歯を食いしばってでも、泥の中で足を取られても
vol. 26 2020-10-13 0
25日目終了。
時間はあっという間に流れていく。
恐ろしいほどあっという間だ。
きっと気付けば2020年という年が終わっているだろう。
ずっとそうだったのだから。
急に時間の流れが遅くなるわけがないのだから。
舞台が終わったら、皆にシナリオの初稿を送るつもりだった。
けれど、その自分で決めた〆切を一旦今週いっぱいまで伸ばすことにした。
プライベートでも色々あったり、劇団の解散があったり、やる事が多いのもある。
でもそれよりも、今はきっと俳優たちは舞台の余韻の中にいると思う。
次に切り替えるというタイミングではない気がしている。
とは言え、時間の流れが速いことも知っているから。
今週の土曜日に送れたらいいなぁと思っている。
今、前へ前へと進まないことは、自分の中で裏切り行為だからだ。
「これから」を見せないのであれば、それはたくさんの人への想いを嘘にしてしまうことだ。
「皆様の新たな一歩に期待する」
という言葉は、重い重い約束なんだぜって思っている。
ただ一点。
僕はこれまでずっと思い続けて来たことだけれど。
「期待」に応えることは、本当の意味では、期待に応えていないんだと思っている。
一見、矛盾しているけれど、実は真理だとさえ思っている。
期待しているようなのではないものを創る。
そして、そういう作品で驚かせる。
それが本当の意味で期待に応えていることだと思う。
「良い意味で期待を裏切ってきた」という言葉は凄く正しい。
なぜならお客様の期待というのは結局、全て応えることはできないからだ。
劇団での公演で長くアンケートを集計してきたけれど、いつもそうだった。
「笑いだけの舞台が観たいです」「笑いのないシリアスなのも観たいです」
そういう相反した声がアンケート用紙には当たり前のように並んでいた。
どの期待に応えたって、誰かの期待を裏切ってしまうことになる。
昔からのお客様の声と、まだ舞台を観ていないお客様の声と、優先順位などない。
一番のファンなど、どこにも存在しない。
だから全ての意見が大事なのだと思う。
だとすれば、全てのお客様の想像を超えるものを創るしかない。
こういうことは実は全てのアーティストにとっての悩みでもある。
例えば、ポール・マッカートニーが来日すればビートルズの楽曲を期待する人が出てくる。
けれどポールは今も最新のアルバムを出しているわけだし、そのプロモーションだってある。
新曲を演奏したいに決まってる。
だからビートルズ時代の曲はアンコールにしたり、セットリストのメインには持ってこない。
それでも迷うだろうし、結局、メインにしてしまうこともあるのだろうけれど。
今現在も現役で生き続けているアーティストたちは皆、観客とのやり取りを常に考えている。
そして必ずどこかで観客の要望を裏切り、その裏切りの表現の中で感動を呼ぶことを目指す。
新しい楽曲で感動させられなければ、自分が現役ではなくなってしまうのだから。
こういうのが観たいんじゃないか?
そういうイメージをすべて捨てて、純粋に創作に集中する。
とても苦しい事でもあるけれど、もっと大きな大きなパラボラアンテナを広げる。
世の中に溢れている無意識という無意識を受信できるような大きなアンテナを。
そうやって創り上げた映画じゃないといけないと思っている。
プロデューサー的な視点を一旦、どこかに置いておくことが必要だ。
そもそもプロデューサーが考え出した映画企画なんてロクなもんじゃない。
期待できるようなものを創作してはいけない。
想像も出来ないような作品を生み出さないといけない。
そう念じながら初稿を仕上げていく。
苦しいことがある。
寂しいことがある。
悲しいことがある。
心配で心配で立っていることもままらないこともある。
けれど、前に進むことだけは絶対にやめない。
たとえばそれが一歩だけなのだとしても、どんなに重い足でも前に動かす。
歯を食いしばってでも、泥の中で足を取られても。
それだけは期待に応えないといけない。
あの男は止まっていない。
というか、止まる気がない。
そのぐらいでちょっと足りないぐらいだ。
26日目が始まる。
そうか。
30日目の一カ月を超えた頃に初稿を初めて人に読んでもらうのか。
小野寺隆一