山小屋にまつわる本の紹介 vol.1『穂高小屋番レスキュー日記』宮田八郎 著
vol. 18 2020-06-16 0
北アルプス穂高連峰、奥穂高岳直下に位置する穂高岳山荘。
その元支配人であり、遭難救助隊員として誰よりも深く穂高を理解していた宮田八郎さんの著書『穂高小屋番レスキュー日記』を紹介します。
北アルプス穂高連峰、白出のコルに建つ穂高岳山荘
近年ではNHK BS1スペシャル「穂高を愛した男 宮田八郎 命の映像記録」をご覧になって、宮田さんのことをお知りになられた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
宮田さんは、学生時代にアルバイトで入山したことがきっかけで、以来30年以上山の仕事を続け、人気漫画『岳』(石塚真一著)に登場する小屋番「宮川三郎」のモデルにもなり、穂高の遭難救助に欠かすことのできない人物でした。
穂高連峰の美しさに魅せられ、小屋勤めの傍ら、映像に残すことに心血を注ぎ、「ハチプロダクション」として数々の映像作品を残してたことも知られています。
誰よりも穂高を愛し、仲間とともに多くの遭難者を助けてきましたが、2018年4月に海難事故で不慮の死を遂げてしまいました。しかし、宮田さんは「山で死んではいけない」という登山者へのメッセージを書き残していたのです。
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本書「はじめに」より
穂高の山に生きて30年になります。
30年という歳月は人間にとっては決して短いものではありませんが、自然の時の流れから思えばほんの一瞬であるし、ぼく自身も「もうそんなに時が過ぎたのか」と不思議な感じもします。
ぼくが生きてきた穂高は、悲しい事実ではありますが、ことさらに遭難の多い山です。そのなかで長く仕事をしていると、遭難救助の現場に立つこともずいぶんとありました。そして救助経験を重ねるにつれてぼくは当然のことながら、人は山で命を落としてほしくはないと願うようになりました。
ぼく自身は、ことさら人より正義感が強いとか親切心に富むとかいうことはありません。むしろ世の平均から考えると、やや(あるいはかなり)いい加減で不真面目なタイプの人間であろうと思っています。そんな自分が、曲がりなりにも人助けをし、あまつさえ人命救助に携わってきたのは、ぼくが生きてきた穂高という世界では「人が人を救う」のがごく当たり前だったからだと思います。
(中略)
そのために穂高でぼくができること、ぼくにしかできないこと、そしてやらねばならないことはまだあります。それはたとえば、これまでの遭難の記憶と経験を広く語り伝えることもそのなかのひとつではあるまいかと考えるに及び、このたびこのように駄文をしたためるに至った次第です。
ぼくのこれまでの山小屋暮らしにおいて、多少なりとも登山者のお役に立ったことがあったとすれば、それは、これまでに救った命の数よりむしろ、喪わせずにすんだ幾多の命があったことでしょう。ささやかながらも、それこそを誇りたいと思います。
これから語ることが、穂高を歩く人たちの安全に少しでもお役に立つのならとてもうれしいかぎりです。
2016年4月 穂高岳山荘 宮田八郎
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本書は、遭難救助のことを1冊にまとめようとして書かれていた原稿と、ブログ「ぼちぼちいこか」に書かれた文章、雑誌等に寄稿された文章から、奥様・和子さんと関係者の方々の力を借りて構成されています。遭難救助への思いや、山で亡くなった仲間への思い、そして自然や生命に対する宮田さんの思いを知ることができます。
穂高岳山荘の石垣を整備する宮田八郎さん
今回、本書の編集を務めた「萩原編集長」こと小社編集者・萩原浩司に、制作当時のことなどについて話を伺いました。
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本来であれば本書の刊行をいちばん喜んでくれるはずだった著者の宮田八郎さんは、もうこの世にはいません。2018年4月、海の事故で亡くなられてしまったからです。
穂高に生き、穂高の素晴らしさを映像で表現し、そして、ときとして山が見せる自然の怖さを人に説いてきた男が、まさか海で命を落とすことになるとは……。「南伊豆にてシーカヤック中に行方不明」の知らせを聞いたときの衝撃は、今でも鮮明に覚えています。
『アドバンス山岳ガイド 雪の穂高岳』撮影時の宮田八郎さん(写真=萩原浩司)
本書はもともと2016年の春に刊行される予定でした。原稿も2015年の年末には全体の8割を書き終えていて、あとは季節ごとのレスキューの原稿数本と、まとめの章を書くだけの状態になっていたのです。ところが、すべてが順調に進んでいたときに突然、彼から1通のメールが届きました。そこには「出版をしばらく延期させてほしい」と書かれていたのです。
じつは2015年、彼は親しくしていたふたりのアルパインクライマーを立て続けに山で失いました。11月には今井健司さんがヒマラヤの難峰チャムランで、12月には谷口けいさんが北海道大雪山系黒岳で帰らぬ人に……。厚い信頼を寄せていた山仲間の訃報に接した彼は、「人の生き死ににかかわる話を書くことについて、もう少し自分で考えてみたい。今はこれ以上書くことができない」と、いったん筆を折る決心をされたのです。
こちらにも刊行時期を遅らせたくない事情があったのですが、亡くなられたお二人は私にとっても大切な友人であり、宮田さんの気持ちが理解できないわけではありません。いちど言い出したら聞かない彼の性格もよく知っています。そこで「書く気になってくれるまで気長に待ちますよ」と答えたまま待ち続け、いつのまにか2年の歳月が流れていたのでした。そして2018年の4月、そろそろ執筆再開の話を切り出そうと思っていた矢先に届いたのが、彼が海で遭難したという知らせだったのです。
私はその後、手元にある彼の原稿を何度も読み返し、奥様のご了解を得て、遺稿集として1冊の本に編集し直すことにしました。理由は、彼が序文に書き残した「これまでの遭難の記憶と経験を広く語り伝えることが、穂高を歩く人たちの安全に少しでもお役に立つことができれば……」という遺志を、書籍を通して多くの人に伝えてあげたいと強く思ったからです。
彼が書ききれなかった残り2割の部分については、ブログに書き記した文章を拾い集め、さらに奥様と娘さんのご協力を得て、彼のパソコンに残されていた未発表の原稿を探し出して厳選し、収録させてもらいました。けっして八郎さんにとって本意ではない部分もあったかもしれませんが、これらの文章を編集し直すことによって、彼の山に対する愛情と、山の事故を少しでも減らしたいという思いは、読者にしっかりと届くものと信じています。
夕陽のジャンダルム(写真=宮田八郎)
この度の「山小屋を支援する」というクラウドファンディングに興味を持たれた方であれば、きっと山小屋という存在が単に寝食を提供する場所なのではなく、ときには遭難者を救出するための前線基地となり、登山者の安全を守るために道の保守管理やアドバイスをしてくれる心強い味方であるということはすでにご存知かと思います。
しかし本書には、おそらく一般登山者の想像を超える壮絶な遭難救助の現場がリアルに描かれています。そして、ふだん気づかなかった登山道の補修に、山小屋の方々がいかに気を配っていたかがさりげなく書かれています。宿泊者のために、どれほど大変な思いをして3000メートルの稜線で水を確保していたのかが明らかにされています。
いずれにしても、本書を通じて、ひとりの小屋番がこれほど深く山を想い、山に来る登山者たちに対して厳しくもあたたかい愛情を注いでいたという事実を記憶にとどめていただくことができたなら、宮田さんもきっと雲よりも高い場所で喜んでくれることでしょう。
そして最後に。日本各地の山小屋のなかには、彼と同じように自分の山小屋と山を愛する人がいて、山を守るために頑張っているということに思いをめぐらせていただければ幸いです。
編集担当 萩原浩司
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山岳遭難の現場ではいったい何が起きているのか――。
穂高の小屋番であり遭難救助隊員でもあった宮田さんが登山者に向けて残した、厳しくもあたたかいメッセージ。山を愛するすべての方に読んでいただきたい1冊です。
『穂高小屋番レスキュー日記』 著者:宮田 八郎
長年、穂高岳山荘を基点に、遭難救助の最前線で活躍し続けててきた宮田八郎が、山岳レスキューの実態をつぶさに紹介。