地図から消えゆく津島からのメッセージ⑤
vol. 11 2020-04-01 0
佐々木やす子
2011年1月3日、年明けの成人式を楽しみにしていた次男(20歳)が病気で倒れて半身不随になりました。そして翌月の2月18日、闘病生活をしていた夫が58歳で他界しました。
3月11日に地震、原発が爆発し、慌てて避難しました。避難所を転々とする中で、夫の納骨もできず、四十九日も弔うこともできなく過ぎてしまいました。さらにリハビリをしていた次男が、8月11日にすい臓がんで急死しました。
私にとってはつらい、つらい2011年でした。
辛い、悔しさ、どうにもならない気持ち。
1日も早く家に帰りたい。
夫と息子が待つふるさとに帰りたい。
そして、自分が骨になる前に帰りたい。
窪田美智代
あれから9年。帰還困難区域となってしまったふるさと津島!
一時帰宅するたび水田は森になり、
見えていた近所の家迄も木が生い茂り、
見えなくなってしまっています。
とても悲しく悔しい思いでいっぱいです。
荒れはてて行くふるさと津島を何とか残したいと思い、
今後ともご支援頂ければ幸いに存じます。