東京しもきたライジング
vol. 13 2020-09-30 0
12日目終了。
大きな一日だった。
映画「セブンガールズ」の公開から2周年の日。
劇団前方公演墳が解散を発表した。
もうまもなく旗揚げ22周年公演「東京しもきたサンセット」の上演というタイミング。
突然の発表に多くの皆様の声が届いた。
実はSNS関連で一番好きじゃないことがある。
それは「気分が悪い、、」とか、「悲しい、、」とか書いてかまってもらうことだ。
誰かに「大丈夫?」なんてコメントを求めてのかまってちゃんみたいのは好きじゃない。
僕以外の誰かがやっている分にはスルーすればいいけれど自分はやりたくない。
なんか、みっともねぇ自分だなって思う。
それとは全然違うけれど、たくさんのコメントが届いてなんだかやりきれなくなった。
悲しみの声が届くことはわかっていたけれど、しんみりするのはうちじゃない。
やっぱりそれでも笑って、どこまで冗談なんだかわからないぐらいの方がいいよ。
長く応援してくださったお客様にとってはあまりにも突然の事だから仕方がない。
僕にとっては、もう14年近くずっと「劇団解散」がすぐ隣にあった。
大人数時代のピンチ、十周年の一年に賭けたこと、劇団員が半数以下になった日。
もう本当に続けられなくて、劇場も抑えられなくて、自主企画で切り抜けたこと。
それでも家庭の事情や様々な理由で劇団員が仕方なく辞めていったこと。
4度目の再演の舞台「セブンガールズ」でやりつくしたかな?という雰囲気になったこと。
一念発起して、セブンガールズの映画化に立ち向かおうと提案したこと。
ずっとずっともう14年間も、いつ解散してもおかしくないと思っていた。
公演の前になれば、毎公演、予算表とチケット売上を睨みつけて胃袋を痛め続けていた。
なんとなく進むなら辞める!と仲間を困らせたことだってあった。
気付けば22周年を迎えるまで続いていただけだ。
明けても暮れても、毎日毎日、ずっとずっと劇団の事ばっか考えてたから。
時間が流れていることにもちゃんと気付いてなかった気がするよ。
初めてパソコンを買ったのだって劇団のためだったんだもんなあ。
60人なんて大人数から続く22年間の思いの全ては主宰と座長しか理解できないだろうと思う。
解散という言葉が、今まで何度も出て来たことは間違いない。
思えば、僕はその言葉から逃げ続け、その言葉に血を吐きながら抗い続けた。
僕はもうそこに抗うことが出来なくなった。
わかってもらえないかもしれないけれど。
でもさ。
僕はこっち側の人間なのだよ。
応援してくださるお客様とはまた違う想いはあるに決まっている。
でもそんなものは、いつかどこかに夜の散歩でもして、自分でなんとかするさ。
解散への思いなんか仲間にも共有するつもりもなければ、一生話すつもりもない。
悲しんでいるお客様、落ち込んでいるお客様と同じ場所に立ってはいけないのだ。
何かが終わるだなんて思われてどうする?
こっち側の人間がやるべき事なんかたった一つしかない。
応援してくださる全ての皆様に、光をみつけてもらうことだけだ。
光を見せることが出来ず一緒になって悲しむなんてことは僕のノートにはない。
まぁ、光を見せるには足りないものだらけで。
まったく僕は無力で。陳腐で。情けない男だ。
だがよ。男はつっぱらかるのだよ。
今時、男だ女だってどうかと思うけどさ。
でも、男はつっぱらからんとね。
今度の舞台は夕陽をタイトルにしているけれど。
僕は朝日であるべきだと思う。
東京しもきたライジングだ。
今まで、劇団前方公演墳で何度、そんなセリフを口にしただろう。
「船が出るぜよ」
「春になったらまた逢おう」
「終わりじゃねぇ!始まりだ!」
「いつも君の心の中にいる」
お客様に希望を届けてきた。
絶対にあきらめない男を僕は演じ続けてきたのだ。
どうだ。まいったか。
僕は僕の責任をもっともっと強くする。
僕が単独で始めたこの企画を遂行していく。
そのために自分に足りない部分をどんどんみつけていく。
たった一人だけでも誰かの希望になるのならそれでいい。
絶対にあきらめない男を僕は演じ続けてきたのだ。
抗えなくなった僕は。
闘うことを選んだのだ。
陽はまた昇るぜ。
ライジングサンだ。
未来なんて希望で出来てるに決まってらあ。
小野寺隆一