第二稿の脱稿と新たなるオファー
vol. 47 2020-11-03 0
46日目終了。
第二稿を脱稿した。初稿から二週間ほどかけて改変していった。
全体の骨組みは変わっていないけれど、補強と、細かい説明的箇所を削ることに終始した。
説明を削るのは勇気がいる。充分に伝わると信じて削っても、難解だと言われるからだ。
それでも自分の中でこれはもうただの説明だというものは残したくない。
セリフで説明をするぐらいなら本を出した方がいい。
映像で伝わるはずだ。芝居で伝わるはずだ。
まだ初稿を送っているキャストには送っていない。
その前にやらなくてはならないことがあるからだ。
舞台版から配役が倍以上に増えている中で。
この作品に必要になるだろうと想像している配役があった。
ただ書いてみないとバランスが悪くなる可能性も同時にあった。
だから結果的にカットしてしまうかもしれないとずっと躊躇していた。
その配役のいくつかが確定した。
この配役を出すと決めた。
だとすればこの配役のオファーをしなくてはいけない。
まず最初にこの役を演じて欲しいとお願いすることにした。
キャストが揃わなければ再びカットすることも考え直さないといけないからだ。
何故この作品にこの配役が必要なのか。
それは役の大小に関係なく、俳優にとってはとても重要なことだと思う。
まぁ、いなければいないでもいいという配役も世の中にはたくさんあるけれど。
自分が作品を創作するのであれば、それはなしだった。
役をもらった!とどんな役でも喜ぶ俳優はこの世に山ほどいる。
どんな仕事だってやりますというのが正しいのだと思う。
けれど、そういう自己顕示欲から生まれた出演は僕の中ではあまり意味がない。
結果的にその作品で必要不可欠な存在であるかどうかこそ大事なのだと思う。
俳優が仕事をしたといえるのは、その作品に貢献できた時だけだ。
だからこそ創作した自分がこの作品の中でこういう役割だと説明できるまでオファーしなかった。
それは役者をやってきた自分が創作する以上、絶対に必要なことだった。
配役に疑問を挟めるような形は、作品製作の中で信頼を崩すことになりかねないことを知っている。
確定した配役3役のうち2役のオファーを出した。
作品の中での役割も含めて説明を書いた。
どのように受け取ってくれるかもわからないし、ゆっくり考えてくれていい。
俳優として参加したいと思ってくれるかどうかだけが重要だ。
長く一緒にやってきた仲間であればあるほど。
やらないか?と聞けば、やるよと答えるところがある。
そこになんの説明がなくても、やるのが当たり前のような雰囲気になることもある。
でも今回はそれをしたくなかった。
多分、ノリで出演してしまえばそれも作品の空気になる。
幸い一人からすぐにシナリオを読んで快諾の返事が来た。
Motion-galleryのプロジェクトページは公開後の改変の場合申請が必要になる。
開始後に参加条件などが変わってしまうのは問題があるからだ。
早速、確定した役と、快諾してくれたキャストを記載して申請をした。
承認されれば配役とキャストが増えることになる。
明けて今日は祭日だから明後日の承認だろうか。
もう一人のオファーはまだ悩んでいる。
自分の中で何かが引っかかったままだ。
自分の書いたその役割と、第二稿。
ここに信頼はあるだろうか。
大事なことは信頼感だけだ。
ただ参加するということではいけないのだと思う。
良い作品が出来るという信頼がそこにあるかどうかだけが鍵だ。
実は参加させてほしいという連絡が一度だけあったのだけれど。
その内容はどう考えてもプロジェクトページを読んでさえいないものだった。
本人からでさえなかったのだから仕方ないのかもしれない。
この作品にはコンセプトがあって、そこから外れることはしたくない。
どんな作品なのかも目を通さずにただ参加させたいという言葉に軽い苛立ちを覚えた。
それは多分、僕が世界を目指す!なんて書いていることをやっぱり夢だと思っているのだと思う。
本気にしていないんだなぁと感じたからだと思う。
自分のできることは誠意だ。
それはこのクラウドファンディグに参加してくださる皆様への誠意でもある。
キャストはもちろん、関わってくださる全ての人に対する誠意でもある。
それがなくてはこの作品は恐らく成立しない。
僕が本気でなければ全てが崩れる。
切実に求める何かを。
誠実に進めていく。
その先にしか奇跡がないことを知っているからだ。
奇跡は起きるんじゃない。
ちゃんと準備して起こすものだ。
僕は今その道をまっすぐに進むしか出来ない。
自分との戦いはまだ続く。
第三稿に着手するのは来週以降だ。
47日目が始まる。
小野寺隆一