水が湧くように拡がっていけ
vol. 46 2020-11-02 0
45日目終了。
僕は欲深いのかもしれない。
個人的に始めたというのにこの期間ですごい大きな支援を頂いているのに。
もっともっと、まだまだと思い続けている。
このMotiongallery内の映画部門でも著名な名前や冠もない中ですごい数字だと思っているのに。
現実的に映画を製作するために必要な資金ということもあるのだけれど。
それよりももっとたくさんの人の共感を得なくてはいけないと感じ続けている。
100人、200人、300人、どこまで行ってもそう思うのかもしれないけれど。
金額は確かに現実的な問題だけれど、それ以上に人数こそ大きな力なんだと思っている。
自分の力が足りないんじゃないかなんて何度も何度も考えてしまったりもする。
でも下を向くことなんかなんの一歩にもならないからそれをぬぐいながら進むしかない。
何か表現を創作する時にはいつもぶつかることではあるのだけれども。
自分は誰かに評価されたいのか?という問いが何度も何度も自分の中に浮き上がる。
けれど、どうも評価されたいという思いがないわけではないのだけれどそれじゃないと思う。
一人でも多くの人にこのプロジェクトを知って欲しいと願っていながらだ。
シンプルに褒められたいという欲求が強い人は表現の世界にたくさんいるけれど。
どうやら僕はその類の人とは違うんじゃないかなぁという感じがする。
今回のシナリオの初稿をキャストだけに送った中で。
それを褒めてくれる言葉もあったのだけれど、そこを求めていない自分がいた。
当然、嬉しかったし、大きな大きな勇気になったのだけれど。
多分それは世界に持っていきたいなんて言葉とも矛盾してしまうのかもしれないけれど。
僕は多分、悪い評価でも構わないという所がどこかにある。
そして承認欲求だけで創作された作品を観ると、自分はどこか拒絶してしまう。
自分の中から湧き上がって、それはやはりやらなくてはならないものになっている。
それも自分が吐き出したい、自分が自分を出したいとか、そういうことだけでもない。
世界と繋がっている自分が、今、これをやらなくてはいけないという使命感のような。
なんだか不思議なのだけれど、地図を書くような気分に近いのかもしれない。
それがどんな評価になるのかだからむしろ興味があると言った方がいい。
良い評価になるのか、悪い評価になるのかも含めて。
今、こういう映画を放り投げてみないといけないんじゃないか。
それはもう無我とまでは言わないまでも、自分という枠組みをどこかで越えている。
映画を創りたいだけではなく、映画を創らなくてはならないという切実さがある。
それなのにやっぱり一人でも多くの人にプロジェクトを読んで欲しいと願っている。
自分の中に相反した状態で、矛盾を抱えて走っているようなむず痒さがある。
多分なのだけれど、自分を知ってくださっている皆様で共感してくださる皆様。
そんな皆様が今月中にも100人は集まらないと目標に達するのはきっと厳しいぞと感じる。
終盤に向けて、僕を知らない人たちにまで何か面白そうなことが起きてると伝わるとしたら。
そして、そうならなくてはいけないんじゃないかと僕は思っていて。
明確なスケジュールというよりも、感覚的に拡がり方を考えている。
そもそも僕を知っている皆様が共感してくれるかどうかすらわからないくせにだ。
評価されたいわけではないのに。
一人でも多くの人にプロジェクトを読んで欲しい。
なんだか矛盾だらけで自分でも目を白黒させてしまうけれど。
でもわかっていることは大きな目標に向かっていくということ。
そしてその中で一人でも多くの人と共に大きな達成感を共有したいことだ。
それは多分僕個人の評価を飛び越えた、もっと感覚的なことだ。
今日、解散した劇団の倉庫の廃棄前の整理に行った。
その帰りに車の中でオファーしているキャストと二人で話した言葉が頭の中で繰り返している。
「何か創作しようという思いになったことこそ素晴らしいこと」という話。
写真を撮影しようとか、絵を描いてみようとか、詩を書いてみようとか。
そういうきっかけがどんどん生まれていくといいなぁと思っていて。
この映画の話の中から生まれた、僕のわがままな一言で起きたことの話だった。
実際に創作するかしないかの問題じゃない。
こんなことができないかな。あんなことができないかな。僕ならこうするんだけどな。
それがほんの小さなきっかけだとか、誰かの期待から生まれてくること。
ゼロだった時間に、イチが生まれていくこと。
僕はなんだかそのこと自体に感動してしまっていて。
その後、無口になってしまったような気がする。
映画「演者」は僕の創作でありながら、僕の作品ではないと思う。
きっと、どこか自分を評価して欲しいというのとは違うのはそういうことなのだ。
僕の作品だけれど、関わった全ての人にとっての作品になって欲しい。
このクラウドファンディングに参加した人にとっても、自分の作品になって欲しい。
そしてそれが新しい創作のきっかけになるかもしれない。
それが、別の何かを生み出すこともあるかもしれない。
そうやって、関わって、刺激になって、刺激をもらって、どんどん広がっていく。
そういうイメージの世界が僕の中に既にあるのだと思った。
不思議なことだけれど、出演をお願いしている織田がテーマ曲をすぐに創ったことも。
多分、そういうことなんだなぁと感じている。
とってもそれに近い事なんだと思った。
そういうことが同時に起きていることがとっても不思議な気分だった。
シナリオを読んで作品をイメージしたら、あっという間に曲が出来た。
織田が曲を書くのは久々なはずだけれど。
そういうことが起きること自体がもう素晴らしい事じゃないかって思う。
結果的に、その楽曲が何よりも一番評価されることになっても全然かまわない。
むしろその方が嬉しいのかもしれない。
自分が始めたことを媒介にして世界が広がっていくことの素晴らしさを僕は知っている。
だからこそ。
届け届けと願ってしまう。
一人でも多くの人にプロジェクトを知って欲しいし、プロジェクトを読んで欲しいと思ってしまう。
100人なんて欲深いのかもしれないけれど。
共感の輪の中から、なんの冠もなく生まれていく何かを求めている。
もしかしたら、僕は人の評価ではなく。
僕自身の評価で進んでいるのかもしれない。
この作品はすごい作品になりえる。
そう信じている。
誰かの評価があまり気にならないのはそういうことなのだと思う。
そして、その作品から更にたくさんのものが生まれていくと思っている。
届かないのだとしたら。
プロジェクトページに魅力がないのか。
プロジェクトそのものに魅力がないのか。
もしくは僕自身に魅力がないのだろうけれど。
それでもなお、僕は届くと信じている。
自分の足りない部分を越えて、文章になっていない何かがここにあると信じている。
だから僕は送り続ける。
ここに浮き沈みしながら苦しみながら進む姿を書き続ける。
きっとクラウドファンディング期間が終わっても。
撮影に進んでいく姿をここに記録し続けることになる。
何かが変わるはずだ。
46日目が始まる。
小野寺隆一