劇団前方公演墳の最後の朝がやってきた
vol. 24 2020-10-11 0
23日目終了。
昔の演劇人はわりとゴリゴリに頭が固くて色々と暗黙のルールが存在していた。
その中の一つが「衣装を着て役ではない顔を観客に見せない」というルール。
お客様は配役のイメージがあるからそれを壊してはいけないと教わった。
カーテンコールでもきりっとして立っているというのが望ましいという世界だった。
だからこの劇団が衣装を着たまま終演後にロビーでの挨拶をしてしまうこと。
それは旗揚げからしばらくはあまりよくないんじゃないかという意見も多かった。
もう誰も記憶にも残っていないだろうけれどそういう話し合いをしたこともあった。
その時、僕はいいんじゃないか?逆に特色で毎回、ロビーでの挨拶をしようと発言した。
その次の公演からあえて三大サービス宣言と称して、公演前からロビーでの挨拶を書いた。
衣装を着たままお見送りをするので写真なども自由に撮影して良いという内容だった。
斬新とまでは言わないまでも、時代には合っていると感じていた。
実際、インディーズのバンドなんかはメイクをしたまま話をするバンドも多かった。
AKB48が「会えるアイドル」として売れだした頃からそれは普通になっていった。
その頃になれば誰からも批判などされなくなった。
それどころか衣装を着たまま挨拶をする劇団の方がどんどん多くなっていった。
昔の演劇人がどんどん引退していったのもあるけれど、時代感が一番の理由なんだと思う。
SNS全盛の時代がやってきて写真を掲載してくれる前の頃だったけれど。
だからきっと僕たちの劇団はずっとお客様との距離感を大事にしてきたのだと思う。
誰もが常連のお客様のことを知っているし、出演者の家族や友人も知っている。
いつの間にか、お客様も含めた連帯感の中で僕たちは舞台に立っていた。
それは、映画「セブンガールズ」の舞台挨拶にも引き継がれた。
映画と同じ衣装を着て舞台挨拶をすることも、シーンを再現することも。
結局、会ってお客様と交流することから教わるものの多さを知っていたからだ。
一般のサイン会や出待ちなどで少し話が出来るのとは少し違う。
僕たちは「配役」の格好で、お客様と話をするということをやり続けた。
多分、映画の舞台挨拶では今もありえないことなんじゃないだろうか。
そもそも「衣装を着て」というのが、ほとんどありえないのだから。
映画館のスタッフさんに着替えたいとお願いする時、いつも驚かれたのを覚えている。
だからコロナ禍でロビーでの挨拶が出来ないというのは痛恨のルールだった。
出演者が受付も場内整理もしてはいけないし、物販も出来ない。
演劇界の暗黙の了解なんてどうでもいい!と思っていたあの頃の自分に反してる。
今まで続いてきたお客様たちとの距離感が急に遠くなることが恐かった。
僕は出演していないからロビーにいる。
だからこそ一番話せる場所にいるからこそ、一切の私語はしないことにしている。
とにかく一番だめだと言われていることが、出演者と観客という感染ルートがあること。
ルールで縛られて、話を出来ない役者たちがいるのに僕がするわけにはいかない。
10月10日の旗揚げの日から、カーテンコールで全員が一言ずつ言うべきだと伝えた。
それは皆の声を、お客様が待っているとロビーで何度も何度も感じ続けたからだ。
夜の公演からそれをやって、ああ、良かったなぁと思った。
まさか自分にも千秋楽前に振られるとは思っていなかったけれど。
千秋楽はなんかふってくるやついるだろうなぁと想像はしていたんだけれど。
とっさに自分の口からバカバカしい冗談が出てきて、やれやれと思ったよ。
その公演の後のお客様の顔はそれまでと少しだけ違っていた。
それは雰囲気みたいなもので形になるようなものですらないのだけれど。
皆の声を聞いただけで、雰囲気が変わるのだなぁとしみじみ思った。
お客様だけじゃなくて、キャストの顔つきも少しだけ変わったと思う。
皆、思う所があって、伝えたいことがあって、全部は伝えられないけれどあって。
それが少しだけでも出せるなら、出しちゃっていいんだよって改めて感じた。
まぁ、泣きだしちゃうキャストが出るのは想像していたんだけどさ。
そして、そんなふうにしんみりとして終わりたくないってキャストもいるんだけどさ。
どうせ、毎日、座長も込み上げてたんだし、顔つきが胸一杯なんだから一緒だよ。
それに、しんみりになんかなるもんかって思ってた。
恒例の一つに「隠し文字」というのがある。
多分、今はもう劇団を辞めてしまった相武辰昌が何かで始めたことだったはずだ。
文章の中だとか、画像の中に隠し文字、メッセージを入れておく。
まぁ、別にそんなのは色々な人がやっていることなのだけれど。
それもチラシや当日パンフレットや、とにかく、出来る範囲で続けるようにしていた。
今回はなるべく紙を配らないようにしているからポスターしかないけれど。
ポスターの中に隠し文字を入れておいた。
僕は稽古場でいつも辞めてしまった誰かのことまで背負って存在しようと思っていた。
皆でこの劇団のやり方を模索して、作って、劇団をでかくしようぜと頑張ってきたから。
たった一人だけれど、稽古場では何人分なのかわからない存在になると決めてた。
とてもじゃないけれど、一人分でも足りない人間だからうまくは出来なかったけれど。
厳しかったあいつほど厳しくなんかなれなかったなぁ。
馬鹿なことばっか考えたあいつほど馬鹿なことは出来なかったなぁ。
いよいよ千秋楽の朝が来た。
どうしても連日遅い時間の就寝になってしまうのだけれどついに力尽きて寝ていた。
朝一で起きて、こんな時間の更新になってしまったよ。
ああ、今日の公演が終われば、劇団前方公演墳の公演は終演してしまう。
だから今日もそこにいないたくさんの人たちが、やっぱりそこにいる公演にしよう。
と言っても、腹が立つ新型コロナウイルスのルールがあるのだけれど。
昔からの演劇の慣習のようなものと闘うにはあまりにも不利な状況だけれど。
それでも、出来るかぎり胸を張って、堂々と全ての想いを背負ったままそこにいよう。
埼玉の劇団の稽古場で大規模クラスターが発生したと報道が出た。
またしても、腹が立つような見出しの書き方をしている。
あんな見出しを付けた記者たちはそれが演劇に対して無言の脅迫になることに気付いていない。
それが業界全体に向かってどんな影響になるのかの想像力すらないのだ。
僕は、その想像力をなくしたような人間になりたくなかった。
あいつならこんなとき、こんなことを言うなぁ、そういう想像力をずっと持ち続けた。
いや、僕は多分、想像力を捨てることを一生するつもりはない。
それがどんなに自由で、どんなに素晴らしい事なのか、知っているから。
だから今日。
劇団は解散するけれど。
想像力の世界に行くのだと。
本当に自由な劇団があったと刻まれるのだと。
僕は胸を張ろうと思う。
そしてそれは、僕自身の生き方になっていく。
24日目。劇団前方公演墳の最後の日がはじまった。
小野寺隆一