扉を開ければ声がする
vol. 11 2020-09-28 0
昨日書いた舞台「東京しもきたサンセット」の初の通し稽古に足を運んだ。
早くつきすぎたのでシーンごとの稽古を通し前に見るのもどうかと思って小部屋に閉じ籠る。
PCを開いてシナリオ書きの続きに取り掛かった。
実はこの3日ぐらい、まったく進まないで毎晩ゲェゲェ言っていた。
アイデアは出てくるのに、一文字目が書けない。
はたから見れば、ただPCを開いて、ぼぉっとしているだけの状態。
勢いで書きたいのに、その勢いが生まれなかった。
書き物をする人にとっては、書けない時間も書く時間なのだとつくづく思う。
必ず書ける時がやってくるから、その時を待つ。考えてみたり、歩いてみたり。
小さな壁は何度も来ていたけれど、3日も苦しんでいるのは今回は初めてだった。
そして今日もただノートPCの画面をにらみつけているだけの時間が過ぎていった。
ふと思い直して、小部屋の扉を開けた。
なんだか狭い所にいるような感じがいけないのかもしれないと少しだけ環境を変えてみた。
稽古場から仲間たちの声が聞こえてきた。
もう20年以上も一緒に、毎週毎週稽古を重ねてきた慣れ親しんだ声だ。
なんだろう。
不思議なものでそこから先は次々にシナリオが進んでいった。
声が聞こえたら集中できないのが普通だと思うのに。
まるで、その一言一言の声の成分の中に、役者たちの表情が簡単に思い浮かんだからだ。
この声の時は、あいつはこんな顔でこんな風に立ってるんだよな。
自然と想像力が喚起されて、イメージが膨らんでいった。
多分、そういうことってあるのだ。
イメージしやすい俳優というのは存在している。
この俳優にこんなキャラクターを演じさせたい。
そういう想像力は、そのままイメージに繋がっていく。
むしろ、こいつを出すならでスタートするシナリオだってあるのだと思う。
それはもう演技すら関係ないのかもしれない。
俳優の存在そのものがペンを走らせる。
どんな作品だって誰かの想像力から生まれるのだけれど。
その想像力だって、何かから喚起されているのだ。
それこそがあらゆる作品の源泉だ。
何日も胃が痛くなるまで格闘していたのに。
あっけなくそのシーンを書き上げていた。
数日間何度もイメージしていたのに文字にならなかった場面が。
ただ予感していたことだけれど、想像以上の人数がそこに登場していた。
作品のテーマをしぼっている以上、恐らくは登場するだけの役。
かといって、エキストラではなく役者しか出来ない役でもある。
そこは推敲の中で人数を削っていくか、それとも誰かに頼むか後で考えればいい。
先に頼むのは失礼だと思うような分量だからだ。
いずれにせよ、今の段階ではそのままにしておくほかはない。
本気で戦うために、まず作品ありきで進むと決めたのだから。
元々の舞台作品では登場人物は、義理の三姉妹と役人の4人だけだった。
でも実はその舞台の上演台本には「設定資料」を用意していた。
俳優たちと一緒に作品を創って行きたいから、設定資料を用意して配っていた。
その配った設定資料には映像にするのであれば必要不可欠な登場人物がいた。
当時の舞台では劇中の台詞の中にしか登場しなかった人物だけれど。
当時から映像だったらここで、この人のこれが入るんだよなぁと思っていた。
だからあの日からもう設定資料に出てこない役の性格まで書いてあった。
今回は映画化するにあたって、登場シーンは少ないまでも重要な役になると思って事前にオファーを出した。
でも事前に出来るのはそこまでだ。
設定資料にない登場人物がこれから生まれる可能性もあるのだけれど。
完成稿に至る段階で、増えたり減ったりすることはまだまだ続くと覚悟するしかない。
一緒に仕事がしたいと思っても、そのために増やすことはせず、まず作品を見つめる。
そう決めたのだから。
役者というのはつくづくすさまじいものだと思う。
「言葉」の持つ力の凄さは誰だって知っている。
時に凶器となり、時に歴史さえ動かす、時に人の心を癒していく。
詩人たちはその言葉を磨き上げ、削り、抽出していく。
ところが役者たちはその言葉を口にすることで何倍もの力を生み出す。
書かれた言葉の持つ威力を、口にした言葉は軽々と超えていってしまう。
説明しようとする言葉と、情感が乗った言葉は、まるで天と地ほども色が違う。
役者優先主義にしたくなってしまうぐらい今日の声が聞こえてきただけの時間は尊かった。
その後、愛おしく仲間たちの通し稽古を観ていた。
色々なことを思い出しながら。
それはすでにこの稽古場にもいないメンバーも含めて。
ずっとずっと皆の事ばかり考えていた気がするよ。
皆の思いのようなものを一つずつ拾い続けていた気がするよ。
でも僕はもう僕の事を真剣に考えなくちゃいけない。
一度、そうやって自分自身をとことんまで追い込まなくちゃいけない。
その先は地獄さ。
覚悟の上だ。
でも地獄の先にも何かが待っていると信じるしかない。
またどこかでペンが止まるのだろう。
僕だってギリギリだ。
不安定になっている時だってある。
でもあんなに悲しいニュースにだけは向かわないよ。
いつだって、今も、そこにあるけれど。
僕はもう何度も何度も泣いてきたのだから。
小野寺隆一