僕の背中に
vol. 23 2020-10-10 0
22日目終了。50万円突破。目標金額の25%。
先週まであまり伸びない中、今日、急に伸びて一気に50万円を突破しました。
ご参加頂いた皆様、ありがとうございます!
コメントの一つに「これからもドキドキさせてほしい」という内容があって。
読んだ瞬間に、そうだ、「これから」が絶対に必要なんだと震えました。
世界は変わってしまった。
新しい生活様式とか、ウィズコロナとか、なんだかそんな言葉まであるけれど。
僕はまたあの日々が戻ってくるよと信じています。
ただきっと生活が戻った時に、何があるだろう?と思うのです。
僕たちがつきつけられたのは死生観だと思うからです。
生きること、死ぬこと、皆が考えなくちゃいけないという時間は何を残すだろうと。
様々なことが重層的に起きていて僕の心も激しく上下し続けています。
10月10日という日も偶然なのか必然なのか様々なことが重なっている日です。
解散する劇団前方公演墳の旗揚げ日でもあります。
そしてその劇団の歴史の中で重要なあいつらの子供の誕生日でもあります。
それから、僕と織田にとって大事な人の命日でもあります。
こんなに重なる日なんて中々ないと思います。
それぞれが、それぞれに思い入れがあって。
その思い入れが重層的に心の中を支配していく。
不思議な気分です。
色々な人の顔が浮かんでは消えていく。
いつの間にかそういう日になっていました。
僕はずっとずっと「年をとる」ということのイメージが出来ない人でした。
なんだか急に大人ぶるのが恥ずかしいなぁって思っていて。
だからと言って、いつまでも青春!とか、いつまでも少年!とかも違うし。
なんだか、そのまんま時間が過ぎていくだけだろう?と思っていました。
でも、最近は「年をとる」をしてきたんだなぁと感じることがあります。
色々な経験をしてきたのですけれど、それが直接そう思わせるわけではなくて。
そういうことじゃなくて。
色々な経験をしていく中で、色々なものを背負っている自分に気付いたからです。
あいつの思いや、あの人の願いや、あの人たちの夢や、あの人たちの愛や。
そういうものを背負っていて、今更、自分の背中からおろせねぇなって感じています。
使命感というにはあまりにも形を成していないものなのですけれど。
ああ、背中にべったりと張り付いているこれが「年をとる」ってことなんだなぁって。
何もかも脱ぎ捨てて身を軽くすることだって出来るのでしょうけれど。
多分、僕には出来ないんだろうなぁって思うのです。
というか、思いを捨てることが出来るような生き方をしてこなかったんだと思います。
一緒にメジャー劇団にしようぜ!と話していたあいつ。
あいつが劇団を辞める時も、でらっち、劇団をでかくしてよ!なんて言われて。
そういう言葉に、僕は「おう!」と絶対に答えてきたのです。
もがけるだけ、もがかないとさ。
そんな思いに答えていないじゃないかって僕は思ってしまう人なのです。
本当にね、そろいもそろって、なんか言葉を残していくんだよ。なんか。
そういう言葉という言葉が、僕の背中にはべったりとくっついたままです。
軽口を叩いた会話かもしれないけれど。
軽口の中には、やっぱり思いがこもってるんだと思っているからです。
それで潰れる背中ならそれまでよ。
そう思ってるよ、今でも。
多分、映画や演劇や音楽はそういう思いがなかったら駄目だと思うよ。
金儲けしたいとか、売れたいとか、有名になりたいとか、きっかけはなんでもいいけどさ。
その先はどんどん色々な思いが生まれてくるもんでさ。
もし、それが生まれないで、損得勘定だけで続けていくのだとすれば。
そこに生まれる作品なんて、結局、すっからかんなんだと思う。
お前、結局、からっぽじゃねぇかってことになっちゃうよ。
そうじゃないよなぁ。
そうであるわけがないんだよなぁ。
BLUESが思いから生まれたように。
今、色々なことが自分の身の回りで起きていく中で。
僕の心の中に色々な思いが雪崩れ込んできている。
もうマッチレースみたいなものだ。
僕の心が破裂するのか、それとも、全部全部抱きしめることが出来るのか。
もしくは気が狂って、泣きだすのか。
そんなの知らないけど、僕は「生きる」のだと決めているのだから仕方ない。
生きる以上は、年をとるのさ。
それはやっぱり、思いを一つずつ拾っていくことなんだって今は感じています。
別に逃げてもいいんだって思ってるけれど。
多分、僕はそれを選択しない。
劇団の旗揚げから22年だってさ。
子供だったらもう大学卒業だよ。
なんだよ、まだ社会人にもなってなかったのか。
この形のない思いを全部連れて行ってやる。
世界に連れて行ってやる。
待ってろ。
小野寺隆一