【代表挨拶】
vol. 17 2016-01-14 0
クラウドファンディングにご支援くださった皆様へ
World Theater Project(旧:カンボジアに映画館をつくろう!)代表の
教来石小織(きょうらいせきさおり)です。
このたび皆様のあたたかいご支援のおかげで、
1万人のカンボジアの子どもたちに映画を届けられる資金が集まりました。
諦めかけていたところからの、皆様のお力によるオーバー達成に、
気をゆるめたら常に目をうるませてしまいそうなこの感謝の気持ちを、
カンボジアのバッタンバン州で頑張っている山下龍彦(あだ名:フライパン)への
メッセージという形でお伝えさせていただければと思います。
ちょうど一回り年下で大学3年生の山下とは、
大人げなく喧嘩ばかりしながらプロジェクトを進めており、
至らない代表ゆえ、
普段からきちんと感謝の気持ちを伝えることも怠っておりました。
身内を褒めながらのメッセージになるので恐縮ですが、
この場を借りて、皆様への感謝とともに、
山下への感謝も伝えさせていただきますことお許しください。
フライパンへ
この前の年末年始、カンボジア滞在中にフライパンを見ていて、
悔しいけれど尊敬しました。
三カ月でクメール語の日常会話ができるようになっているフライパンを見て驚き、
わずか5分程度で「即席の映画館」を完成させる
映画配達人サロンさんたちを見て驚き。
(私たちは30分くらいかかっていた)
三カ月で20か所以上で同じことをやっているのだから、
準備と片づけのあのスピード感は当然と言えば当然かもしれませんが。
スクリーンや機材の扱いも繊細で丁寧で、
フライパンの思いをわかった上でやってくれているのだと感じました。
何より子どもたちにプロジェクトと映画の説明をする
エン・サロンさんの誇らしそうな顔が忘れられません。
子どもたちの無垢な拍手の音も。
天使のような笑い声も。
その様子を嬉しそうにパシャパシャと、
女子高生のように写真を撮るエン・サロンさんの表情も。
今ここに確実に、
頭の中で思い描いていた「映画配達人」が生まれているのだと、
ビデオカメラを回しながら泣きそうでした。
それから、サロンさんたちが
フライパンをとても慕っているのを見て、
よく三カ月でここまでの関係が築けたものだと正直脱帽していました。
元映写技師で、最近白髪染めをして若返ったサロンさん(61才)。
右の手足にハンディキャップを持つトゥクトゥクドライバーのエン・サロンさん(42才)。
人生の目標をまだ見つけられておらず、
ベイマックスのリュックサックを嬉しそうに買うロン君(22才)。
大学3年生にして、
こんなデコボコチームなカンボジア人たちを、
上司(?)になってまとめているのは、
フライパンくらいかもしれません。
さて、カンボジアでは基本元気になる私ですが、
今回カンボジアで恥ずかしながら体調を崩し病院に行ってみて、
(ご迷惑おかけしました…)
異国で体を壊すということは、
こんなにも恐ろしいことなのかと痛感しました。
そして病室のベッドの上で改めて考えました。
フライパンがカンボジアに駐在しますと言わなかったら
いつになるかわからない資金繰りができてから
私が行っていたはずなのですが、
私には今フライパンがやっていることができただろうかと。
恥ずかしながら出てきた答えはノーでした。
年中暑いカンボジア。バッタンバン。
エアコンのない空気の悪い部屋、
シャワールームとトイレには蟻がいっぱい。
蚊アレルギーの私にとっては大敵の蚊もいっぱい。
賑やかでお店も多いシェムリアップやプノンペンの都市部ならまだしも、
コンビニもなくて、夜になったら何もすることのない街。
お店の選択肢だって少なくて、川を見ることが気晴らしで。
一緒に活動する日本人はいなくて。
認めます。私にはできなかった。
私の頭の中にあった想像の世界は、
フライパンが現れなければ実現しなかったのです。
「カンボジア中を映画配達人が駆け回り、
子どもたちに映画で夢の種をまく」世界を実現するのは、
残念ながら私ではなかったのです。
挫折した経験を持つ、
無鉄砲で、信念を持った大学生フライパンでした。
フライパンの部屋で、
どうやって実現していくかが描かれたスケッチブックを見たとき、
もう私の想像を超えていると思いました。
「バッタンバン、シェムリアップ、プノンペンの三か所で9月までに1万人に届ける」
という具体的な数字を出したのもフライパンでした。
思えば1週間ほど前、
「クラウドファンディングの達成は絶望的だ」と
メンバーたちと暗い顔でミーティングをしていたのが嘘みたいです。
私たちのクラウドファンディングが終わる1月15日23時59分。
日本とカンボジア、それぞれの場所で、
私たちは達成してもしなくても泣くのだろうと思いました。
できれば喜びの涙の方がいいと願っていました。
バッタンバンのあの宿で
一人夜を過ごすであろうフライパンにとって、
信念を持って
命がけでやっているプロジェクトの賛同者を集められず達成できないことは、
日本にいる私たちよりつらいはず。
睡眠時間を削って頑張っていたメンバーの
あの努力は報われないのだとも思いたくなかった。
だから最後一週間の追い上げは、とても感動的でした。
応援してくださる方が次々と増えていくのを見たとき、
思わず考えてしまいました。
「過去にはボロ雑巾みたいな私なんて
死んだ方がいいんだと思っていた時もあったけど、
ドラマチックなのは、映画だけではなかった。
美しいのは映画だけではなかった。
ああ、人生は美しい」と。
そして私たちが
「もうクラウドファンディングダメだよ。集まらないよ」
と嘆いていた裏には、
私たちよりも熱心に、クラウドファンディングの行方を
毎日のように見守ってくれていた方がいました。
最終日まで待って達成していなければ残り全額負担しようと
見守ってくれていた方がいました。
しかもそれは一人ではありませんでした。
成功を祈っていたのは、私たちだけではなかったのです。
クラウドファンディング期間中はどうしても、
何%とか何円とか何人とか、
数字ばかりで話してしまうのだけれど、
私たちは決して忘れないようにしよう。
その数字の裏には、
ご支援してくださった方、シェアしてくださった方、
応援してくださった方たちのあたたかい想いがあることを。
一円に未来への希望が託されていることを。
私たちには託していただいた責任があるということを。
今だから言える、
今回のクラウドファンディングが成功せず、
他の資金調達も失敗していたら、底をつきかけていた団体の資金。
今回本当に多くの方々が、団体の命をつないでくださいました。
あたたかい皆様が、この命に火を灯してくださっている間に、
私たちはご支援以外でも活動を回していけるだけの
ビジネスモデルを構築させなくてはいけません。
フライパンには「気持ち悪い」と笑われるだろうけれど、
今だから言ってしまう。
別に特別な信仰にも怪しいツボにもハマったわけではないけれど、
私はこのプロジェクトが、
よくわからない何か大きなものに守られている気がしてならないのです。
途上国への映画の支援、夢の種まきが必要なのは当たり前だよね、
むしろ何で今までなかったんだ?
と言われる場所まで、
世界のピースにカッチリはまる場所まで、
何か大きな力に、引き上げてもらっているような気がするんです。
(怖いですね。私怖いですね。
世界のピースとか言っちゃっててやばいですね。
大丈夫。私この発言の気持ち悪さわかってる)
10年後にはきっと、
私のこともフライパンのことも誰も知らないけれど、
World Theater Projectは、
誰もが知っているものになる。
そんな気がするんです。
そうしなきゃいけない気がするんです。
でなければ、
「学校」ができるわけでもなく、
「映画」ができるわけでもない、
目で見て触れられる形ある何かができるわけでもないものに
ご支援くださっている方たち、
時間を費やしているメンバーたちが報われない。
10年後、20年後に向けて、
まずはここからが勝負です。
エクセル上には綺麗に数字が並んでいるけれど、
本当に1万人に届けられるかどうかは、フライパンの手腕にかかっています。
シェムリアップとプノンペンの映画配達人、
トゥクトゥドライバーにすでに話はしてあるけれど、
果たしてバッタンバンのようにうまくいくのか。
ただ「1万人に届けられたら、ゲームが変わる」と言われています。
私たちは次のステージにいけるのです。
旅立つ人は良いけれど、残される方はつらいもの。
年末年始にカンボジアに来ていたメンバーたちが次々帰国し、
遅れて私も帰る日に、
空港に向かうためトゥクトゥクに乗り込んだ私の鞄に、
何かの紙を押入れてきたフライパン。
私の方はただ、「フライパン、生きて帰れよ」と冗談めかして言って去りました。
実はその紙の存在を数時間ほどスッカリ忘れていたのだけれど、
乗り換えの上海空港で時間を持て余していたときに見つけて読みました。
これを読んだ返事はしていませんでしたが、
なんて上から目線な文章なんだと思いながら、まあ、泣いたよね。。
「結果にコミット」「やり遂げる」が口癖のフライパン。
成し遂げてくれると信じさせてくれる人。
でももしも異国で万が一のことがあったら、
心配でたまらないのに、フライパンと団体を信じて送りだしてくださっているお母様や、
日本でフライパンを待ってくれている可愛い彼女に申し訳が立たないので、
安全だけは第一に。体調を崩した時は病院へ。
事故に遭ったり無理だと思った時は強制送還で。
元気に生きて帰ってきてください。
たぶんフライパンができなかったら、他の誰もできないので、
その時は別の方法を考えろということなので、一緒に考えよう。
なのでプレッシャーを感じ過ぎぬよう。
フライパン、いつもいつも、本当にありがとう。
「映画で夢の種まき」ができる世界を実現してくれたのは、
私ではなく、フライパンでした。
それからメンバーでした。
そして、ご支援くださった皆様、応援してくださった皆様でした。
これからまだまだ続いていく、果てしない物語のような活動なのですが、
今はただ、World Theater Projectに関わってくださった皆様に、
言葉にならないくらいたくさんの、感謝の気持ちを込めまして。
2016年1月14日 教来石小織