僕は裸一貫の僕自身に
vol. 54 2020-11-10 0
53日目終了。
大きく動いた日になりました。
皆様ありがとうございます。
先週末に40人突破をお伝えしたのにあっという間に60人目前。
そして50%100万円を突破してからあっという間の60%120万円まで。
11月中に100人を目指せたらと思っていたので感動的でした。
大きな勇気をいただきました。
役者には実は逃げ道があるんだよなって思います。
例えば作品の評判があまり良くなかったとしても役者個人まで傷はつきにくい。
主演になって初めて作品の評判の責任まで背中に感じてくる。
劇団では自分は恐らく一番主演を演じてきて、その重さはいつも苦しいもので。
でも考えようによっては役者はその重さの半分ぐらいしかきっと背負えないわけで。
主演じゃなければ当然、作品の中の1ピースになっていくから更に責任感は軽くなっていく。
これだけは役割としてやらなくてはいけないという箇所はもちろんあるのだけれど。
それ以外は、自分がどこにどれだけ魂を込められるか、届くのかという勝負になってくる。
同じように例えば団体に自分のアイデンティティを置くとそこも軽くなる。
あいつの芝居は、、、という意見が、あそこの芝居は、、、という塊になる。
もちろん劇団であったり、座組に依存するのはその座組への愛情も深いからだけど。
とは言え、俳優という存在単体で考えた時にそれが良い事なのかどうかは別で。
意外に作品を創る側は俳優にそこまで作品の責任を背負わせるべきではないと考えていたり。
自由に演じた方がいいのか、作品そのものに自分を刻み込んだ方がいいのか。
そういうのは実は役者それぞれのタイプに依存するのだと思う。
団体というのは目に見えやすい劇団だけじゃなくて実はたくさんあって。
例えばドラマの「相棒」は水谷豊さんを座長にした座組と言っていいのだと思う。
新しいドラマが始まって、よく見ると作家やスタッフが共通というドラマがあって。
キャストは違っていても、実は脇を支えるキャストは共通していることが多くて。
ああ、これはあのドラマの座組の新しい作品なのだななんて言うことがあって。
映画なんかだと、○○組というのはもう作品のたびに集まるチームのようなもので。
俳優はそのたびごとに、自分の役割というか、そのチーム内の一部になるという側面もある。
だから役者が抱える責任とは多分「期待」なのだと思う。
応援してくださるお客様からの期待。
一緒に作品を創っていく仲間たちからの期待。
監督や作家からの期待。
テクニカルスタッフからの期待。
その全ての期待に応えることが出来るのかどうかが責任になっていく。
役者が持つ覚悟はそういう種類になっていく。
正直に言えば自分が弱っている時。
自分みたいな人間に何をそんなに期待しているのだ!
もうそれ以上期待されても何も出てこないよ!
期待しないでくれ、やりたいようにやらせてくれ。
もういいよ。もういいよ。
そういう気分になることだってある。
多分、役者だったりする人はほぼ全員そういう時期がある。
僕の場合はそういうことが自分の中に浮かんできただけで。
あ、また自分はちょっと弱っているのか。と自覚するバロメーターになってる。
でも期待されなくちゃ役者は仕事も来ないし、お客様も来ない。
そもそも役者をやる事が期待を受けることなのだからこのモードはただ弱ってるだけなんだ。
僕はそう思うたびに、自分自身にもう一度問いかけるようにしている。
じゃあ、一番、お前に期待しているのは誰なんだよ?と。
子供の頃からそれは変わらない。
自分自身だ。
僕は僕に期待している。
お前はまだとんでもないことが出来るだろ?といつもいつも。
周囲の期待なんてものを軽く凌駕する期待をかけている。
人から期待されることなんか小さく見えるぐらいに。
自分を小さく見積もってしまう時、僕は自分が自分にかけている期待を思い出す。
例えどんなに絶望の淵に立ったのだとしても、立ち上がるだろう?と。
誰よりも僕は僕を知っているのだから。
まぁ、弱っている時にそれを思っても簡単には戻らないけれど。
それでも少しだけ肩の荷が軽くなる。
なんだ、僕ほどには誰も僕に期待していないじゃないか。
そんな風に少しだけ吹っ切れる。
芝居のことで悩んだりだけじゃなくて。
日々の生活や、まぁ劇団の解散だとか、人間関係だとか。
とにかく、人は簡単に弱っていくし、自分のモードがおかしくなることがある。
そんな時に僕は僕をチェックして、僕自身で回復するように試みる。
クラウドファンディングというのはきっとそんな期待を集めるところ。
参加してくださった皆様が楽しんでくれるように約束をするところ。
それも共感がベースになっている。
多分、がさつな人には出来ないし、中途半端に繊細な人にも出来ないのだと思う。
期待がたくさん集まって欲しいと願わなくてはいけないし。
願えば願うほど、背中にかかってくる期待は重くなっていくはずだから。
僕はそれをちゃんと背中に感じながら、それでも圧し潰されないように足を進める。
だって本質的に役者は期待されるべき仕事なのだから。
僕はこれからの僕に大いに期待しているのだから。
劇団員でも何でもない僕個人で始めたこのプロジェクト。
責任は今までよりもずっとずっと重いし、期待はずっとずっと大きく感じる。
それを思いっきり抱きしめる。
とっくにそれを覚悟しているからだ。
これまでは告知を繰り返しアップデートを更新するだけだったけれど。
古い友人など一人一人連絡していくことも始めた。
オファーをした役者たちには積極的な告知をしないでいいと伝えている。
僕自身がそれをしないというのは話にならない。
11月中に100人という自分なりに高い目標を設定している。
告知をしたってSNSをあまり見ない友人たちはたくさんいる。
SNSはやっても斜め読みの友人たちだっているだろう。
メッセンジャーやメールで連絡を取らないと知らないままになってしまう。
もちろん参加のお願いじゃなくて、プロジェクトを始めたことのお知らせだけれど。
それをせずに友人たちに後から怒られたことも何度も何度もあったから。
嬉しいことに懐かしい友人たちからたくさんの連絡が返ってきている。
友人の一人から。
あの頃から変わらず今も頑張っている寺さんに感動したよ。
そんな連絡があった。
そんな返信だけで、連絡して良かったと思った。
僕は僕だけれど、僕一人じゃない。
今まで知り合ったたくさんの人がいて。
そんなたくさんの人との出会いそのものが僕なのだから。
そして、これからもそんな風に誰かと出会い続けていくのだから。
54日目が始まる。
期待で潰れることはない。
期待は僕にとって勇気そのものだ。
小野寺隆一