映画を作り終えて
vol. 3 2024-12-30 0
映画を作り終えて
脚本の初稿を書き終える頃、題名を『⻑い夜』にしようと決めた。
⼊学したばかりの頃は教授や周りの友⼈にも脚本が評価され、俺はどんな映画だって撮れ
るんだ!という漠然とした全能感を持っていた。実際、映画を観れば観るだけ、脚本を書け
ば書くだけ、上達していくような感覚があった。しかし、映画を撮ってみると中々上⼿くい
かない。褒められた脚本のはずなのに、映画にすると難⾊を⽰される。⾃⾝の出来る全てを
尽くして撮った⼆本⽬も褒めてくれる⼈は増えたものの、信頼する友⼈達の指摘に⾔葉を
返すことができなかった。映画祭も⼀つはあと⼀歩のところでまで⾏ったが、結局は全滅だ
った。考えられない程無理をさせた俳優、スタッフに向ける顔がなく、惜しいところまで⾏
ったことだけを伝え、あとの結果は黙った。何となく察した彼らが合否を聞いてくることも
なかった。胸を締め付けられる思いだった。
映画を撮れば撮るほど、⾃⾝の才能のなさ、やれる事の少なさを実感し、それまで⼀週間
⾜らずで書けていた脚本もどんどんとペースが落ちてくる。最早あの時の全能感は彼⽅に消
え、焦燥感と停滞感だけが残った。努⼒をすれば必ず報われるのだと、どんなに暗い夜でも
必ず夜明けは来るのだと信じていた。今でも両者とも本当のことだと思う。しかし、努⼒を
し続ける体⼒や夜を耐える精神⼒がなければそれらは訪れない。明けない夜もあるのだ。
当時の⾃分には前向きな題名をつけることが出来なかった。付けてしまえば⾃分の気持
ちを蔑ろにしているようすら思えた。かと⾔って、絶望しきっているわけでもない。でなけ
ればそもそも脚本を書こうとすら思っていない。映画に対する諦められなさと、夜明けは来
ないかもしれないが、来るのかもしれない。という微かな期待を持っていた。まだどちらで
もない『⻑い夜』という題名をつけ、映画を作っていく中で答えを探そうと思った。制作チ
ームと共に答えを探せたら。何となくそんなことを思っていたように思う。
撮影は嵐のようだった。初⽇から機材トラブルにより、⽥舎道での撮影が深夜2、3時ま
で及んだ。朝からの撮影だったため、みんなの体⼒はとうに尽きていたハズなのに誰⼀⼈と
して弱⾳を吐かなかった。その情熱と、信頼関係に胸打たれながらも、これから続く、連⽇
の撮影への不安が募る。⽥舎の夜は街灯も少なく、暗い。何だか⻑い夜が始まったなと思っ
た。⼝にもした。スタッフに何⾔ってんだコイツと⾔った顔をされた。恥ずかしかった。
⽥舎での撮影は祖⽗⺟の家とその周辺で⾏い、祖⽗⺟にも出演してもらった。想像⼒が乏
しくなってしまったため、⼀度⾒た場所、親しい⼈物に向けてしか脚本を書けなくなってし
まったという理由もあるが、何より祖⽗⺟を画⾯に映して置きたいという想いがあったか
らだ。
⼆⽇⽬の昼、何とか⽥舎での撮影を終え、機材を積んでいると、祖⽗⺟にそっと「⾝体に
気をつけるんだよ」と⾔われた。遠⽅での撮影が初めてだったことによる不安から解放され
たことや撮影がひと段落ついたことによる安堵も相まって、泣いてしまった。⽚隅で⼀⼈メ
ソメソしていると、真理役の黛がそれに気づきかたをポンと叩いてくれた。コイツかっこい
いなと思った。
3⽇⽬から主演の原ちゃんが参加した。この⽇はスケジュールの都合上、演者は原ちゃん
のみの撮影だったため、カロリーが少なく、撮影の難易度も⽐較的低かったため、ほとんど
滞りなく、撮影を終えた。ある場⾯で原ちゃんに⽕花が降りかかってしまったのだが、演技
に⼊っていた彼は微動だにしなかった。結局のテイクが使われることはなかったが、演技も
映画制作も未経験でありながら、真剣にそれらに向き合う彼の気概を感じた。あと普通に申
し訳ない。
四⽇⽬からブッダ役の笠原と杏奈役の紗也加さんが参加する。ブッダは当初、ミステリア
スな雰囲気を想定していたが、当て書きで書くことを決めていたため、改めて笠原のことを
知ろうとそれとなく性格を聞き出すような会話をしていたが、ひたすらにいいヤツである
ことがわかるだけだったので、ブッダも⾃然といいヤツになっていった。だが、撮影してみ
ると彼独特の在り⽅もあってか、いいヤツでありながら、どこか得体の知れなさを纏った存
在として画⾯に映ってくれた。彼も演技未経験でありながら素晴らしい役者のように思う。
紗也加さんは、さん付けをしているようにこの映画を撮影するまでほとんど関わりがなか
った。彼⼥の演技もほとんど⾒たことがなく、正直にいうと、今回出演してもらった理由は
脚本上黛に似ている⼈物を出したら⾯⽩そうだと思ったからである。そのため、当て書きで
はあるが、こういう⼈ではないだろうかという予測で書いた部分が⼤きい。初稿ができ、読
んでもらい、感想を伝えてもらったのだが、⼈⾒知りを遺憾無く発揮し、有耶無耶な返事を
してしまった。が、その⽇のうちに改めて役への質問と演じるにあたっての想いを綴った⻑
⽂のメールが届く。⾃⾝の脚本を⾔及されることの恥ずかしさから曖昧な返事をしてしま
った事の申し訳なさを感じながら、ここまで熱意を持って演じようとしてくれる姿勢に感銘
を受けた。その後杏奈の台詞やシーンを⼤幅に書き直した。彼⼥がいなければ今のような脚
本にはなっていなかったと思う。また、監督としての姿勢を改めて正す機会にもなった。演
技も素晴らしく、彼⼥の演技のおかげで杏奈が⽴ち上がっていくのを感じられた。
かなり脱線したが、四⽇⽬は⼆⼈、そして原⽥の努⼒もあってかなりハードな撮影だった
が何とか切り抜けることができた。
しかし、五⽇⽬からはあまりにタイトなスケジュールに加え、ごく少⼈数のスタッフだっ
たこともあり、常に限界スレスレ、それ以上の状態で撮影を⾏った。運転しながらの撮影。
それによるトラブル(交通事故ではない)。⼗⼋分にも及ぶ⻑回し。嵐の中の海での撮影。
最終⽇には⼀⽇に9シーン以上の撮影もした。あまりに過酷な⽇々だった。私⾃⾝、撮影の
期間だけで5キロも痩せた。全員がこれ以上無い過酷さを味わっていた。
何とか撮影、編集、整⾳を終え、気づけば年の瀬である。主な移動⼿段が⾃転⾞の私にと
ってこの寒さは耐え難く、あれだけ過酷で暑かった夏もなんだか、眩しく⼼地の良い思い出
に思えてくる。いや、実際にそうだった。⼈⽣の中で⼀番⾟い数⽇だったが、それと同時に
あの⽇あの時あの場所で起こり、撮影したものは美しく、⼈⽣に中で⼀番楽しく、幸せな
⽇々だった。
映画を作り終えた今、⻑い夜が明けたかと⾔うと、実のところまだ分からない。だからこ
れから観る⼈たちにこの映画は夜明けを迎え得ることができるのか判断していただきたい。
そのため、これからも多くの⼈に映画を⾒ていただけるよう努⼒し続けます。⽀援してくだ
さった⽅、本当にありがとうございました。そして、この映画に携わってくださった、スタ
ッフ、キャスト、多くの皆様本当にありがとうございました。⼼より感謝申し上げます。
- 前の記事へ
- 次の記事へ