやっていること自体、すでに親不孝の道を歩いている。
僕はたくさん反対をさせたし、たくさん心配もさせてきた。
父が急死して何一つ芝居で喜ばせることが出来なかったことが、とてもかなしくて。
母に少しだけでも自慢できるような何かを残したいと思ったのが映画製作のきっかけだった。
セブンガールズの舞台挨拶で何度か仲間たちの親孝行の場面が生まれて。
その土地土地で僕はそれを口にして、心から喜んだ。
そんなことが目標なのか?と言われてしまいそうだけれど。
もちろん、そんなことだけじゃないのだけれど。
でも、そんなことが大事なことなのだと思う。
そういう思いまで背負うべきなんだ、きっと。
寺山修司さんの反対になっちゃうけれど。
もっと。
もっともっと。
僕はやるべきことがあったのに。
まだやりのこしていることばかりだよ。
この映画「演者」プロジェクトでどこまで迫れるだろう。
母だけじゃない。これまで出会った全ての皆への恩返しを。
膨張し続けている。
パンクしそうだ。
世界は変わってしまった。
目に見えない小さな小さなウイルスに怯えてしまうようになった。
個人情報までアクセスできる国々が感染を堰き止めるとイデオロギー闘争が再燃した。
生活が困窮していくと貧富の差が広がった。
活動が制限されていくにしたがってギスギスして宗教対立が深刻化してる。
感染源を巡る疑惑に新しい冷戦構造まで生まれている。
国と自治体がいがみあい。
与党と野党が罵り合い。
アメリカじゃ民主的プロセスに疑義が入って分断が加速してる。
見渡せばどこの国も軍事費がどんどん上がってる。
誰もが何かの、誰かのせいにしたがっている。
あいつが悪いと名指ししたくてウズウズしてる。
正義のためのウソなら許されると思ってら。
日常を取り戻せなんて誰にだって簡単に言える。
でもことはそんなに簡単じゃないさ。
わかってる。
じゃあ、何から手につければいいんだ?ってことだ。
加速する不安の中で、僕は立ち竦んでいるわけにはいかない。
今、世界中で起きていることを、どう感じるべきなのか、とめるわけにはいかない。
いまを生きているのだから。
生きてさえいればいい。
そんな言葉を目にするけれど。
「生きる」ってなんだ?ってことは誰も何も伝えてくれない。
やりたいことをやったら生きているのか。
じゃあやりたいことがない人はどうしたらいいのか。
ただ呼吸をしていればいいのか。
なんにもなく、散歩をしているよな時間だって大事さ。
ただ僕はこんな日常が少しだけ豊かになったらいいなって思っているだけだ。
カップ焼きそばを食べて、うますぎる!と声をあげて笑えればいいさ。
そして僕にとっては芝居は常にそこになくてはならないものだってだけだ。
明日は久々のセブンガールズの上映の日。
コロナ禍で中止になった上映を越えてようやく都内で上映。
午前中から打ち合わせもある。
映画の上映が普通に出来るようになって。
その普通がいかに大事なことなのかってつくづく思ってる。
僕は日常を取り戻す方法を知らない。
誰かが言った新しい日常とやらもちょっとうまく理解できない。
僕の使う日常という言葉の意味がどうもあいつらとは違っているらしい。
そんなにつまらないものだったか?生きるとは。
感染拡大は深刻だと思う。
また不安なニュースが続いていくのだろ。
僕だって、母を思えば不安が大きくなっていく。
だが不安の中を生きるべきじゃない。
注意することには注意をして。
やっぱり笑って生きていくべきだ。
小さくてもいいから希望を生きていくべきだ。
猫と母と僕のなにげない時間。
ただ一緒にいるだけの時間。
本当に久々のそんな時間だった。
世界が変わったんじゃない。
心が変わったんだぜ。
だから僕は今日も進む。
心を変えるべきじゃないから。
今まで通りに。
前に前に進む。
この世界のどこかにいる誰かの希望の光になっているかもしれないのだから。
心を取り戻すのだ。
66日目が始まる。
小野寺隆一