100年後に残るアニメーション映画のために ─ 独立系映画配給のマイストーリー
vol. 15 2016-04-10 0
有名人でもない”おばさん配給者”が挑戦したクラウドファンディングが間もなく終了します。目標額を達成できるかしら?と不安のうちにスタートした3月1日、「応援しています」とコレクターがついてくださり、不定期メルマガ「HNews(アッシュニュース)」を送っている方々もコレクターになってくださいました。ありがとうございます。
クラウドファンディングをしたのには経済的事情だけでなく、オフィスHのような個人事務所が配給する意義 ─ 大手の配給会社では扱われず、上映の機会に恵まれない多様なアニメーションや、日本では無名の海外の若手監督の秀作を劇場公開したい ─ なんて偉そうな理由もあります。
先日、今の仕事を始めたきっかけを尋ねられました。20年近く前、アラフォーで脱サラしました。外資系サラリーマンでいたら、生活は安泰で、老後資金も溜まっていたことでしょう(笑)。サラリーマン生活晩年、カナダに本社があるコンピュータグラフィックスソフトの開発会社でアジア太平洋地区の広報宣伝担当をしていた頃、5年、10年スパンで仕事をしているクリエイターに出会いました。たとえば、ハリウッド大作以上のフル3DCGアニメーション映画を制作した大手ゲーム会社や自動車会社のデザイナーたちです。極端なことを言うと、外資系企業の営業は成果が計られる四半期単位でしか仕事を見ていません。わたしは、5年、10年スパンで仕事をする人たちと共に歩んでみたくなりました。
わたしはTVアニメ隆盛期に育ち、小学・中学生で海外映画に傾注しました。しかしアニメは中学時代に卒業し、成人してからは映画からも遠ざかりました。しかも、エンピツ画すら描けないわたしがアニメーションの配給などを始めてしまったのです。人生の後半に映画回帰。三つ子の魂百までとはよく言ったものです。
コレクターの方から「素晴らしい作品を創り出す人々が、より才能を発揮出来る環境を得られるように願っています」という声をいただきました。わたしがこのような稼業を続けられたのも、消耗品ではない、50年後、100年後まで残るアニメーション映画の誕生に立ち会いたいから。
2013年、かつて映画を上映したスウェーデンの監督から愛児に「Hiromiと名付けた」と連絡がありました。50年後、日本の裕美はこの世にいませんが、スウェーデンのHiromiは、わたしが見守った監督たちのアニメーション映画の行く末を見てくれるでしょう。
遠い将来の人たちにも生きる楽しさ、生きる勇気を伝えるアニメーション映画を生み出す人たちに伴走したい・・・独立系映画配給を続けるのは、そんな気持ちからです。
WAT 2016 世界のアニメーションシアターが応援する10作品です
創り手のみなさん、あなたのアニメーション映画を待っている人たちがいます。微力ですが、あなたの映画を劇場で公開できるよう、わたしたちも励みます。
いっしょに100年後を夢みましょう!