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伊勢の詩人・竹内浩三、生誕100年を記念した事業の実現をクラウドファンディングで実現!
大正10(1921)年、伊勢市に生まれ23歳で戦死した竹内浩三。天性の詩人といわれる魅力を伊勢から伝えようと生誕100年を記念し、様々な事業を企画しています。浩三をより多くの人に知ってもらうため、ぜひ応援をお願いします。
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竹内浩三さんは1921年に今の伊勢市に生まれました。明るい人気者で、マンガも詩も得意で、映画監督を目指していましたが、24歳でフィリピンにて戦死しました。残された詩や文章、マンガは、今も読む人の心を強く掴む魅力にあふれ、人と人を繋いでいます。それをもっと多くの人に知ってもらいたいと願って、生誕100年のお祝いのイベントをいくつも企画していますので、ぜひとも応援をお願いします。そして竹内浩三の詩や人柄に出会ってその魅力にふれてください。
大正10(1921)年、伊勢市に生まれ23歳で戦死した竹内浩三。天性の詩人といわれる魅力を伊勢から伝えようと生誕100年を記念し、様々な事業を企画しています。浩三をより多くの人に知ってもらうため、ぜひ応援をお願いします。
【5月17日(月)追加】
こんにちは。竹内浩三生誕100年記念事業実行委員です。私たちのプロジェクトを見ていただき、応援してくださるみなさんに心からお礼を申し上げます。
伊勢生まれの詩人、竹内浩三は23歳で戦死してしまいました。詩人と呼ばれるにはあまりにも若く、作品も少ないのですが、彼の書いたものを読み、人柄を知るにつれその魅力は心に深く残り、忘れられなくなります。その竹内浩三をもっと知ってもらいたい、彼の生きた、そして彼を奪った戦争の時代を忘れないで伝えていこうと、みんなで実行委員会をはじめました。
そのことを多くの方に応援していただき、クラウドファンディングを開始して1月で目標の100万円を達成することができました。委員一同が驚きと喜びでいっぱいです。本当にありがとうございました!
みなさまからいただいたメッセージを受けて、私たちはあらためて竹内浩三を伝えていくことの大切さを感じています。より多くの人へ、次の世代へとつなげていかなければなりません。このクラウドファンディングに取り組んだ意味も、資金の調達だけではなく、広く知ってもらえる、伝えられるということが大きいのだと気がついています。
この度、新たな目標【ストレッチゴール】を設定しました!
ストレッチゴールとは、クラウドファンディングの目標金額が達成した場合に設定される新たな目標金額のことです。
そこで目標金額を2つ設けました。
①1,400,000円<達成率140%>
②2,000,000円<達成率200%>
当初私たちは、経費の不足しているイベント3つに必要なのは140万円と試算し、そのうちの100万円を目標にして進めていくことにしました。そのため新たな目標の①は、イベントに必要な額140万円を目標として目指していきます。
次に、②の目標について、みんなでよく話し合いました。私たちは、この竹内浩三生誕100年を機に、今後とも竹内浩三を知ってもらうため、若者に伝えていくための継続した活動をしていきます。当面は中学生への演劇鑑賞会を実現させていくこと。その他のイベントを成功させることを目指します。そして生誕祭の継続を企画していきます。それをお約束して、次のご支援を求めて参ります。
<中学時代のマンガの自画像「僕のカホ 僕ハコンナカホノ男デス 十六才 目ガニテイナイ」>
<竹内浩三22歳>
100年前(1921年)の5月12日、私たちの町・伊勢に、竹内浩三は生まれました。元気な人気者でマンガや詩や文章を書くのが得意でした。映画監督になりたいと日本大学専門部映画科に入学しましたが、戦争激化による兵員不足を補うため繰上げ卒業となり、兵隊になってフィリピンで戦死しました。23歳でした。
兵隊になる直前に書かれた詩「骨のうたう」は、戦後の日本を透徹したものとして、多くの人の胸を打ち、竹内浩三は広く世に知られることとなりました。
<詩「骨のうたう」は竹内浩三が出征の2カ月ほど前に書いたと思われるものに、昭和31(1956)年『愚の旗ー竹内浩三作品集』を発行する際、編集した親友の中井利亮が補作したもので、この形で広く知られている。>
<小学生の竹内浩三の写真>
愉快で、天真で、愛さずにはいられない若者竹内浩三。彼の遺した詩や日記、手紙などは、読む人の心にひびき、その言葉や人物について多くの人が語り、書き、歌って伝えてきました。
<宇治山田中学校時代の、親友の中井利亮と竹内浩三(右)>
<詩「五月のように」 詩の末尾に「ボクの20回目の誕生の日、これを、ボクのために、そしてボクのいい友だちのためにつくる」と添書きされている。>
<同人誌「伊勢文学」創刊号>
大学生だった竹内浩三は、戦争に行くと決まってからの4か月間、あふれるように詩や小説などを書いて、中学の仲間と発行した「伊勢文学」1号から5号に発表しました。
大学を半年間の繰上げ卒業となり、昭和17(1942)年10月三重県久居 中部第38部隊に入営しました。翌年9月西筑波飛行場へ配属されてからは、世に「筑波日記」と呼ばれる日記を書き続けます。そして昭和19(1944)年、フィリピンに送られ戦死しました。2年後に届いた戦死の報せには、昭和20年4月9日「比島バギオ北方1052高地方面の戦闘に於いて戦死」とあり、遺骨も遺品もありませんでした。
<姉 松島こう 撮影当時89歳 雑誌『伊勢人』No.158より>
竹内浩三が書き遺したものは、唯一の肉親である姉のこうの手で大切に保存され、戦後10年を経過した昭和31(1956)年、親友中井利亮の精選、編集により『愚の旗―竹内浩三作品集』として発刊されました。
さらに10年後、松阪市は戦没兵士の手紙集の発刊を計画し、広く市民に戦没兵士の手紙の募集を行います。結婚により松阪市民となった姉こうは、『愚の旗』を持参して募集に応じます。市は、本の巻頭に「骨のうたう」を掲載し、本の題名もその詩からとり『ふるさとの風やー松阪市戦没兵士の手紙集』(三一書房 1966年)として発刊します。この本により竹内浩三の名前、詩「骨のうたう」は全国に知られていきました。
<『愚の旗』は2018年に伊勢文化舎 より復刻された> |
<『ふるさとの風やー松阪市 戦没兵士の手紙集』> |
その後、足立巻一、桑島玄二、たかとう匡子、西川勉、小林察、藤原良雄、野上照代、稲泉連、よしだみどり、小園弥生、五月女ナオミ、劇団あめんぼ、佐々木健等々、多くの人たちにより竹内浩三が語られ、書かれ、読まれ、歌われていきました。
伊勢の地でも、2000年の伊勢青年劇場(現・劇団伊勢)の演劇「竹内浩三」や雑誌「伊勢人№158竹内浩三特集」があり、五月会、生誕祭の会、竹内浩三研究会などの活動が続いています。
これらの活動については、ぜひ竹内浩三のホームページをごらんください。
<ホームページへのリンク https://kozo-takeuchi.club>
竹内浩三が生まれた伊勢で、彼が生まれた100年目に、さまざまな人が集まって実行委員会を立ち上げ、記念事業をいろいろと企画しました。
伊勢市の中学生に演劇「きみはいくさに征ったけれど」をみせたい
記念イベント「さあ、竹内浩三を語ろう 歌おう」を成功させたい
青春の地、宇治山田中学校跡地に詩碑を建てて聖地として記念したい
劇団「秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場」は、生きづらさを抱える中高生に勇気を与えるような新たな演目を探す中、稲泉連『ぼくもいくさに征くのだけれど』中央公論社(2004)の中に「竹内浩三」を見い出します。伊勢出身の劇作家大西弘記氏脚本による、竹内浩三を現代によみがえらせた演劇「きみはいくさに征ったけれど」は、2018年、東京と伊勢の公演を成功させ、全国の高校などでの公演が行われ好評を博しています。この公演をぜひとも伊勢市の若者に鑑賞させたいと強く願っています。この公演の実現には、若者の健全育成への活動を続けて実績のある伊勢市「神都ライオンズクラブ」さまが協賛してくださることになりました。今後各中学校と相談しながら具体的に進めていきますが、みなさまからのご支援をいただくことで、より強く実現を目指していきたいと考えています。
青年劇場HP
https://www.seinengekijo.co.jp/s/kimiha/kimiha.html
<2018年12月伊勢市で一般上演されたときのポスター>
<舞台写真 撮影:鈴木ヨシアキ>
稲泉連 1979年東京生まれの作家。『ぼくもいくさに征くのだけれど』で第36回大宅壮一ノンフィクション賞を史上最年少で受賞。
稲泉氏は竹内浩三が戦死した23歳になる頃に「日本の見えない」という詩に出会い、「なぜ、竹内浩三という詩人はこのような詩を書いたのだろう」との思いから、資料を調べ関係者を訪ねて、若者の率直な目でこの本をまとめあげた。関係者が亡くなっていく現在では証言録としても貴重で、竹内浩三を知るのに最適な1冊である。
メインのイベント「さあ、竹内浩三を語ろう 歌おう」を
2021(令和3)年11月23日(火・祝日)午後2時~4時
伊勢市生涯学習センターいせトピア 多目的ホール
にて行います。
第1部は、「語ろう」ということで、対談形式で竹内浩三を各自の視点から語っていただきます。現在、稲泉連氏(作家)と大西弘記氏(劇作家)を予定しています。
まだ公表できませんが、もう一人、著名なある方の参加の可能性があります。
第2部は、「歌おう」ということで、朗読や歌で竹内浩三に出会っていただきます。
宇治山田高校同窓会 合唱団「プラチナ2000」と、声楽家 谷篤(たにあつし)氏による、歌と朗読で楽しみます。
<谷篤氏コンサートスナップ 提供:谷篤氏>
「プラチナ2000」は宇治山田高校の合唱部OBを中心に演奏会などの活動をしており、今回は、学校の先輩である竹内浩三の詩に作曲された作品も披露されます。
三重県出身の声楽家、谷篤(たに あつし 1960-)は、歌と朗読を合わせたドラマティックリーディングのコンサートを続けており、竹内浩三の詩を取り上げてきています。また竹内浩三の母校、日本大学芸術学部でも教鞭をとっていて、関連の深い演奏家です。
記念イベント「さあ、竹内浩三を語ろう 歌おう」のためにご支援をお願いします。
<中学生の竹内浩三>
昭和9(1934)年に旧制宇治山田中学校に入学した竹内浩三は、手作りのマンガ雑誌を回覧したり、学校に内緒で映画を見に行ったり、多くの友人たちと楽しい生活を送ります。しかし彼の自由さは軍国の時代には問題視され、しばしば父親が学校に呼び出されたり、一年間柔道教師の家に身柄を預けられたりしました。笑い出すと止まらない明るい性格、ひょうきんで憎めない人柄、これらがのちの文学仲間との友情を育み、戦争の影が濃くなる中にも天真な青春時代を送ります。
中学校の大先輩に有名な小津安二郎がいます。父親の猛反対にもかかわらず、浩三は映画監督になる夢を抱き続けます。
当時の宇治山田中学校があった場所は、現在公園になっていて、小津安二郎の碑が建っています。私たちはその横に竹内浩三の碑を建てて、彼の青春と友情のスタート地点として記念したいと思っています。
<伊勢市船江1丁目にある船江公園が跡地>
<船江公園には小津安二郎の碑があり「無常迅速 もう一度中学生になり度いなあ 会い度い会い度い もう一度中学生になり度いなあ」と刻されている。>
竹内浩三の詩碑としては、伊勢神宮の鬼門を守る古刹、朝熊山・金剛證寺の墓地に建つ「戦死ヤアハレ」の碑が有名ですが、もうひとつ、13歳から18歳までの竹内浩三を感じることができるような碑を作りたいと願っています
<朝熊山上 金剛證寺 奥の院入り口にある竹内浩三の墓と「戦士ヤアハレ」の詩句が彫られた詩碑>
竹内浩三の誕生日、5月12日前後に毎年生誕祭を開催してきました。今年は生誕100年を記念して、5月8日に盛大に開催します。
内容:5月8日(土) 伊勢市立小俣図書館 2階ホール
五月女ナオミコンサート
日本大学芸術学部映画学科 廣瀬勇誠 卒業制作
ドキュメンタリー作品 「日本が見えない 竹内浩三の詩2020」上映
小学生から大人まで竹内浩三の詩を朗読する
五月女ナオミ
五月女ナオミと小園弥生は、竹内浩三の詩に曲をつけ、歌い続けている。2人は2000年に浩三の姉こうを松阪に訪ね、初めてこうの前で竹内浩三を歌ったことから「歌を届ける旅 天性の詩人・竹内浩三を歌う」を始める。現在、五月女ナオミは横須賀市を拠点に、全国を巡りながら「竹内浩三」を歌い届けている。
<五月女ナオミと松島こう 2000年当時>
<今年の「竹内浩三生誕100年祭」>
<筑波日記は、竹内浩三が西筑波飛行場の挺進滑空部隊での、昭和19(1944)年1月1日から7月27日までの200余日を、1日も欠かさずにびっしりと書き込んだ、小さな2冊の手帳である。>
竹内浩三の資料は、遺族の依頼によってすべて本居宣長記念館に大切に保存されています。しかし紙の劣化は進み、現在では一般に閲覧できる状態ではなくなっています。そのため、本居宣長記念館での常設展示はされておりません。
竹内浩三の資料(同人誌、日記、手紙、写真等)を図書館等で閲覧できるようにするため、伊勢市を中心に、可能なものからデジタル化や複製の取組みを進めます。これにより、多くの人が資料を目にすることができ、研究の進展が期待できます。
http://www.norinagakinenkan.com/index.html
<本居宣長記念館の ホームページ>
本居宣長記念館においても8月7日(土)から15日(日)の間、竹内浩三の資料の一部が展示されます。
さらに、共に「伊勢文学」を発行した友人たちの作品と資料の展示も行います。
市が所有する「伊勢文学」の実物展示のほか、パネル展示等により、竹内浩三と友人たちの創作活動を紹介する予定です(詳細は未定ですので、展示内容等は変更となる場合があります)。
「竹内浩三と仲間たち展(仮称)」11月20日(土)~28日(日) 伊勢市立伊勢図書館
<『伊勢文学』創刊同人の竹内浩三(左)、中井利亮(中央)、野村一雄(右)>
竹内浩三が学んだ宇治山田中学の跡地を起点にして、伊勢の古い建物が今も残る河崎の町並みや、生家跡地などをめぐるツアーを行います。伊勢の町のあちこちに設置された竹内浩三の詩のパネルも見て回り、竹内浩三という自由な魂を育てた伊勢の町をご覧いただきます。今回「明倫地区まちづくり協議会」が共催として、案内マップやコースづくり、当日案内などで力を合わせてくれます。伊勢の豊かな文化にも触れていただける楽しいツアーをご期待ください。
前述のように、竹内浩三の詩パネルが市内各所に建てられています。次には詩「宇治橋」のパネルを建てたいと願っています。
<伊勢市立明倫小学校の門のそばに「三ツ星さん」>
<三重県立宇治山田高等学校の入り口辺りに「我が学校」>
<伊勢市立伊勢図書館の側に「よく生きてきたと思う」>
<生家跡地あたり、スーパー「ぎゅーとらエディース八間通店」敷地に「うどん」・「しかられて」の両面パネル>
<詩「宇治橋」 宇治橋は伊勢神宮の内宮を流れる五十鈴川にかかる橋で、20年に一度の式年遷宮で架けかえられ、その際の渡始式には三代の夫婦が先頭に立つことになっている。この詩は出征の直前に愛読書、北川冬彦編『培養土』の余白に書き込まれて、2002年になって研究者によって発見された。>
竹内浩三についてはTHE BOOMの宮沢和史、詩人のアーサー・ビナードなど、様々な人が語っています。ホームページに紹介していますのでそちらをご覧ください。
竹内浩三ホームページ
https://kozo-takeuchi.club
竹内浩三の手書きのイラストと詩(ガリ刷りも含む)各2枚、そして姉宛に出した葉書の両面を複製したもの1枚、合計5枚を、伊勢和紙にプリントしてお届けします。伊勢和紙は、神宮御用紙を奉製してきた大豐和紙工業株式会社(明治32年創立)が、伝統を守り新しいものにチャレンジして制作しています。
https://isewashi.co.jp/
竹内浩三からのメッセージを受け取ってください。
カードは竹内浩三の自筆のものをさらに精選してお届けしますので、写真とは違ったものが届くことがあります。どうぞお楽しみに。
竹内浩三生誕100年記念事業のチラシをそのままクリアファイルにしました。日常的に竹内浩三を手元において使っていただけます。
表面はクリアで、裏面にこの画像がプリントされた使いやすいクリアファイルです。
令和4(2022)年版、伊勢講暦(カレンダー 伊勢文化舎作成)と、伊勢和紙にプリントした竹内浩三の自筆イラスト・詩のポストカード3枚とをお届けします。「伊勢講暦」は伊勢の美しい景観や伝統的な風景が楽しめるB3判、7枚つづりのカレンダー。地元在住の写真家が撮影した伊勢の四季と、古典の詩歌が組み合わされて、1年を通じて伊勢を味わうことができます。伊勢講暦は11月下旬のお届けとなりますので楽しみにお待ちください。
ポストカードは7月に先にお届けします。
<伊勢文化舎ホームページ>
http://www.isebito.com/
竹内浩三の作品が本になったのは、昭和31(1956)年、姉のこうが親友の中井利亮に編集を依頼して作成した『愚の旗』が最初です。その本は私家版として200部発行しただけなので、一般に目にすることはほとんどできませんでした。それを2019年「愚の旗復刻制作委員会」と伊勢文化舎が、当時の紙質や製本、活版印刷にこだわり、見事に再現し発行しました。
今回、クラウドファンディングのために、この復刻『愚の旗』の詩の部分だけを特別に詩集として作成しました。活版印刷は、現在ではほとんど使われない、活字を1文字ずつ組んで行く特別な技術と時間のかかる印刷方法で、印刷が終われば活字をバラいてしまうため刷り直しが難しいのです。その理由から『愚の旗』の増刷に備えてあった「刷りおき紙」を使って、今回『愚の旗』の活版印刷された詩の部分のみを製本して、特別な詩集にして、限定100部でお届けします。詩は17編、58ページ、表紙は『愚の旗』と同じ糸目入り荷造り包装紙で、タイトルは「愚の旗 竹内浩三作品集」となっています。
<竹内浩三詩集 タテ20cm ヨコ17cm>
今まで見ることも叶わなかった、幻の『愚の旗 竹内浩三作品集』が、2019年に復刻されて、今手にすることができるようになりました。『愚の旗』の奥付には、<限定版「愚の旗」 昭和31年1月20日発行 表紙は荷造り包装紙、本書の刊行部数は200冊>と書かれています。文字は大きめの活版印刷で、詩のタイトルは文字が赤く印刷され、目次は本文の後に置かれています。
「愚の旗復刻制作委員会」と伊勢文化舎、そして伊勢の印刷関係者の総力で出来上がった復刻版『愚の旗』には、二つの解説と年譜などが付いて、美しいカバーがかけられて箱に入っています。今回、<竹内浩三『愚の旗』通信>1号、2号も付けてお届けします。
<刻印証明書付き>
竹内浩三は本をとても大事にしたそうです。カバーをかけて、蔵書印を押して、愛情をもって扱いました。いろいろな蔵書印を使っていましたが、この女の子の描かれた蔵書印が一番多く使用されていたとのこと。これを原寸大のレプリカとして作成し、10個限定で復刻版『愚の旗』(「竹内浩三 愚の旗通信」1号2号付)と共にお届けします。この蔵書印を使って、あなたの本を竹内浩三蔵書にしませんか。
お届けする蔵書印には、本物と区別がつくように印面に小さく「生誕100年」の文字が入ります。
<竹内浩三の蔵書印。約4センチ四方の大きさ。>
竹内浩三生誕100年記念イベントの費用の内訳は次のとおりです。
・演劇鑑賞会 50万円
演劇鑑賞会は「神都ライオンズクラブ」さまより協賛いただきますが、演劇の費用は1公演100万円で、公演回数を乗じた金額が必要です。公演回数等の詳細はこれから決まっていきますが、わたしたちは自己資金も準備したうえで、みなさまからの応援で1公演分を準備してチャンスを広げたいと考えています。
・記念イベント40万円
記念イベントについては「岡田文化財団」に助成申請を行い、30万円の助成が認められましたが、必要となる残りの経費をご支援でお願いしたいのです。
・記念碑建立 50万円
合計140万円
このうち一部となる100万円を応援していただきたいのでお願いします。
77年前に23歳で戦死した竹内浩三の生誕100年に、伊勢でさまざまな人が集まって記念事業を企画しました。それぞれ立場の異なる人の集まりなのですが、「この機会に竹内浩三をもっと知ってほしい」「若い人に竹内浩三を知ってもらいたい、読んでもらいたい」という思いは共通しています。
たくさん話し合って企画しましたから、資金の多寡によって規模を縮小することはあっても、どの事業もかならず実行していきます。それは、みなさんに知っていただき応援してもらうことが、竹内浩三を伝えることになり、竹内浩三の詩のことばが次の誰かに届くことなのだと思うからです。竹内浩三を知ってもらえれば、自由な魂にとって平和がどれほど大切かということを感じてもらえると思っています。
竹内浩三は、そして彼が生まれ育った伊勢の町も、平和がとても似合います。
たくさんのプロジェクトの中から、竹内浩三生誕100年イベントを見て下さってありがとうございます。
伊勢の地で、力を合わせて、彼、竹内浩三の愉快な笑い声が聞けるようにイベントを成功させたいと願っています。ぜひ応援をお願いします。
竹内浩三生誕100年記念事業実行委員会の委員長は「みよちゃん」と呼ばれる岡田美代子、昭和12年11月、伊勢市生まれの83歳で、元中学校の国語と音楽の教師です。1985年ころ、教員仲間の森節子と共に読書教育の中で竹内浩三の作品に出会い、魅了されます。そこから、竹内浩三の姉、松島こうをはじめ、多くの人とつながって、竹内浩三を伝える活動を始めますが、パートナーの森節子が2008年に病死してしまいます。岡田美代子はその遺志を継ぎ、多くの仲間と共に活動を続けて来ました。そして、みんなで生誕100年を祝いたい、盛り上げたいとの思いから、竹内浩三関係団体、遺族、伊勢市教育委員会が集まって、この実行委員会となりました。昨年6月から会議を重ねて、ここに至っています。
<右が岡田美代子委員長 左が石川順子副委員長・広報部長>
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