【カンボジアからの報告】映画配達人サロンさんの想い
vol. 20 2016-06-17 0
こんにちは、World Theater Projectの渕崎(ふちざき)です!
先日、カンボジア駐在員の山下が一時帰国し、活動の中間報告会を行いました。
ご参加くださった皆様、ありがとうございます。
▼ 報告会の様子を動画にしていただきました。よろしければご覧ください。
(動画撮影・編集:草苅桃子様)
(報告会のでの駐在員・山下の様子)
報告会の中で、弊団体理事の上村から、活動の様子を伝える時間がございました。
そちらの内容を今回はお送りいたします。
2年ぶりにカンボジアを訪れて
こんにちは、World Theater Project理事の上村悠也です。
今回は、僕が現地駐在員の山下に代わって、現地の様子をお伝えします。
2013年の5月、ちょうど3年前にこの活動に出会いました。
あの時、クメール語に吹き替えた映画はまだ一つもありませんでした。
あの時、「映画配達人」はその概念すらありませんでした。
あの時、一人の大学生が現地に住み込み、これほどの変化を起こしてくれるとは思っていませんでした。
「あの時」になかった、たくさんのものが、「いま」には実現しています。 ここまで様々な形で応援してくださってきた方々、クラウドファンディングでご支援をくださった皆様のおかげです。 本当にありがとうございます。
4月末からGW明けまで、2年ぶりにカンボジアを訪れました。
「もう何度も行ったことがある」が全く通じないほど、大きく事業は変わっていました。
こちらは、バッタンバンの映画配達人のエン・サロンさん。
(バッタンバン州映画配達人のエン・サロンさん)
このスクリーンの骨組みは、彼らが試行錯誤しながら作り上げたものです。
(映画配達人が自ら提案して作成したスクリーン)
(スクリーンを組みたてる様子)
駐在員の山下はむしろ、「お金がかかるからやめろ」と言って喧嘩をしたそうですが(笑)、 それでも彼らは自分たちのアイデアを形にしました。
またサロンさんは、小学校での上映中、何度か映画を途中で止めて、何やらクメール語で子どもたちに話していました。
(ストーリーを口頭で説明するエン・サロンさん)
日本の普通の映画館で考えたら邪道かもしれません。
しかし、あまりの暑さで集中力が続かない子どもたちがいます。また、映画の途中から入ってくる子どもたちもいます。
そんな中でサロンさんは、毎晩ベッドの中で考えていたそうです。
「どうしたら子どもたちが、よりよく映画を理解してくれるだろうか」
そうして考え出されたのが、こうして途中で止めて、一度物語のおさらいをしたり、子どもたちをリフレッシュさせるという方法でした。
活動を始めた当初、これは日本人の押し付けの活動なのではないかとずっと不安でした。
しかしこうして、現地人のスタッフさんたちが、日本人スタッフに負けず劣らず、この仕事を自分ごととして引き受け、工夫を重ねている姿に感動しました。この活動を続けてきてよかったと、心から思いました。
夢を叶えるためには、大事なことが二つある
たくさんの希望と課題を目の当たりにした今回の旅で、最も忘れられない出来事はエン・サロンさんとの出会いでした。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。サロンさんは、右の手足にハンディキャップを抱えています。常に足を引きずるように歩いていて、バイクにまたがる時も、手で足を持ち上げないと乗れません。
彼はかつて、知り合いにこう言われたそうです。
「手足の悪いおまえは、タイに行って物乞いになればいい」
辛いことが重なったサロンさんは、自らの命を絶とうとしたことがありました。しかし周囲のおかげで一命をとりとめました。その時、この命は神様にいただいたものだと思ったそうです。
それから彼は英語を勉強し、トゥクトゥクドライバーになり、今では家族も持っています。
そして…
「このプロジェクトは、子どもたちに夢を与える素晴らしいアイデアだ。
この仕事をくれてありがとう」
そう言いながら、映画配達人を引き受けてくれています。
(食事の様子。左:エン・サロンさん、右:理事の上村)
バッタンバン滞在最後の夜。2人で食事をしている時、サロンさんは、とても優しい目をしながら、こう言ってくれました。
「僕には、都会にはない静けさを提供するゲストハウスを開きたいという夢がある。
周りの人たちは、ハンディキャップがあるから無理だと言う。
でも、そんなことはない。
確かにお金もないし、簡単なことではない。
5年経っても叶わないかもしれない。
10年経っても叶わないかもしれない。
20年経っても叶わないかもしれない。
それでも僕は、夢を見続けるよ。
ゆうや、いいかい。
夢を叶えるためには、大事なことが二つある。
まずは何より、夢を見ることだ。そして、step by step なんだよ。
普通の人なら一度で運べるものでも、僕には同じことはできない。
だけど、10回に分けてやれば、僕にもできる。
自分自身の力で。
まずは何よりも先に、夢を持つこと。
そして、step by stepだよ、ゆうや。」
資金面の現実、割ける労力の現実、様々な現実の中で、僕たちはやれることをやろうと一歩ずつ、step by stepで努力しています。
でも時に、その一歩ずつは、制限のある現実起点の歩みになってしまうことがあります。
だけど、もう一度改めて考え直す必要があります。その一歩一歩は、どこへ向かうためのものだったのか。本当に見たい世界はどんなものなのか。まずはそこを強く持つことがスタートだと、サロンさんは教えてくれました。
何よりもまず、夢から始まるのだと。
出国最終日、現地駐在員の山下とハンバーガーをかじりながら色々と議論しました。 話題によっては若干喧嘩気味になりながら(笑)そのとき僕は、こんなことを言いました。
「映画を届けられる子どもたちの人数は、確かに劇的に増え続けている。
現場にはたくさんの笑顔も生まれている。それだけでも価値のあることだと思う。
でも、映画を観ることで起きる子どもたちの変化は、まだちゃんと測れていないのではないか。
活動の中で目指している本当のインパクトを測れていないのではないか。
そこが見えてこないと、モチベーションを保って活動するのは難しくなると思う」
現場を誰よりも長く見ているのは山下です。
インパクトを測ることの重要性を最も強く感じているのも彼でしょう。
でも同時に、彼はこう言いました。
「確かにインパクトを測ることは大事です。
だけど、インパクトの数字が見えていないからといってモチベーションが出ない、
数字で見えたらようやくモチベーションになる、というのは自己満足になりませんか?」
自己満足の活動にならないためにもインパクトを測らなければいけない。
ずっとそう思っていたので、不意打ちのような一言でした。
すぐには腑に落ちませんでしたが、ずっと心にひっかかり、帰りの飛行機でずっと考えていました。そしてようやく、僕なりに言葉になりました。
これが今日、僕が最後にみなさまにお伝えしたいメッセージです。
「かもしれない」にかける
子どもたちの変化を測ることはとても大切です。映画を見つめる子たちの後ろ姿の向こう側で、何が起きているかが分からないのはやはり不安です。だけど、まだそれを測れていないうちであっても、僕らにも見えないところで変化が生まれている「可能性」は、十分にあります。
見えていないところで起きている変化は、「かもしれない」の領域を脱していないかもしれません。
だけど、その「かもしれない」って、とても尊いものじゃないですか?
自分の過去を振り返ると、両親が、先生が、サッカーチームのコーチが、戦友たちが、どれだけ自分の「かもしれない」に付き合って、賭けてきてくれたか。
今の自分が立派な人間だとは思いませんが、それでもたくさんの「かもしれない」のチャンスをもらってきたからこそ、今があるということは疑いのないことです。
インパクトを目に見える形で測ることばかりに焦りすぎて、その「かもしれない」の尊さを忘れていた自分がいました。
子どもたちの 「かもしれない」に賭ける、それが大人たちの役目ではないでしょうか。
(カンボジアでの上映会の様子)
インパクトが測れていないことの言い訳にするつもりはありません。
ただ、現段階の私たちの活動でも、「かもしれない」を生み出していける。
少なくとも、15,000人以上の「かもしれない」を生み出すことはできました。
1人の100歩は難しくても、100人の1歩ずつが集まれば、
たくさんのことを変えていけると、僕は、信じています。