龍馬忌
vol. 59 2020-11-15 0
58日目終了。
本日も共に歩んでくださる方が増えた。
ありがとうございます。
11月15日。
今年も坂本龍馬の誕生日でもあり命日でもある日がやってきた。
毎年、日本各地のゆかりの地で式典が行われる。
暗殺というショッキングな最期を迎えたから命日というイメージが強いけれど。
僕は毎年、誕生日おめでとうと心で伝えるようにしている。
この人がいたから今の日本はあるし希望があると心から思っている。
そしていつの間にか龍馬は僕の友人で、いつもそばにいるような感覚がある。
僕が坂本龍馬と出会ったのは「IZO」という舞台の作品からだ。
劇団旗揚げ3公演目から参加して、最初の公演から舞台経験があったからか主演をさせていただいて、始めて主演じゃない役が坂本龍馬だった。
幕末期、京の街で人斬りと恐れられた岡田以蔵の物語。
そこから人物像を知るためにあらゆる本を読み、調べていった。
嬉しいことにそれからいくつもの作品に坂本龍馬さんは登場した。
坂本龍馬さんが中心となった作品も2作品あって、あの暗殺シーンも演じることになった。
僕はその頃には京都にまで墓参に出かけるようになっていた。
劇団にとっても一番盛り上がって大きくなった時期だった。
動員は2000人を超え、ホールクラスの劇場で僕は坂本龍馬さんを生ききった。
今も僕のことを龍馬さんと呼んでくださるお客様がいるけれど。
最近僕を知ったお客様はきっと僕のそういう姿を想像も出来ないと思う。
好きな日本の歴史上の人物でベスト3に必ず入る坂本龍馬さんがつい最近まで無名だったことは意外に知られていない。
幕末の三傑と言えば西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通で、坂本龍馬は入っていない。
実際に好きな歴史上の人物ベスト10を見渡してみれば、坂本龍馬以外は将軍であったりかなりの地位まであがって歴史に名前を残した人ばかりなのに、龍馬さんは唯一、最期まで浪人だったから、史書には驚くほど名前が残っていない人物だ。
司馬遼太郎先生が「竜馬がゆく」を新聞で連載して、それが高度経済成長期に大ヒットを記録して、そして最後に歴史上に本当にいた人物で、勝海舟や陸奥宗光が残した言葉があって、初めて日本の英傑に数えられるようになった。
最初から最後まで、高い身分になることもなく、実際には影になるような場所で必死に走り回った人だった。
高度経済成長期、敗戦の痛みから立ち上がり、日本が世界に向けて成長し続けるという背景に、星雲の志をもって走る姿は多くの働く青年たちの共感を呼んだのだという。
「世の人は我を何とも言わば言え 我が成すことは我のみぞ知る」
若き日の龍馬さんが詠んだ歌だ。
この時、龍馬さんは孤立していた。
帆船の発達でアメリカ大陸を発見して、世界一周を成し遂げた西欧。
その後、蒸気機関を発明してから海洋進出は本格化していった。
大英帝国はインドに東インド会社を設立して植民地とした。
植民地政策は世界に拡大していった。
日本は極東という地理的条件もあって植民地化の最後の地点だった。
それでも鯨油を燃料としていたアメリカが港を求めてついに品川沖に黒船で現れた。
アジア・アフリカで植民地化されなかった唯一の国と呼ばれる日本がなぜそれを免れたか。
その時、鎖国政策を敷いていた日本の若き侍たちは日本を守ろうと鼻息を荒くした。
国交を結ぶ官僚を暗殺するような事件も頻発していた。
そんな中で坂本龍馬も若き侍たちの一人だったはずなのに。
物騒にも凶刃さえ振るう仲間たちの中で、開国を目指すべきだと声を上げた。
幕府の官僚に操船を習い、多くの仲間たちを勧誘さえした。
坂本龍馬は黒船をうちはらうのではなく、自ら黒船を操船して世界に船出したいと考えた。
孤立するに決まっているし、糾弾され、命さえ狙われた。
鎖国時代にグローバリズムを唱えていたのだから。
結果論で言えば誰だってそれを簡単に評価できる。
それからちょんまげをつけた武士たちは何人も留学をして学ぶようになった。
日本は明治維新を成し遂げて幕藩体制から、近代国家へと生まれ変わる。
西欧の技術を次々に輸入して、蒸気機関車を走らせ、石造りの建築も学んでいく。
そして黒船を創り日露戦争で当時世界最強だったロシア艦隊を打ち破る。
それが当時正しい判断だったと今ならば誰だってわかるけれど。
当時のその雰囲気、社会情勢の中で、不平等条約を結んだ中で、これを考えていたのは何人もいなかった。
いや、仮に考えていた人がいたとしても、それを成し遂げるための行動をしていた人はほとんどいなかった。
もし坂本龍馬が一介の浪人じゃなかったら、しがらみであそこまで動けなかったはずだ。
犬猿の仲の薩摩藩と長州藩が手を組む段取りを組み、徳川将軍家が天皇家に政府機関を禅譲して新たな政府を立ち上げる草稿を書き、その為にあらゆる人と会い説得を重ねたことを出来たのは、なんの肩書もなかったからだ。
維新後に無名で誰も知らなかった事実を、勝海舟が「あれは全部、龍馬がやったことさ」と口述したことでようやく歴史に名前が残った。
龍馬さんが堂々と妻のおりょうと手を繋いで歩いたとか。
日本で初の新婚旅行に行ったことだとか。
日本で初の株式会社である亀山社中を起こしたことだとか。
身分制度のきびしい江戸時代の中で、龍馬さんが目指したものは全て「自由」の方向だった。
ひょっとしたら日本をどうにかしようとすら思っていなかったかもしれない。
もっともっと大きくて小さなこと。
自分を縛り続ける何かをただほどきたかった。
自由に海を船で走りたかっただけなのだと僕は今も思っている。
好きな人と自由に手を繋ぎ、旅行をして、商売をして。
封建社会でそれを目指し続けたのだとしか思えない。
たまたまそのためには幕藩体制が邪魔で、武士という身分がつまらなくて、鎖国が息苦しかったんじゃないかと思える。
そしてそんな考え方は繋がっていって、板垣退助の自由民権運動にたどりつく。
僕たちが今、自由に生きていけるための萌芽を創ったのだと僕は思っている。
多分、劇団であるとか、バンドであるとか、映像集団でもいいのだけれど。
インディーズというものの最初が亀山社中であり、海援隊だ。
なんの肩書もない自由な連中が、未来を目指して行動をする。
それも政治結社などでもなく、自分たちの自由に向かって。世界に向かって。
そしてそれはきっと歴史だって動かせるんだと僕が信じている根拠だ。
全身数十カ所を斬られ。
2年以上伸ばした髪の毛はほどけてざんばらになって。
暗殺の立ち回りが終わった僕は、舞台上に寝転がっていた。
あの時、ああ、龍馬さんは無念だっただろうなぁと思って自然に目尻から涙がこぼれた。
もっともっと恋人と一緒でいたかっただろうなぁ。
もっともっと船で世界を飛び回りたかっただろうなぁ。
どこまでも自由に、開かれた国で生きていきたかっただろうなぁと。
そして僕はゆっくりと目をつぶった。
暗転に包まれて、僕は坂本龍馬の死を演じた。
音楽が流れているのに客席からすすりなく声がずっと聞こえていた。
それを演じた日から僕は龍馬さんの友人になった。
まっこと、やらにゃ、いけんぜよ。
君はいつも僕に言う。
二人でけらけら笑いながら色々と企んできた。
あの人はふらっと僕の所に現れていつも笑ってはっぱをかけてくれる。
あなたのように伝説にはなれないかもしれないけれど。
わかっているさ。
僕もトモダチを大事にしながら、前に進むよ。
あの頃の僕を知っているお客様から。
ここ何年間かずっと言われている。
龍馬さんを演じた頃のような小野寺さんが観たいと。
またみせてほしいと。
僕もそれをやらなくてはなとずっとずっと思っている。
それをやるには黒船を自分で操船できるようにならないといけない。
例えば、そういう雰囲気じゃなくても、一人でも。
そして友達に声をかけ続けなくてはいけない。
孤独だとしても、未来を信じ続けるしかない。
僕の海援隊を創るまで。
僕は船を出すよ。龍馬さん。
自由に向かって。
つまらない縛りなんか、ほおっておいて。
お誕生日おめでとう。坂本龍馬。
59日目が始まる。
小野寺隆一