流れの中で流れを生み出す
vol. 27 2020-10-14 0
26日目終了
苦しい時間帯に入る。
わかっていたこと。
ここで苦しむのは致し方ない。
ここをどうするかが大きな分かれ目になるのだから。
あえてそのままにするということも含めてピッタリと止まっている。
シナリオの初稿を脱稿するまではキリキリとした日が進む。
空想も妄想も広がっている。
明らかに本筋とは違う部分まで侵食している。
どこかでソリッドにそぎ落とす作業も必要になっていくだろう。
それは更に苦しいかもしれないけれど。
映画「セブンガールズ」の再びの上映が決定した。
正確には予約が30席を越えてからの上映決定になる。
全ては連続していく。
このプロジェクトの発表から舞台本番に向けて媒体に記事、舞台本番後に上映。
そういう流れを作るべく自分はずっと動き続けていた。
このコロナ禍で出来る活動の範囲でどんな流れ、どんな線を描いていくのか。
実はお願いしていた映画館は他にもあるのだけれど全て駄目だった。
通常上映は全てついえた。
最後の最後でなんとか舞台本番直前に一日の上映が決定した。
ただその流れを構築し始めた時はまだ舞台が解散公演になると決まっていなかった。
だから、なんだか解散したのに、上映が続くという不思議な流れになった。
それをどう読み解くのか、それがどんな方向に進むのかもわからないけれど。
舞台の生配信のアーカイブ映像のアップロードから公開もする。
きちんと収録や編集をされたものではない、あくまでも生配信の映像の記録。
ステイホーム期間に急速に広がったネット生配信はどこにいくのだろう。
これを記録として以外に残すことはやはり違うんだろうなぁと思う。
バンドシーンの音声のバランスなどはやはりマイクを楽器にも立てて専用のPAさんがいなければ、バランスが悪くなると想像した通りだった。
ボーカルだけがライン入力でどうしてもミックスバランスが悪くなる。
でもそれも含めて、生配信の醍醐味なのかもしれない。
そう考えれば、アーカイブにはアーカイブとしての役割があるのだろう。
難しいなぁと思うのは、役者にとっては流れをつくるということが難しい事だ。
タレント性が高ければそれも可能なのかもしれない。
けれど、俳優として演じることを目指す人はタレント的な流れは結局自分の方向を見失う可能性がある。
Youtuberに俳優があまり挑戦しないのはそういう理由のはずだ。
やるのであれば、台本があって、演じている自分であること。
誰かの企画に参加するならまだしも、自分からパーソナリティを発信するのは少し違う。
現代の時間の流れは早く、そこに流れを創っていくのは簡単なことじゃない。
作品に取り組む時間に、発信できることなど何もないのだから。
だからこそ、発信するその道をきちんと想定しながら進まなくてはいけない。
もちろんタレント力をあげていくという俳優もたくさんいるし、それはそれで進めばいい。
それでもなんらかの微かな流れになっていくはずだ。
このプロジェクトは番外編のように流れていくと思ったけれど。
劇団が解散した今、そういうわけにもいかないだろう。
自分の中ではずっと本流だから何かが変わるわけではないけれど。
同時進行で色々なことが起きていくとしても、その中でも大きな川になる。
おかげで苦しみは倍増しているのかもしれない。
より自分の背中が重くなっている。
これでいいのかという自問自答は過剰なまでに増えている。
まぁ、それはそれで幸せなことでありがたいことなのだと考えるしかない。
ネガティブになっている元劇団員たちもいるかもしれない中で。
僕がポジティブでありつづけることだって、何かの意味になるかもしれない。
自分に足りないものはもう観えている。
そして同時に「なめんなよ」って思ってる。
僕の創作物を知らない人の方が多くなってきたのかもしれない。
それはそれで面白いさ。
それにしてもこのシーンから先に進めない。
速く進みたいのだけれど。
早く進んではいけないと心の声がささやいてくる。
その先のシーンはもう観えているのだから、ここは悩み尽くせとささやいてくる。
まだ初稿だろなんて言葉には耳を貸さない。
そんなものではなんの流れも生み出さないからだ。
足を前に出すのは何かをすっとばすためじゃない。
27日目が始まる。
小野寺隆一