くじらびと製作に至るまで
vol. 32 2019-08-10 0
写真一筋で長い間やってきたが、一度だけテレビドキュメンタリーの製作に関わったことがある。くじらびとの村を舞台にし、自分が共同ディレクターとして作品に大きく関与した97年製作の「巨鯨に挑む」(フジテレビ系)だ。
たまたま撮影中に事故があったこともあり、それが作品にリアリティを生み、命がけで鯨に挑む人々の姿は今見ても感動的だ。ATPの年間ドキュメンタリー優秀賞も受賞し、当時話題になった。
ただ、あえてひとこと足すと、今作っている映画と比べると驚くほど浅い。あの頃はこんな表面しか見てなかったのかと自分自身がっかりするほどだ。
わかりやすくひとことで言えば、ラマレラの人々がこの番組を見て、懐かしみこそすれ、驚くことも感動することもないだろう。いうまでもなく鯨を獲ることは彼らにとって日常にすぎない。
映画「くじらびと」は違う。地元の人でもなかなか見られない儀式があるだけではなく、深く深く入り込んだ取材は、地元民でさえ知らなかったさまざまなシーンを含み、その人間ドラマには「あの人はこんなことを考えていたのか」と驚くことだろう。そしてこの映画には前回なかった深いテーマがある。
この映画を作る大きなモチベーションのひとつに、やがては消えていくであろう生存捕鯨を映像として記録に残すというのがある。
2010年、久しぶりに村を訪ねたとき、老漁師にこんなことを言われた。「ボン、以前、撮った写真や映像を若者たちに見せて欲しい。昔は鯨を獲るために村がひとつになっていたが、今の若者は金や個人の儲けのことばかり考えている。あのころの私たちの姿を教えてやりたい」
これまでラマレラのことを日本や海外へ紹介するのが目的だった自分はその言葉に驚いた。自分の作品が地元に貢献できる。これまで撮り逃げではないが、地元へ還元できないことでどこか後ろめたさがあった。しかし作品が世代を超えて村の人々に大事なことを伝える、そんな重要な役割を果たせたとしたらなんと素晴らしいことだろう。
やがては消えて行く運命にあるだろう鯨漁。鯨を獲るという行為だけではなく、その背後にあるくじらびと暮らし、信仰、そして思い。次世代にまでそれを伝えらえるのは、30年近く村に関わり続け、表現を仕事とする自分しかいないのではないか、そんな気負いとともに映画「くじらびと」の製作はスタートしたのだった。