ビブリオバトル問わず語り。そのに『なぜ本ではなく、人なのか』
vol. 3 2014-08-10 0
こんにちは、若手ビブリオバトルの萬木です。先日、初めてのコレクター様が現れてくださいまして、非常にうれしく思った次第です。本当にありがとうございます。
さて、今回お話ししようと思いますのは、「なぜ本ではなく、人なのか」という話題についてです。
ビブリオバトルはそもそも、「人ではなく、本を表彰する」という点に特殊性があり、それが魅力の一つでもあります。ではなぜ今回、チャンピオンベルトという、人に批准を置いた象徴を選択するに至ったのか、それをお話ししようと思います。
これは非常に単純で、しかし目を背けていたかもしれない問題で、そもそもビブリオバトルというのは人ではなく、本を表彰する、というのが原則になっています。実はこの、人ではなく本を表彰する、という着眼点がひとつの画期的なもので、それによって多くの人々が参加しやすくなっているのは事実です。
しかし、思い起こしてみてください。数多くのビブリオバトルを、知り合い同士で、或いはビブリオバトルを通して知り合った人たち同士でやってきた、数を重ねて来た人々は特に、思い起こしてみてください。
ビブリオバトル、実は、「よく勝つ人」が存在することに、気がつきませんか。
ビブリオバトルという競技はその声を使って話して勝敗を付けるという性質上、「プレゼンのうまさではなく、その本が読みたくなったか」という正当な投票基準が、時として「プレゼンのうまさ」という基準と合致することがあります。
また、「プレゼンのうまさ」という基準軸と並行して、「選んできた本」という軸も存在します。これもまた、その選ぶセンス、或いは読書歴などは、大きく「人」に由来するものなのです。
そして加えて言える軸に、「投票するオーディエンスの層」というものもあります。これは言うまでもなく、「人」という存在にいかに訴えかけるか、共感を呼ぶか、という点に重きが置かれているのは確かです。
この、「プレゼンのうまさ」という軸、「選んできた本」という軸、そして「オーディエンスの層」という軸、この三つが複合的に合わさって初めて、ビブリオバトルにおけるチャンプ本輩出へと繋がる、というのが、萬木のビブリオバトル歴からの見解です。
そして加えて申し上げるに、この三つの軸いずれに対しても、「本」ではなく、「人」という存在が根付いているということが言えます。
つまるところ、ビブリオバトルは、「本のための競技」ではなく、「本による、人のための競技」なのだと、私、萬木は考えます。
あくまでもビブリオバトルという場は、「本を共有する場」ではなく、「人がコミュニケーションする場」という言い方も出来ると思います。
ですので今回、私は、ビブリオバトル界隈で流通する、「人に対する栄冠」があればいいな、と考えるに至ったのです。
(このベルトは学生プロレスをしていたころに私が持っていたベルトです。)
いかがでしたでしょうか。ちょっと長々と話してしまいましたが、今回の、ある種ビブリオバトルの主軸をねじ曲げる、「人を表彰する」という事について設定した理由について、ご理解いただけましたでしょうか。
次回は……「何故トロフィーなどではなく、チャンピオンベルトなのか」についてお話ししようかと思います。
それでは、またお会いしましょう! 重ね重ね、ご支援賜りますようお願い申し上げます!