「名づけられないもの」として、「名づけられないもの」の中で
vol. 6 2021-12-07 0
今回ご紹介するのは、ウェブマガジン『REALKYOTO FORUM』編集長 小崎 哲哉 様からの応援メッセージです。
この映画のタイトル「名付けようのない踊り」について、大変示唆に富み、心に響く言葉を頂きました。
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「名付けようのない踊り」という題名はロジェ・カイヨワとの対話から取られたという。田中泯がカイヨワの前で踊ったのは1978年。名著『遊びと人間』の著者が他界する直前だった。
フランスを代表する知識人が発した言葉であるからには、サミュエル・ベケットの『名づけられないもの』が重ねられているに違いない。晦渋をもって知られるこの小説において、「名づけられないもの」とは決して表象し得ない何ものかを指す。その「何ものか」を名指す狼藉を許してもらえるなら、それは「私」であり、「世界」である。
田中泯は映画の中で、若いころには「『私を表現する』ということがどうもぴんと来なかった」と語っている。ずっと後になって、師と仰いだ土方巽に「いったいこれまでにどれほどの数の人間が生きてきたと思うか。『私』や『個性』のやっている程度のことは、その中に必ずある」と言われ、「すごくほっとした」という。
師の言葉に背中を押された田中泯は、舞台の上だけではなく、路上で、水上で、霧の中で、重油にまみれて、寺社の参道や教会で、果てはゴミの最終処理場や東日本大震災の被災地で踊る。長年暮らす山梨では畑を耕し、野菜を収穫する。子供のころ、山に入って地面に落ちた枯葉をめくり、その下で蠢く昆虫を見るのが好きだった。幼時からの「世界」への関心——というより欲望——が、様々な場所に赴いて即興で踊る「場踊り」につながっている。
だから「名付けようのない踊り」というのは、この上なく正確な命名だと言えるだろう。田中泯は「名づけられないもの」として、「名づけられないもの」の中で踊り続けているのだ。多くの人に観てもらうために、微力ながら私も応援したい。
小崎哲哉 様
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<プロフィール>
ウェブマガジン『REALKYOTO FORUM』編集長。京都芸術大学大学院芸術研究科教授。同大舞台芸術研究センター主任研究員。愛知県立芸術大学非常勤講師。同志社大学非常勤講師。2003年に和英バイリンガルの現代アート雑誌『ART iT』を創刊し、編集長を務めた。展覧会のキュレーションも行い、あいちトリエンナーレ2013ではパフォーミングアーツ統括プロデューサーを担当。編著書に『百年の愚行』『続・百年の愚行』、著書に『現代アートとは何か』『現代アートを殺さないために――ソフトな恐怖政治と表現の自由』などがある。2019年にフランス共和国芸術文化勲章シュヴァリエを受章。