母親が長崎市愛宕町(爆心地より約4キロ)で被爆した被爆2世です。歴史は伝える意思を持っていなければ忘れ去られるものと感じました。原爆投下から78年が経つというのに今も被爆2世への偏見や誤解が続いています。逆に被爆の事実が風化しているからこそ2世への 差別が現れているのかも知れません。「被爆2世」という言葉を差別用語にしないために、さらに反戦反核だけではなく、様々な分野で活躍する被爆2世の多様性を知ってもらおうと、20年間全国を回って、そのありのままの姿を「被爆2世の肖像」として撮影してきました。後に続く3世や4世たちへは怒りや不安ではなく希望を伝えたいと願っています。